【凡人が自伝を書いたら 59.肥前の国(後編)】
それまで、営業支援なんかも含めて、たくさんの店を見てきたが、都会に比べ、地方の店舗というものは、結構独自のやり方があったりする。
普通の生活においても、その地方独自の文化や、しきたりなんかがあったりする。それはお店においても同様だ。
都会に比べ、地方の店舗は店長の入れ替えが少ない。都会の店舗は毎年店長が変わるようなイメージだが、地方では、7〜8年間同じ店長なんてこともザラにあった。
この佐賀県の店舗にも、そういうものは確かにあった。
「親方と姉御」
この店は、良くも悪くもベテランで店がもっていた。
勤続10年以上の主婦さんや、おじさんが主体だった。そこに3〜4年の主婦さんや、大学生が少しだけいる、そんな感じだ。
新人は続かないことがほとんどだ。
それはこの店の教育のやり方にあった。
最初に基礎の基礎は教えるが、その後、仕事の質やスピードをあげるのは本人のやる気次第。聞いて盗め、見て盗め、そんな感じだった。
それが、若い人からすれば、少し「古いやり方」のように感じるのだろう。
大手企業のチェーン店というより、どちらかといえば、「寿司屋」とか「大工」とかそっち系の雰囲気だった。
この店を見ていると、うちの会社も昔はどこもこんな感じで、この人たちもそうやって教わってきたのだろうな。そんなことが思えた。
ベテラン勢も悪い人たちではない。モラル的にヤバいみたいな人はいなかった。仕事以外の時は気も優しく、話しやすいし、面白い人たちばかりだ。
ただ、仕事となれば話は別。スタッフに不手際があったり、仕事が遅かったりしたら、そこはビシッと叱っていた。
「苦労するのはこの子達だから。」と心を鬼にして言っているとのことだった。
表面の厳しさを乗り越え、そんな「愛」みたいなものに気づくことができたスタッフは生き残り、それができないスタッフはすぐに辞めている。
時代の変化とともに、人員不足に陥ってきた。そんな感じだった。
「親方」みたいなおじさんと、見た目も相まって「姉御」のようなMチーフ主体に、この店は回っていた。
「新人の掟」
この店の新人教育にも「しきたり」があった。
この店独自の「流れ」の様なものがあり、調理はまず「洗い場」から、接客は「席の片付け」から、いわゆる「雑用」の様なポジションからスタートだ。
そこがベテラン勢に「よし」と認められたら、次に進む。そこもOKが出ればさらに次。そんな感じに段階的だった。
文字通り、「下積み」という言葉がぴったりだった。
まるで、谷底に投げ捨てられたライオンだ。這い上がってくるものは認める。うまく這い上がれないものには「何やってんだ!」と叱りつける。そんな感じだった。
這い上がってきた者には力がついているが、ほとんどが途中で脱落してしまう。
僕はどちらかといえば、「自分も谷底に降りて一緒に登る系」だったので、少し価値観に違いがあった。
ただそれが、この店の「新人の掟」だった。
「価値観が違うわけ」
「過去の経験によって、その人の価値観が決まる。」
それは、どこかの本で読んだこともあったろうし、僕自身も実体験として学んでいた。
僕も20代で、どちらかといえば、ベテラン勢より大学生の方が歳が近かったが、元々の価値観としては、ベテラン勢に近かった。
学生時代、高校生までは「頭の悪い悪ガキ」だったので、先生からは散々怒られた。特に小中学校なんかは、それこそ「毎日」怒られていた。
そんなだったから、怒られることに対して「アレルギー」みたいのは無く、耐性があった。むしろ怒っている人の裏にある「想い」の様なものも感じられる様になっていた。
ただそれは、どちらかと言えば、僕が特殊だった。僕の周りにも、「親や先生から本気で叱られたことがない」なんて友人はたくさんいた。
それが今のご時世ならもっとだ。
現に、入ってきたばかりの女子大学生2名も、今まで本気で怒られたことなんて一度もない。と言っていた。
これには「親方」も「姉御」も大きなギャップを感じ、驚いていた。
「新人のためを想って、厳しくしているのはわかります。ただ、彼女たちは今までそんなふうに扱われた経験がない。だから怒ったらそれだけで拒否反応を起こすんです。内容なんて入ってきません。新人のために、先輩の僕らにできるのは、むやみやたらに厳しくせず、きちんと内容を伝えることです。」
これには、親方も姉御も感心している様だった。彼らも世代間の価値観のズレの様なものを感じたからだ。今まで通りやっても、新人がすぐに辞めるようになった。それは「事実」だったからだ。
若造である僕が「偉そうに」語っておいて、何もしないのは「口だけ野郎」になりかねなかったので、僕が2人の新人教育を担当することにした。
結果で示す。
そういうことだった。
「言語化力」
僕が教えた新人女子大生の2人は「神がかり的」な成長を見せた。他のスタッフの新人時代に比べ、明らかに早く、明らかに高い質の仕事を身につけていった。
「え!?もうこれやらせるんですか!?」
そんなふうに心配する声もあったが、問題は無かった。周りのスタッフは、「もうこれできる様になったの!?え、まだ入って1ヶ月だよね!?」と驚いていた。
勘の良い大学生もいた。F君である。F君は歳のわりにかなり落ち着いていて、いわゆるいい意味での「意識高い系」学生だった。コミュニケーション力も高く、倍ほど歳の離れたベテラン勢とも尊敬しつつも、対等に話ができる人間だった。
彼は言っていた。
「説明力が半端じゃない。俺なんかが、きついのをいっぱい経験して、身につけた思考法やノウハウみたいなものが、全部言葉になってる。それはなんと無く自然にやってることだから、普通は言葉にできない。」
お見事、ご明察!
