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13)カンマの打ち方を使った ロシア語の文法トリック【金カムロシア語】

298話のウイルクとソフィアの会話と、活動家3人が一枚岩だったかについて。

【読了まで 11分】

ゴールデンカムイのロシア語台詞を楽しむシリーズだよ。
単行本読了済みであることを前提に執筆しています。
作者と監修がつけた日本語とロシア語の台詞の差異から物語を掘り下げていきます。
ロシア語には縁が無いよって方にも楽しんでいただけるよう書いています。


ロシア語解説:革命家の在り方

ウイルク『Настоящий революционер ведом горячей любовью.
(真の革命家は大きな愛によって導かれるんだよ)』298話
[ナスタヤーシイ・リヴォリューツィアニェル・ヴェーダムガリャーチェイ・リュボーヴィユ]

【再訳】
「真の革命家は熱き愛に突き動かされるんだよ」

『大きな愛』と日本語で聞くと、穏やかで理性的で永続的なイメージが湧く。でもウイルクが言っているのは「(温度が)熱い(горячий [ガリャーチィ])」。そこから比喩として「熱烈」「熱心」、転じて「頭に血がのぼりやすい」を示すこともある。「大きい/大いなる/偉大な(великий [ヴィリーキィ])」とは言っていない。
(※ちなみに熾天使の「燃え盛る愛」は別表現を使う。第7回とは無関係なので念の為)

「настоящий 〇〇 ведом △△ [ナスタヤーシイ・〇〇・ヴェーダム・△△]」という言い回しは「真の〇〇は△△を知る」。知ると言っても頭で理解してるだけとはちょっと違う。
「よくよく知り抜いている」「身に沁みている」「実感している」ゆえに感情や行動に(そうせずにはいられない)影響を与えるというニュアンス。日本語に訳すのは難しい。なのでこの台詞は人によって訳は様々かもしれない。

この言い回しは文脈によって「導かれる」とも訳せるので日本語台詞のままで良いんだけど、筆者があえて「突き動かされる」を選んだのは「それ」が、その人の外と内、どちらから影響を与えているかを重視して。
「導く」だと「それ」はその人の外に居て着いてくるよう促している状態。「突き動かす」のなら、「それ」はその人の内側に居て一心同体。熱い感情は心の内にあるものだ。

🟦ロシア語台詞
⇒ ゴールデンカムイの世界で実際に発せられた言葉(客観的事実)
🟥日本語台詞
⇒ 上記を会話相手がどう受け止めたか(主観的事実)

聞き手のソフィアは『大きな愛』、すなわち「大いなる愛(великая любовь [ヴィリーカヤ・リュボーフィ])」と受け止めた。彼女は「革命とはそうあるべし」と考えている。激情に突き動かされてやるものじゃない、と。
けれどもウイルクが言っているのは「子供なんかで怯んだソフィアに対する出来る限り感情を抑えたダメ出し」といったところ。

ウイルクとソフィアにはこの頃から越えがたい見解の相違がある(これが第5回の流れの遠因となる)。

ロシア語解説:カンマの有無

さて今日の表題。今回は文法トリックである。

ソフィア『Если моя жизнь послужит чьему-либо благу, справедливости в этой стране.
(この国の誰かの正義のために 私の命が役に立つのなら)』298話

【再訳】
「私の人生が、誰かの為に、この国の正義に、役立つのなら」

誰かの正義」なら人の数だけ違う正義が存在することになる。
実際には「この国の正義」と言っている。

「чьему-либо благу [チエムゥリバ・ブラーグ](誰かの為に)」の後にはカンマ( , ) があり、そこでふきだしも微妙に分かれている。
このカンマで文章が一旦切れ、改めて「この国の正義に(справедливости в этой стране [スプラヴィドリーヴァスチ・ヴ・エータイ・ストラーニエ])」となる。
ソフィアが言っているのは「誰かの為に役立つのなら、そして、この国の正義に役立つのなら」という各々独立した二つである。

実はこのカンマ( , ) を抜いて連続した一文にすると日本語台詞になるのだ。
カンマ( , ) がないと文章が切れず、全部が一緒くたの『この国の誰かの正義のため』になってしまう。

