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15)選ばれた運命 と 選ばれなかった もう一つの運命【金カムロシア語】

最終回は第10回で予告していた「もう一つの…」という訳について。
このシリーズを最初から読むなら以下のマガジントップから。

【読了まで 14分】


ロシア語解説:単数形/複数形

日本語には文法上、単数形と複数形の区別がない。
「猫を飼ってる」と言う時、日本語母語話者は「猫のいる生活か否か」という「ゼロ」か「ゼロでない」かだけに言及している。愛猫が何匹かは重要ではなく、単数の場合も複数の場合もある。またそれによって動詞の活用が変わることもない
一方、ロシア語も英語と同じで単数形と複数形の区別がある。「ゼロでない」なら、それは「一つ」なのか「複数」なのかだ。

ソフィア『Ты мог бы выбрать другой путь
Мог бы выбрать сам…
Если бы мы не приехали…
Другая судьба ждала бы тебя…
(違う道を選べた…
自分で選べたはずなのに…
私達が来なければ…
違う運命に…』299話

【再訳】
「アナタはもう一つの道を選べたはずだったのに…(実際にはそれが叶わなかった)
自ら選べたはずだったのに…(実際にはそれが叶わなかった)
もしも私達が到着していなければ…
もう一つの運命がアナタのことを待っていたでしょうに…」

「путь [プーチ]」は通行のための「道」の他、比喩としての「道程」「進路」「手段」を表す。
「судьба [スヂバー]」は「運命」や、個人の生涯にわたる道筋や容易には変え難いものを表す。
「другой [ドルゴーイ]」は「(これではない)別の」。

直訳すると『другой путь [ドルゴーイ・プーチ]」』は「別の道」。『другая судьба [ドルガーヤ・スヂバー]』は「別の運命」(ドルゴーイとドルガーヤの違いは、男性名詞と女性名詞に掛かる場合で語尾が変わるため)。
単数形だから「(これではない)別の道/運命」は各々一つだけ。

無いものは知覚することができない

単数複数の別の無い日本語で思考する日本語母語話者には、日本語台詞のみから、ソフィアが「これではない『違う運命』はたった一つだけだった」と断言しているとは思い付けない。
むしろ思い浮かべるのは「鶴見なら、あの場を切り抜ける手段(путь [プーチ])は色々考えられたんじゃないか?」くらいのフワッとした複数形のイメージだろう。日本語は「ゼロでない」ことしか示さないのだから。

❌「誰かの到着によって「現在の運命」に強制的に決まってしまったけれど、そうでなければあなたには別の可能性がいくらでも考えられたのに」
⭕「誰かの到着によって「現在の運命」に強制的に決まってしまったけれど、そうでなければあなたは「もう一つの運命」の方を歩めたのに」

果たしてあの時の鶴見に突き付けられていたのは、そのような二者択一の運命だったのだろうか。
本当のところ、鶴見はどうするつもりだったのだろう?
おとなしく逮捕されるつもりだったのか?
それとも逃亡するつもりだったのか?
逃亡の場合、秘密警察が来る前に離脱するつもりだったのか?
それとも隠していた機関銃で抵抗するつもりだったのか?
逮捕される場合、刑に服すつもりだったのか?
自決するつもりだったのか?
あるいは…?

この時点で選択肢は既に複数ある。
それに、これは選択によって様々に分岐する「未来」であって「運命」ではない。

「妻子が死なずに済んだかも」と考えるなら、二つに一つの状況と言えなくもないが、それでもソフィアには「フィーナさんが手配書を拾ったこと」「母親を貫いた銃弾が赤ん坊にまで致命傷を与えたこと」は介入しようのないことだ。第10回で解説した通り、そもそも彼女は二人の死に関して謝罪したわけではない。

それに、もしソフィアが二人の死に関して言及するならば、やはり「運命」ではなく「未来」と言っただろう。
彼女は子供を未来と言って大切(第13回参照)にし、オリガの死が頭から離れなかった。
「別の未来(無事に育ったオリガ) が父親を待っていたでしょうに」の方が自然だ(もちろんオーリャがスパイのパパでも慕ってくれたか…それはまた別の話)。

考察:選択によって分岐する複数の未来

では、鶴見は秘密警察が来た時、どのような選択をするつもりだったのか?
より具体的には、この台詞を言った時の鶴見はどうするつもりだったのか?