さすがは「意識高い学生」だ。
それに気がついて、言葉にできるお前も凄いけどな。なんて言いながら、感心していた。確かに僕が教育において、最も力を入れたのが、「言語化」だった。それを他人から指摘されたのは、初めてだったからだ。
親方や姉御を始めとし、スタッフたちもありがたいことに僕のことを慕ってくれた。「〇〇氏!」と政治家のように呼んでくるスタッフ。姉御(Mチーフ)筆頭に「神」とも呼ばれだした。
僕は、新店オープンの際に、何度かそう呼ばれていたことはあったので、「またか!」と思いながら、少し嬉しさもあった。(所詮、若造)
ただ、このMチーフは、天真爛漫というか、「はっちゃけた」性格だったので、上司の前でも、僕のことをそう呼んでいた。これは正直恥ずかしかった。
その上の「部長」が来た際、「最近どうだ?」と聞かれ、「僕がいかに神か」について熱弁し出した時には、気まずさと恥ずかしさで、「ちょっと用がある」と言って、「最寄りのドンキ」に駆け込んだ。
「短くも濃い時間」
新人だけでなく、Mチーフにも、チーフの仕事を1から全て教え込み、1ヶ月半くらいの短い期間だったが、店のお役にも立つことができた。
そうなれば、いよいよ独り立ちということで、僕の任が解かれた。また別のお店を担当するようだ。
最後の勤務の後、僕のお別れ会が、「姉御の剛腕」をもって開かれた。Mチーフは見た目の通り、地元の飲み屋にかなり顔が広いようで、かなりサービスしてくれた。
Kマネジャーの勘違いで、僕の第一印象が「可哀想なうつ社員」だったことなんかも、笑い話になった。Mチーフは、ひどい酔っ払い用で、「僕がいかに神か」についての話を延々と繰り返していた。馬鹿でかい声で、店のスタッフや、周りの客にも丸聞こえだったので、正直かなり恥ずかしかった。
親方からは、「早く昇進して、会社を変えてくれ。」そんなことも言われた。年上の男性からそんなセリフを聞くのは、純粋に嬉しかった。
改めて気合が入る。そんな瞬間だった。
最初は「変な感じのスタート」だったが、結果的には良かった。
少し別れも惜しかったが、会社の制度的にも、福岡に住んでいることでも、この店の店長をやることは叶わない。
まあ、また飲みにでも来ますよ。
そんな感じで、皆と別れた。
次は福岡の店舗を担当するようだ。
しかも今度は問題が深刻で、Kマネジャーの手に負えず、代わってくれとの話だった。僕の佐賀の店舗での仕事ぶり、実績を見て、「可哀想なうつ社員」からいつの間にか、「必殺仕事人」みたいなポジションに変わっていた。
次の店舗の名前を聞く。
うーん。名前は知ってるが、どこだ?
Google先生に聞いてみる。
先生のマップにポツンと目印が入る。
ギリギリ福岡だが、ほぼ大分。
成程、「西」の次は「東」でございますか。
まあ、やってやりましょうか。
なんだかんだ言って、「必殺仕事人」ポジションを気に入っている、愚か者の僕だった。
つづく
お金はエネルギーである。(うさんくさい)