でも彼女はそんなこと言っていない。あくまで「この国の多くの人が共有でき、合意できる(と彼女が考える)正義」である。
「多くの人が共有できるもの」と考えるからこそ、「大いなる愛」(あるいは啓蒙思想が謳う科学的合理性)のような絶対的指針となるものが人々の外側に居てみんなを「導く」イメージを抱いているわけだ。

展開:未来

つまり、ソフィアは考えはこうだ。「自分はロシア人であり、自分の国を良くしたい。国家とは国民を大いなる愛をもって導くもの(≒福祉を成す)」
だから彼女を始めとするロシアの革命家は、より良くなった未来のこの国で生きていく子世代のことが念頭にある。

だが、ウイルクにロシアへの帰属意識はない。
ウイルクとキロランケには「自分たちの文化の礎である過去」と、ロシア帝国に飲み込まれ「生存の危機にある現在」があるだけで未来は見えない。未来があるすればそれは「俺(たち)」が救われる未来だ。

とは言え、相容れないままでもなかった。
ウイルクは自身に子が生まれたことで初めてソフィアたちの言う「未来」が腑に落ち「多くの人が共有」という合意形成にも目が向いた。
変節したウイルクはキロランケから遠くなってしまったのではなく、むしろキロランケが恋焦がれたソフィアに近づいたと言える。

キロランケ『ロシアの近代化を目指し君主制を倒そうと啓蒙活動していた』177話

キロランケ『古い体制のままで農作物の生産力は低く西欧列強にくらべて工業化も進まない 革命家は農民に蜂起を迫ったのに彼らが応えなかったのはロシア正教のせいだと考えた ならばまだロシア正教に染まっていない極東の少数民族たちと共に戦おうとソフィアは考えた』179話

啓蒙万歳!科学万歳!工業化するぞ!近代化するぞ!西欧列強に追いつけ!追い越せ!…に本気で向き合うと、どうしたって安価な輸送手段の確保が不可欠であり、それは国土の大半が凍てつくロシアにとって「凍結せず一年中使える港」であり、他国を侵略してでも不凍港ふとうこうを獲得しなければ…という現実にぶち当たる。
ウイルクやキロランケの「近代化せず伝統的で宗教的な生活を続けたい」「他所よその文化に侵略されたくない」考えとは真っ向対立する。両者は帝政という共通の敵がいるから手を組んでいるけれど、本来は相容れない者同士だ。

キロランケ『彼女は活動資金の為に犯罪を繰り返す義賊でもあり』169話

鶴見『黄金の手…ものは言いようだな 民衆にとっては痛快な義賊の輝く黄金の手だが』265話

「持てる者から奪って持たざる者へ」「大いなる愛で導く」なソフィアと「弱った狼は役立たずだから殺す」ウイルクの考えは一致しない。
つまり、第二回で言及したソフィアの「ウイルクは狼を気高いと言っていた」も彼女の曲解だったわけだ(曲解したのはキロランケだけではなかった)。実際ウイルクが狼を「気高い」と評するシーンはないのだから。
ソフィアは自分の眼前で目を輝かせながら弱者切り捨て論を語るウイルクを「男の子は肉食獣のああいう気高い感じ?に憧れるもんなのかな?…純粋だな」と納得(合理化) した。そうやって方向性の不一致に目を瞑ったのだ。

そんなウイルクもアシㇼパの誕生で、人間の赤ん坊は全面的に世話をしてあげなければならない「役立たず」、父親は授乳できない「役立たず」だと身に沁みた。これまで通り「役立たず」を排除し続けるなら、やがて「誰もいなくなる」。自分たちは滅び、未来は閉ざされると理解した。
動物の群れ(や国家)は、群れることで「一人で生きる」よりも生存の可能性を高められるシステム(安全保障コミュニティ) なのだ(その観点からすると「役立たず」と罵られてきた白石だけが国家を運営する立場に届くという結末は味わい深いかもしれない)。