長谷川『Ты пока возвращайся к своей семье. Пока я не уйду, сюда ни в коем случае не возвращайся.
(しばらく実家に帰っていてくれ
私が行くまで絶対にここに帰ってきてはいけない)』178話

【再訳】
「しばらく実家に帰っていてくれ
私が行ってしまうまで絶対にここへ戻ってきてはいけない」

「私が去るまで戻ってきてはいけない」は裏を返せば「私が去ったら戻ってきていい」ということ。
そもそも撮影機材に武器を隠していたということは、鶴見はフィーナさんが仕事道具を触らないと思っていたわけで、すなわち彼女に写真の仕事はできない。

(※機材の秘密を暴露する相手は活動家3人しかいない。彼らから武器を隠す意図だけなら戸棚や床下で充分であり、機材の中である物語上の必然性はない。戸棚や床下では見つけてしまいそうなのは生活を共にする妻である)

夫が居なくなった後の彼女は、当面のところ全面的に実家を頼るしかなく、写真館に戻ってきて生活が成り立つわけではない。「戻ってきていい」なんて蛇の生殺しより「二度と戻って来るな」と引導を渡した方がいい。

それに、ものすごく基本中の基本だけど、スパイの妻が「実家に帰ってました」ってだけで秘密警察の追及から逃れられるわけがない。彼女は最低でも「厳しい尋問」を受けることになる。

鶴見の認識通り、スパイだと知っていて通報しなかったのであれば「共犯者」だ。
なのに彼女は一体いつ何のために写真館に戻ってくるのか。

鶴見のプランA

鶴見の発言の意図で最も可能性が高いのは「今後の生活資金を取りに来てもらうため」である。
秘密警察は見つけられないが妻には見つけられるだろう場所に、残せる限りの金品を詰め込んでおき、自分がいなくなったら取りに来て、それで娘を育てて欲しいということだ。

鶴見は、妻が自分の正体に気づいていると認識していた。
それは妻が「興味」の有無に言及したことで「見抜かれている」と感じたからだ。
仕事道具には触らないと思っていたのに、彼女は触れて秘密を見たに違いない。
と言うことは、機材の中に金品を隠しておけば、秘密警察には見つからずに今後の生活費を残せる可能性が高い。
妻は『読み書き』が出来ないから手紙を残すことはできないけれど、金品が詰まっているのを見れば、きっと「娘を育て上げるために、何も知らなかったことにしておけ」というメッセージは伝わるはずだ。何せ妻は勘がいい──というわけだ。

でも、これではまだ、フィーナさんが厳しい尋問に耐えかねて「知っていました」と自白してしまう可能性がある。どうにかしてその可能性を極限まで小さくできないか。

方法は一つだけある。
それは「鶴見が秘密警察におとなしく逮捕され、ロシア側に協力すること」すなわち「日本を裏切る」ことだ。

ロシア側に寝返ったとして、フィーナさんへの追及が緩くなる確証はないけれど、逆にスパイが逃亡したり自決したりすれば、秘密警察は残った妻から何か情報を引き出そうとして、追及が苛烈になるのは火を見るより明らかだ。

だからこの先に待ち受けているのが死刑拷問暴行、虐待、あるいはダブルスパイをさせられる未来であろうと自決はしない。できない。どんな未来でも甘んじて受け入れる。この身はロシアにくれてやる。

そうやって彼女のことを「隠れ蓑にするためにたぶらかしただけ」と言い逃れる可能性を残した。
実際にはその鶴見の描いた筋書き通り、フィーナさんは何も知らず100%騙されてる立場なのが真実だったわけだけれども。

鶴見のプランB

ところが活動家たちが先に手を出したために、その筋書きは使えなくなった。抵抗してしまったらロシアに寝返る手は使えない。
鶴見は次善策として、活動家たちに協力して武器を提供し、秘密警察を一掃することにした。

そう、フィーナさんが勘違いした通り「実家に妻子を迎えに行く」のだ。

こうなった以上、日本に連れて行かなければ、ロシアに残されたフィーナさんには、プランAより過酷な未来が待っているからだ。
今日までスパイを隠匿してきた協力者なら国は保護してくれるはずだ。

奇しくも、ソフィアたちが到着した(居合わせた) ことで、鶴見には「妻子と離れない」可能性が一瞬浮上していたことになる(もちろんフィーナさんが日本行きを受け入れたかどうか…それはまた別の話)。

鶴見のプランC

ではその妻子が亡くなった後は?
「彼女たちの死の延長線上に日本の繁栄(と鶴見が実感できるもの)を成し遂げる」である。二人の死は必要不可欠な尊い犠牲だったとするために。
だから逆説的に、妻子の骨と権利書なら権利書を選ぶ。何度繰り返しても権利書を選ぶ。権利書を諦めたら、妻を騙したことも二人の死も無意味だったと認めることになってしまう。

