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10)罪は償うもの?赦すもの?─言語の文化的背景【金カムロシア語】

今回は最後のロシア語台詞となる299話から。

ゴールデンカムイのロシア語台詞を楽しむシリーズも10回目の大台。
単行本読了済みであることを前提に執筆しています。
作者と監修がつけた日本語とロシア語の台詞の差異から物語を掘り下げていきます。
ロシア語には縁が無いよって方にも楽しんでいただけるよう書いています。

【読了まで 5分】


ロシア語解説:ごめんなさい

白石『なんか言うことねえのかよ!! ロシア語に謝罪の言葉は無いのかねぇ』203話

ロシア語の謝罪(ごめんなさい) の系統は主にこの二つ。

✅извините [イズヴィニーチェ] ⇒ 「私が悪かった
「вина [ヴィナー](罪悪感/過ち)」から派生。罪悪感や過ちを認識し、後悔や反省の意を相手に伝えること。

✅простите [プラスチーチェ] ⇒ 「私を赦して
相手の慈悲を乞い、赦してもらうこと。宗教的な場面で使われる場合も。

どちらも大体同じような場面で使える(もちろんどちらか一方が相応しい場面もある)。
言葉のイメージとしては「извините [イズヴィニーチェ]」は「悪かったと伝える」自分に主眼が置かれ、「простите [プラスチーチェ]」の方は「赦す」相手に主眼が置かれている。

さてでは、今日のお題。
ソフィアの『ごめんなさい』は果たしてどちらだろうか?

『殺した赤ん坊が頭から離れない』(179話) と言っていたから罪悪感はあったのだろう。
だが自分の所為だと思い謝罪したいと考えるならば、それはその国の法の下で行われることであって、たとえ遺族が赦そうともそれで罪が消えて無くなるわけではない。あの件で奪われたのは「長谷川さん(鶴見) の妻子」ではなく「フィーナさんの生命」と「オリガの生命」だ。
ロシアに留まったソフィアには、そうしようと思えばいくらでも法の下で罪を償う機会はあった。遺族である鶴見に『全部…恨みだっタの?』(270話) と言い返してもいる。となれば今更、赦しを乞いもしないだろう。

ソフィア『
Ты мог бы выбрать другой путь…
Мог бы выбрать сам…
Если бы мы не приехали…
Другая судьба ждала бы тебя…
Прости
(違う道を選べた…
自分で選べたはずなのに…
私達が来なければ…
違う運命に…
ごめんなさい)』299話

【再訳】
アナタはもう一つの道を選べたはずだったのに…(実際にはそれが叶わなかった)
自ら選べたはずだったのに…(実際にはそれが叶わなかった)
もしも私達が到着していなければ…
もう一つの運命がアナタのことを待っていたでしょうに…
お赦しを…」

彼女が選んだのは「私を赦して(прости(те) [プラスチー(チェ)])」だった。

ちなみに「叶わなかった」と括弧で補足しているのは「過去の可能性への言及=実際には叶わなかった」反語表現のため。「起きられたはずだったのに…」は寝坊した人の台詞だもんね。
また「もう一つの…」という訳についてはいずれ単独で。

ロシア語解説:二人称代名詞 あなた/you

日本語では、最初の二行の日本語台詞『違う道を選べた』のも『自分で選べた』のも、その主体が誰か判然としない。ソフィア(私/I)かもしれないし、目の前にいる鶴見(あなた/you)かもしれないし、両方(私達/we)かもしれない。曖昧な表現にできるのが日本語だ。
一方、ロシア語では明確にそれが「あなた/you」…つまり鶴見であると示されている。

そしてソフィアは、長谷川先生(鶴見) への呼び掛けの「あなた/you」に「ты [トゥイ]」を使った。ロシア語の「あなた/you」は以下の二つ。

✅вы [ヴィ] ⇒ 敬称の「貴方あなた」もしくは複数形の「あなた達」。
✅ты [トゥイ] ⇒ 親称。個人的な繋がり。もしくは単数形の「あなた」。神への呼び掛けにもこちらを使う。当シリーズで「アナタ」表記にしてあるものは「ты」。

月島『Ты Светлана?(スヴェトラーナか?)』
スヴェトラーナ『Вы меня знаете?(私を知ってるの?)』185話
[トゥイ・スヴェトラーナ]
[ヴィ・ミニャー・ズナーイェチェ]