それで何処かの国への帰属体験してみようと日本に戸籍を作ったのだろう。なのに、自覚的なのか無自覚なのか、ウイルクは自身の死を偽装して誰でもない『のっぺらぼう』となり、折角の「国(安全保障コミュニティ)」という命綱を断ち切ってしまう。でもやはり「たった一人」での安全保障は無理で、国家ではない所に安全保障を求めた結果、その代償は高く、歩ける健康な脚を始め、ありとあらゆる自由と引き換えになった。

一方のキロランケは、自身に子が生まれてもソフィアの言う「未来」は見えなかった。

ウイルタの代弁者をしているのに当のウイルタ族と同盟関係にあるようには見えず、出身民族の仲間も話も出てこない。革命を志しながらウイルクとソフィア以外に人脈も仲間もいる気配がない。
そして他人の子であるアシㇼパには親の意向を継ぐよう圧力を掛けるのに、自身の子にはそうしない。子は「北海道アイヌとして生きていく」と言う。ではキロランケ自身は何として生きていく?

キロランケは根を下ろせる場所と実感できる居場所(帰属先) が無く、それを探し続けている。これまで何度も「このコミュニティこそ自分の居場所だ」と親近感を抱いてはしっくり来ずに幻滅して「人間関係をリセットする」を繰り返していると思われる。

だからウイルクのことを心酔から幻滅を経てリセットしたように、自身の家族とも関係をリセットしてしまった。妻とはその親兄弟より近しい関係になれた確信が持てず、子は北海道アイヌであることに何の疑いもなく生きている。でも自分は北海道にしっくりこない。我が子に「未来」を見出せなかった。このまま行けばいつかはウイルタ族にもソフィアにもアシㇼパにも幻滅しリセットする日が来ただろう。

ウイルクがキロランケを会合に呼ばないのは「各コタンの有力者を集めた」ものなので、その地位になければ呼ぶ名目がなかったからである。但し、真に小樽のコタンの合意形成を図れていたかは、妻の弟マカナックルが金塊に否定的なことから疑問符が付く。
ウイルクが婿に入った家は小樽のコタンの有力者…且つその妻(フチ) はきょうだいが多く北海道中にコネクションがある。後継ライバルは「弟」一人。アシㇼパが知る必要はないが、父が母を結婚相手に選んだ理由は政治的な意図だ。
片やキロランケが妻を選んだ理由は性的嗜好で、その妻には『兄弟が沢山』でライバルが多く、また文字通り取るなら家督争いにすこぶる不利な「兄」がいる。

考察:教育

ただ、ソフィアの言う「未来」の重要なポイントは、未来を籠の鳥にしないことだ。
ウイルクとキロランケは「未来アシㇼパ」を束縛し、自由に羽ばたかせることが出来なかった。

キロランケ『俺たちが実行した皇帝暗殺の首謀者だ』169話
(※ソフィアのこと)

キロランケ『ソフィアは教養があり 勇気のある 俺たちの指導者だった』
170話

首謀者で指導者なのに、何故ソフィアはウイルクに革命家の在り方について説教されてしまうのだろうか?
指導者なのに何故、鶴見から指摘された国境線問題に答えられず、新たな国家の青写真もウイルクとキロランケの受け売りの夢語り(мечта [ミチター])に過ぎないのだろうか?

持てる者から奪って持たざる者へ与えることに依存する限り、帝政を倒した後の国は回っていかない。
本気で向き合って不凍港獲得のための他国への侵略という現実にぶち当たっていれば、国境線問題への回答は夢語り(мечта [ミチター])では済ませられない。

この状態を政治指導者とは呼べない。
ソフィアは政治指導者ではない。

それでも尚、彼女が教養ある指導者だったと言うのなら、最も可能性が高いのは学習指導者(学習ボランティア) という意味だ。
むしろ、そうでなければキロランケが「(ロシア語の)書き方」を習得する(=手紙が書ける) まで「学校に通いきれた」とはちょっと考えにくい。何せ10代半ばで既に故郷を離れ、テロリストで、そして都市部出身でもなければ、ロシア語が母語でもないのだから(第7回補足と同様に1897年の国勢調査から算出したキロランケが識字能力を有する可能性は15.3%。参考まで)。