* * *

鶴見『兵士の攻撃性を引き出す原動力となんもんは 敵兵への憎しみではねく 恐怖でもねく 政治思想の違いでもねえ…「愛」です(中略)どんげに部下との愛を育み どんげな汚れ仕事でも従う兵士を作れっか…それが指揮官の課題らんです』227話

このくだりは、デーヴ・グロスマン著『戦争における「人殺し」の心理学』が元になっている。

但し、この本には『愛です』とは書いていない。最も発砲率を上げたのは「条件付け」であり、仲間内に生じる「ある種特殊な愛」とは「同調圧力」であると書かれている。国防の仕事を「汚れ仕事」とも言っていない
作者はこの本を理解した上で鶴見に誤認させている。

つまり…その「愛」ゆえに「死んだ気になって」「どんげな汚れ仕事でも」厭わないのは他ならぬ「鶴見自身」だったわけだ。

鶴見にあったのは単数形の「もう一つの運命」ではない。
そして鶴見自身も日本語台詞を読む限り、選択肢が一つしかなかったとは思っていない。
だが、ソフィアにしても「自分が居合わせなければ鶴見に有り得た未来がどんなものだったか」確信があったとも思えない。自身の撃った弾丸が『フィーナとオリガ』の命を奪ったと思い込んでいたくらい限定的にしか情報を持っていなかったのだから。

この台詞には含みがある。

…だが当シリーズは一応ここで終了としたい。
後はあくまで蛇足である。

蛇足:「もう一つの運命」があったのは誰か

筆者はこの不思議な台詞を「勇作殿から尾形に向けられたもの」として読み替える結論に至った。
ただ、読み替えとなるとロシア語からだいぶ離れる上、非常に個人見解に寄ったものになるため、こちらには纏めず、元のtwitterのリンクを貼るのみにしておく。興味があれば。
もちろん「もう一つの運命」の他の読み解き方があっても構わないと思うので、ぜひ色々考えて楽しんで欲しい。

(※一連のツイート群を推敲して纏めたのが当シリーズなため、両者の記述に差異がある場合、noteの方が新しく且つ正確)

上記、一連のツイートの前提として…

尾形の母が妾だというのは色恋沙汰や不義ではなく、子宝に恵まれない夫婦が側室を取ったという当時の適法な話だろうと認識している。尾形の誕生は花沢家の跡取りとして望まれて(祝福されて) いた。ところが子が出来ないと思われていた正室に男児が生まれた(到着した) ために、尾形は跡取りの地位(もう一つの運命) から排除されてしまった…という理解である。

花沢夫妻が子宝に恵まれなかったことは、鯉登家と年齢や階級を比較することで推察できる。
花沢氏と鯉登氏は親友であり、両者の主な交流はそれぞれ陸軍と海軍に別れて寄宿学校に入る前だろうことから、家格も歳も近いと考えられる。また当時の結婚は好きな時に好きな相手と自由にできたわけではない。これらから両者が同じようなタイミングで同じような人生を歩んできたと見なして良いだろう。
ところが尾形は鯉登家の長男より次男・音之進に歳が近い。第一子である尾形が生まれた時の父の階級は中佐、13歳離れた兄のいる音之進が陸軍士官学校に受かった時の父の階級は大佐である。尾形と勇作殿は「遅くできた子」であり、花沢夫妻の不妊期間は10年の大台に乗っただろうと推察できる。

また勇作殿の顔に花沢中将の要素がなかったことを考えると、少なくとも父子関係は確定しない。この話が茨戸編とリンクしているなら、正妻には身に覚えがあるのだろう。
だからこそ、正妻は側室とその子を遠くに離したかった。自身の子の立場を脅かさないだけでなく、兄弟が成長した暁に二人の面差しが似てないと困るからだ。

そして、自分たちから側室を頼んでおいて反故にし、正妻には「身に覚え」がある、そのきっかけがアンコウと思われる。

花沢中将は、立て続けに誕生した尾形と勇作殿以外に子がいないことから考えるに、浮気者どころかむしろ愛妻家だった。花沢中将と側室トメさんはなかなか打ち解けられず、そのアイスブレイクとしてトメさんが考えたのがアンコウというわけだ。
アンコウが『庶民の鍋』なのは、傷みやすくて流通せず地元でだぶついていたからで、東京ではさほどお目にかかることはなかっただろう。しかも吊るし切りという特殊な捌き方をする。

