キムチとクジラとコペルニクス
1 韓国から来たピルくん
「韓国人、ばかやろう」
「韓国に帰れ」
…クラスメイトにそう言われて以来、필(ピル)くんはもう何日も学校に行っていません。
ピルくんは、小学校6年生で、12歳です。
家の事情で日本に来て、もうすぐ1年になります。
ピルくんは、韓国が大好きでした。
おいしいキムチはあるし、学校の友達はみんなやさしかったからです。
でもピルくんは、もうすっかり韓国語を忘れてしまっていました。
そのことをピルくんは、とても悲しく思いました。
…どうして日本のクラスメイトは、あんなことを言うのか?
ピルくんは、とても嫌な気持ちになったことが忘れられませんでした。
韓国人のお母さんも、日本人のお父さんも、毎日夜遅くまで仕事をしていますから、ピルくんはだいたいいつも一人です。
今日も、食事代にいつももらっている五百円玉をにぎりしめながら、
「僕は大きくなったら、韓国に帰れるのか。それともこのまま日本人になるのかなあ」
とぼんやり考えているのでした。
2 教育実習のアユン先生
しかし、いつまでも学校を休んでいたら、お母さんやお父さんに迷惑をかけてしまいます。
ピルくんは気の乗らないまま、久しぶりに学校に行くことにしました。
「あれ?」
ピルくんは思わず声をあげてしまいました。担任の田中先生と一緒に、初めて見る若い女の人が教室に入ってきたからです。
「はい、今日から4週間、みんなに授業をしてくれるアユン先生です。ちゃんと言うことを聞いて、良い子にするように!」
と担任の田中先生が言うのに続けて、アユン先生が自己紹介をしてくれました。
「みなさん、おはようございます。아윤(アユン)です。生まれたのは韓国で、ちょうどみんなと同じくらいのときからは、ずっと日本に住んでいます。4週間、よろしくお願いします。」
そう言ってアユン先生は、深々とおじぎをしました。
韓国の先生!ピルくんはとてもうれしい気持ちになりました。
3 社会の授業
そんなある日の社会の授業です。担任の田中先生が後ろで座って見ている中で、アユン先生が授業をしてくれました。
「みんな、これが何だかわかりますか?」
と言ってアユン先生は、1枚の写真を見せてくれます。
わからないはずがありません。
キムチ!とクラスの元気な子たちが異口同音(いくどうおん)に叫びます。
「大正解!みんな、よく知っていますね。みんなが韓国の食べ物にくわしくて、先生はとてもうれしいです。」
「でも、キムチは元々は、赤くもないし辛くもなかったのです。知ってましたか?」
みんな、不思議そうな顔をして見回しました。アユン先生は続けて言います。
「そもそも、今のキムチがどうして赤くて辛いかというと、キムチを漬けるときに唐辛子の粉を入れているからです。ところが、昔の韓国にはまだ唐辛子がありませんでした。ですから、赤くて辛いわけがないのです。」
「唐辛子の原産地は南アメリカです。みんな、1492年にアメリカ大陸に到達したのは誰だったか、覚えていますか?」
みんなが一斉に手を上げます。アユン先生に指名された佐藤さんが、元気よく「コロンブスです!」と答えました。
「そのとおりです。コロンブスのアメリカ大陸到達をきっかけにして、もともとは南アメリカにしかなかった唐辛子は世界中に広まっていきます。」
「唐辛子は、まずは南アメリカからインドに行って、中国に行って、なぜか朝鮮半島には来ないで日本にもたらされました。秀吉の朝鮮侵略のときに日本から唐辛子が朝鮮半島に広まったという説があります。17世紀、つまり1601年~1700年くらいになって、唐辛子はようやく韓国に広まっていきました。今のような赤くて辛いキムチが作られたのも、この頃からです。」
「ですから、韓国の野菜と、南アメリカの唐辛子とが出会うことで、キムチはとてもおいしくなったのです。その他、くわしいことは配ったプリントに書いておきましたので、興味のある人はぜひ見ておいてくださいね。」
アユン先生はこんな風に、とてもおもしろい話を授業でしてくれるので、ピルくんはすぐにアユン先生のことが大好きになっていました。
ピルくんは、韓国のお母さんと日本のお父さんが出会って生まれた自分にも、キムチと同じで良いところがたくさんあるように思えたのでした。
4 理科の授業
また別の日。今度は理科の授業です。
アユン先生のこんな質問で授業は始まりました。
「みんなは、クジラの卵を見たことはありますか?」