キロランケ『あの時代…ロシア貴族や知識人層の一部が 農民のような格好で彼らの生活に入り込み ロシアの近代化を目指し君主制を倒そうと啓蒙活動していた』177話

さすがに行き成りテロから政治運動を始める者はいない。ソフィアはまず穏便に教育の行き届いていない層へ知識を届ける(=啓蒙) ことから始めたと考える方が自然だ。そこに学びに来た者たちの中にウイルクとキロランケがいたのだろう。

彼女が「書き方」を習得できるまで学業を修められたのは、上流階級の都会っ子という親からもたらされたものが大きい。
当時の女子教育は(世界的な傾向として)男子より後回しだったし、男子といえどもヴァシリは上流階級出身でも都市部出身でもなく、しかも入隊時には強制識字訓練は中止中(第7回補足参照)だったのだから。

彼女は親のお金で最高の教育を受け、得た知識で親の代を否定した。だから「未来」を籠の鳥にできないと身を持って知っているのだ。
そしてその境地に至ったのは、自身が既得権益者である階級制度や自文化であるロシア正教に批判的思考で挑み、絶対的指針として科学にならおうとしたからだ。

「啓蒙思想からの自己批判の実践」となると、やはり大学レベルの教養に思える。
ちょうどこの頃、現実世界のロシア帝国では女子の高等教育に力を入れ始めており、サンクトペテルブルクに女子大学が創設されている。自身の頭一つで勝負する苦学生も決して珍しくはなかったが、やはり学生の大半は貴族だった。

故に、高等教育を受けていないウイルクとキロランケには自文化を批判的思考の俎上そじょうに上げることは出来ず、啓蒙思想を自分に都合よく解釈してしまっている。
そして和人の宗教(主に仏教と神道) が俎上に上がらないことも忘れてはならない。ロシア正教への非難は、あくまで当事者だからできるソフィアの自己批判である。部外者がその尻馬に乗ることは許されない。登場人物だけでなく、読者や、そして作者でさえも。

考察:光

…だからロシア語を読む限り、作者及び作品の方向性は、アシㇼパが「親の意向通り」光になって他者を導くことを肯定していない
どんなに日本語台詞で「光」が尊く「希望」に満ちていて「正しい」ように演出されていても、だ。

スヴェトラーナという名前は「光/明かり(свет [スヴェート])」「明るい(светлый [スヴェートルィ])」を女性名化したもの(第7回補足参照)。
彼女の家出は、本当に灯台から光が消えたことを示している。

今まで「誰かの為」という名目で塔に閉じ込められ、誰かに見られるばかりだった「光」が、自分が見たいもののために主体的に動くというのは暗示的だ。
月島やご両親の視点で考えれば「都会を見たいだけ」なんて理由はとてもくだらなくて身勝手に思えるけれども、ここは絶対に「見たいだけ」が理由でなければならない

月島『Только обязательно напиши им письмо…На обратном пути я его передам.(だが手紙を必ず書け…俺が帰りに届ける)』(…略)
スヴェトラーナ『хорошо, напишу. Обещаю…(分かった 約束する…)』192話
スヴェトラーナ [ハラショー・ナピシュー・アビシシャーユ]

【再訳】
スヴェトラーナ「分かった、書きます。約束する…」

両親は娘に「書き方」を習得できるまで学業を修めさせた。
その教育によって充分に啓蒙された娘にとっては、もはや、あの塔も、あの島も、小さくなり過ぎてしまったのだ。



  1. ロシア語台詞は単行本を基本とします

  2. 明らかな誤植は直しています

  3. ロシア語講座ではありません

    • 文法/用法の解説は台詞の説明に必要な範囲に留め、簡素にしています

    • ポイントとなる言葉にはカナ読みを振りましたが、実際の発音を表しきれるものではありません。また冗長になるため全てには振りません

  4. 現実世界の資料でロシア側のものはロシア語で書かれたものにあたっています。そのため日本側の見解と齟齬そごがある可能性があります

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