この話は正妻の耳にも入ったが、その珍しさゆえにそれがどんなものか分からなかった。夫と側室が自分には分からない話題を共有しているという疎外感から嫉妬に苛まれ…どうせ妊娠しないと考えて寂しさを埋めたかっただけかもしれないし、逆に一縷の望みをかけて妊娠できることを願ったのかもしれないが…とにかくそうなった。

アニメ版では、トメさんが郷里に戻ったのはレンゲの花咲く頃。一月生まれの百之助を横抱きにしている。すなわち兄弟の歳の差が3か月もあったら揉めている暇すらない。揉め始めたのは勇作殿の誕生後ではなく妊娠中からだろう。
「母の元に通ってこなくなった」の真相は、正妻の子が男児と確定したので花沢家が交渉を一方的に打ち切り、門戸を閉ざしたということだ。

トメさんがアンコウを調理し続けるのは、それが彼女の成功体験だからであり、また最早それしか取り付く島のない相手に出来ることもないからだ。彼女は花沢中将が恋しかったのではなく、交渉の席に引っぱり出したかった。財産目当てではなく、産んだ子に高等教育を受けさせる目途が立たなくなったことが一番の問題だろう(この作品は著者が掘り下げた限り、必ず教育の話に行き着いた)。

そして「自分が側室の話を受けなければ、この子は生まれてきて恥をかかされることも、苦労することもなかったのに。産んでごめんなさい」と。

それは百之助にも伝わる。すなわち「どうやら自分は生まれてこない方が良かったようだ。自分の存在が母を苦しめている」罪悪感となった。

一方、勇作殿も身の上が苦しくてたまらず、罪悪感に苛まれていた。
気質が軍人や国防の仕事に向いておらず、他に(作者のインタビューによると)好きなことがあったから。そして何より、何処かの時点で母の秘密を知ったから。勇作殿が「兄は祝福されていた」と知っていたのも道理である。
自分の立場を兄に返したい気持ちがあったから、あえて周囲に聞かせる意図を持って「兄様」と呼び掛けたのだ。

「もしも私が生まれてこなければ…
もう一つの運命(другая судьба [ドルガーヤ・スヂバー])が兄様のことを待っていたでしょうに…
私は兄様からゆるされたいのです…」

だから泣きながら兄を抱きしめる。「罪」が無くても「罪悪感」はこんなにも苦しいのに、もし「罪」があったらその「罪悪感」はどれだけ耐えがたいものでしょうか──と。

尾形曰く
罪があるなら 罪悪感もある
罪悪感があるなら 罪もある
罪がないなら 罪悪感もない
罪悪感がなければ 罪もない

勇作殿曰く
人間であれば 罪悪感がある
罪悪感があれば 人間である
人間でなければ 罪悪感もない
罪悪感がなければ 人間ではない

勇作殿の幻影の全ての出現条件に当て嵌まるのは、尾形が死に近づいた時であって、アシㇼパに銃口を向けた時ではない。
ゆるしゆるされなければ死ぬに死ねない勇作殿は、肉体を失ってもなお留まって兄からのゆるしを待つと決め、ゆるしゆるされぬままフラフラ近づいてくる兄に「ゆるしの進捗どうですか?」と問いかけている。
勇作殿が尾形の元に出てくるというより、尾形が近づくから死線の際で突っ立って待つ勇作殿が見えるのだ。

但しこの兄弟のゆるしの課題は、お互いが関わり合っていながら各々独立したもので、自身の課題を克服することが副次的に相手の為にもなっただけである。どちらが善い悪いの問題ではない。
この作品の登場人物は、みな自分のために動く。そして自身の課題を誰かが代わりに解決してくれることもない。

また「ゆるしゆるされなければ…」というのも象徴的な意味合いで、作中世界にそのようなシステムが存在すると主張しているのではない。ゆるしゆるされなくても医学的/生物学的な死を迎える。
ゴールデンカムイの世界に「死後の世界」としての地獄は無いだろう。



  1. ロシア語台詞は単行本を基本とします

  2. 明らかな誤植は直しています

  3. ロシア語講座ではありません

    • 文法/用法の解説は台詞の説明に必要な範囲に留め、簡素にしています

    • ポイントとなる言葉にはカナ読みを振りましたが、実際の発音を表しきれるものではありません。また冗長になるため全てには振りません

  4. 現実世界の資料でロシア側のものはロシア語で書かれたものにあたっています。そのため日本側の見解と齟齬そごがある可能性があります

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