【再訳】
月島「アンタ、スヴェトラーナか?」
スヴェトラーナ「私をご存じでいらっしゃるの?」

両者の違いを日本語に落とし込むとこんな感じになる。月島は家出娘スヴェトラーナを「ты [トゥイ]」呼びし、スヴェトラーナ嬢は初めましての相手に常識的な「вы [ヴィ]」で返す。

(※ソフィアの謝罪が「プラスチーチェ」ではなく「プラスチー」なのは主語の違いによるもの。ロシア語は主語によって動詞の語尾が変化する。「вы [ヴィ]」の場合は「простите [プラスチーチェ]」。「ты [トゥイ]」の場合は「прости [プラスチー]」。力尽きて言い切れなかったのではない)

話を戻そう。
ゆえに、一般的に生徒から先生へは敬称の「вы [ヴィ]」が定石なのだけど、実はこれまで長谷川先生に対する二人称の台詞は一切出てきてなかった。今回のお題の台詞が最初で最後の二人称である。

長谷川先生を「ты [トゥイ]」呼びしたのはそれだけ仲良かった可能性もあるが、「вы [ヴィ]」だと複数形の「長谷川家全員」への謝罪とも受け取れるので、作者と監修が意図的に避けたのかもしれない。目の前の人にしか謝らせてはいない──と。

いずれにせよ単数形二人称なのだから、そこに『フィーナとオリガ』に対する謝罪は存在しないのだ。

展開:告解

これ、謝罪というより臨終告解である。

第5回で「прощай [プラシシャーイ]」という別れの挨拶は、直訳すると「赦して」で意味は「永遠にさようなら」なのだと説明したね。
もう会えそうもないから、思い残すことの無いよう、今までのあれこれ赦し赦されて別れる。臨終の告解の概念。死にゆく人が皆から赦され、自分も全てを赦す。罪は赦すもの。そういう文化からきている挨拶。「赦し赦されなければ死ぬに死ねない」のだ。

だから両者とも心境に変化があって謝ったり赦したりする気になったのではなく、勝敗がついたから最期の儀式に臨んでる。

『ごめんなさい』
『キミを許すよ』

…の流れは、告解の

「お赦しを…」
「赦します」

…であり、それはつまり…

「あぁ…私は死ぬのね…」
「そうだよ、永遠のお別れだよ」

…でもある。

考察:間に合わなかった赦し

外野である我々読者が「日本語と日本語文化が持つコンテクスト(共通認識) で」両者のやり取りを見守る限り、ソフィアと過去の長谷川さんの雪解けのようにも見えるが……全くそうではない。

死を受け入れたソフィアは、自然と自身の文化が口をついて出た。
そして、鶴見の偽りの姿である「長谷川さん」がその儀式に付き合ってやる。つまり赦しもあくまで「偽り」だ。

長谷川『Я прощаю тебя.(キミを許すよ)』299話
[ヤー・プラシシャーユ・チビャー]

鶴見本人はあの世に送った直後、ロシア語から日本語に戻って…

鶴見『キミのことは許した』299話

…と完了形で言う。

「赦し赦されなければ死ぬに死ねない」者に対し、赦しを間に合わせてやらなかった
日本文化ではどちらかというと罪は「赦すもの」というより「償うもの」だからだ。究極のところまで言えば「死をもって償う」ものだからだ。
ソフィアはあくまでロシア人であり、鶴見はあくまで日本人だった。

鶴見『
フィーナの死に際……私は彼女に自分の本当の名前を知って欲しくなった
決して「裏切りの告白」などではない
勘のいい妻なら分かってくれたと信じてる』270話

鶴見が臨終の妻に本当の名前を名乗ったのも告解だ。妻は「赦し赦されなければ死ぬに死ねない」文化圏の人だから。でもその妻は「赦します(прощаю [プラシシャーユ])」とは言わずに「永遠にさようなら(прощай [プラシシャーイ])」してしまった(どちらも原型は「赦す(прощать [プラシシャーチ])」)。

間に合わない赦しはすなわち呪いである。

あの日以来、鶴見は死ぬに死ねなくなって生き地獄を彷徨っている
額当てを着けた異形の姿となって尚



  1. ロシア語台詞は単行本を基本とします

  2. 明らかな誤植は直しています

  3. ロシア語講座ではありません

    • 文法/用法の解説は台詞の説明に必要な範囲に留め、簡素にしています

    • ポイントとなる言葉にはカナ読みを振りましたが、実際の発音を表しきれるものではありません。また冗長になるため全てには振りません

  4. 現実世界の資料でロシア側のものはロシア語で書かれたものにあたっています。そのため日本側の見解と齟齬そごがある可能性があります

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