クジラの卵…なんだかとても大きそうだなあ、などとピルくんが思っていると、クラスの中でもダントツで頭の良い鈴木さんが言いました。「先生、クジラは哺乳(ホニュウ)類だから、卵は産まないと思います。」
そうでした。ピルくんは恥ずかしくて顔を真っ赤にしましたが、ラッキーなことに誰も気づきませんでした。
「そうですね。さすがです。哺乳類なのに海にすんでいるのは、とてもおもしろいですね。」
「最初はお魚さんのように、生き物は海の中でしか生きられませんでした。それが、進化してカエルのような両生(りょうせい)類になり、爬虫(ハチュウ)類になり、やがては鳥類と哺乳類になっていきます。進化するにつれて、乾燥しているところでも生き物は生きていけるようになっていきました。」
「でも、イルカとクジラだけは、哺乳類でありながら、海に戻ることを選択したのです。もちろん哺乳類ですから、肺で呼吸をします。お魚さんのようなエラ呼吸ではありません。有名な「クジラのしおふき」は、クジラが海面に出てすぐに空気を吐き出すために、まだ体についている海水や、鼻の穴のくぼみにたまっている海水が、霧(きり)のようにふき飛ばされて白く見えている現象です。」
そう言ってアユン先生は、写真を見せてくれました。
「クジラの祖先はカバなどの仲間から分かれていったと考えられています。大昔には、陸上を 4 本の足で歩いていたのです。海にすむようになるととともにしっぽが発達する一方、後足は退化してしまいました。その証拠に、クジラのお腹の中をCTスキャンで見てみると、後足を支えていた骨盤のなごりを観察することができるのです。…またいつものようにプリントを配っておきますから、ぜひ読んでくださいね。」
今日のアユン先生のお話しも、とってもおもしろかったなあ…とピルくんが考えていると、授業の最後に、なんとなくアユン先生と目が合ったような気がしました。
アユン先生は、最後にこう問いかけて、授業を終えました。
「せっかく乾燥に耐えられるようになって、陸地に出てきたのに、イルカやクジラはどうして海に戻ったんだろうね?」
ピルくんは、給食の時間になっても、家に帰ってからも、アユン先生のこの質問が頭から離れませんでした。
ピルくんも、韓国から日本にやってきて、将来はこのまま日本にいるかもしれませんし、イルカやクジラが海に戻ったように、韓国に戻るのかもしれません。でもそれは、自分の意思で自由に決めればいい、そんな気がするのでした。
5 最後の授業
夢のように楽しかった4週間は、あっという間に過ぎてしまいました。
今日は、アユン先生の最後の授業です。
「みんなは、コペルニクスという科学者を知っていますか?私は、コペルニクスのことをとても尊敬しています。」
そう言ってアユン先生は、いつものようにイラストを見せてくれます。
「昔は、地球が宇宙の真ん中にあって、太陽のほうが動いている、とみんなが信じていました。これを天動説(てんどうせつ)と言います。でもコペルニクスは、そうじゃない、太陽が動いているんじゃなくて、地球のほうが動いているんだ、という地動説(ちどうせつ)という考え方を世界で初めて言ったのです。1543年のできごとです。コペルニクスは、地動説について書いた本を出版した同じ年に、70歳でこの世を去りました。」
「みんなが信じているからといって、その考えが正しいかどうかはわかりません。そんな中で、自分が正しいと思う、みんなと違う意見を言うのは、とても勇気が必要だったと思います。実際、地動説を支持したガリレオ・ガリレイが、宗教裁判にかけられた話は有名ですね。」
「私は、みんなにコペルニクスのように、みんなが信じているからではなくて、自分が正しいと思えるかどうかをちゃんと考えられる、そして、どんなにまわりの意見が違っていても、自分が正しいと思えることを、正しいと思うときちんと伝えられる大人になってほしいと思っています。4週間、本当に楽しかったです。ありがとうございました。」
最後の最後まで、アユン先生はやっぱりアユン先生でした。
あれから10年近くが経って、ピルくんはコペル、アユン先生はアヤ先生と名乗って、二人でコペルくんwithアヤ先生、というコンビを組むのですが、それはまた、別のお話しで。
(参考文献)
「ぼく、いいものいっぱい」編著:善元幸夫、絵:丸山誠司、子どもの未来社
「教育のなかのマイノリティを語る」前川喜平他5名、明石書店
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