Giovanni Mori ISHI

Giovanni Mori ISHI

最近の記事

戦慄の未来絵図

もう国際関係の事は書かないと宣言したか、さっき突然今まで考えも及ばなかった、「戦慄の未来図」に思いが及んでいてもたってもいられなくなった。こんなことは決して起こらないと誰か説明してほしい。自由世界はもうこれで詰んでしまった気がする。 今回のウクライナの一件の、最終的に利益享受者は中国なのではないだろうか。「実力行使」というやってはいけないカードを、衝動的に切ったプーチンの命運は、今日もいろいろ考えたが、たぶんこれで尽きた(なんか体の調子でも悪いんじゃないか)。もしNATOや

    • 最後にもう一度 ウクライナ問題に寄せて(フィリップ・パウエル[西澤龍生訳]『憎悪の樹』を思い出した)

      もう一筆だけ書かせてください。どんな筆禍があるかわからないので、「超えてはならない一線を越えてしまった」プーチンの行動を是認するつもりは一切ないことだけ場前置きとして書いておきますが⋯ こんなことをしつこく書いてきたのも、ウクライナの一件が始まってから、日ごろ理知的で高い見識に感服している多くの人たちが、「とにかくロシアは悪だから悪なのだから、何が何でもたたかなければならない」というに等しい不合理なことを、ごく普通に言っているのに違和感を感じてならなかったのです。とにかくそ

      • T先生への手紙 (5度 ウクライナ問題から考える)

        ウクライナ問題について、知人のT先生に宛てた「手紙」です。これまでの自分の思索・考察の集大成でもあるので、記録のためここに掲載します。 「先生はウクライナのNATO入りを推奨されるのですね。それなら自民党の改憲案に賛同して、日米安保を双務条約に変えることに同調しなければ、論理的に自己矛盾していますよ(アメリカに守ってもらえなければ自国は守れないと確信するということでは、おなじでしょう)。昨日一昨日の、プーチンの態度で、彼を擁護する気はすっかり失せましたが、それでもマクロンが

        • 四度 ウクライナ問題をきっかけにした雑感

          こんなことを、ロシア討つべしという論調で、右も左も熱狂している現状で書くと、そろそろ本当に非国民扱いされそうな危険を感じるが(そして、そういう非難されるべき行動を起こした某国を、道義的に擁護しているわけではないことは改めて付言しておく)⋯⋯ ずいぶん前、森永卓郎がテレビの討論番組で、タカ派的論調の人から「そんなこと言って、外国が問答無用で攻めてきたらどうするんですか」と問い詰められた時、ためらうことなく「かなわなければ、即座に白旗を掲げて降伏すればいい」と答えたのに、私は感銘

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          読書百冊 第31冊『水道、再び公営化⋯欧州、水の闘いから日本が学ぶこと』(岸本聡子)

          友人の起業家・投資家で、長年の私の思考の刺激薬になってくれている人が、あまりに公共事業全体の民営化を主張するので、反論の材料を見つけるために読んでみた。彼はそれこそ、TPP参加推進論者だし、規制の徹底的緩和論者だし、緊縮財政論者だし、公営事業民営化論者だし、社会福祉ベーシック・インカム代替論者だし⋯要は日本を全面的にアメリカみたいな社会にしたいと思っている人です(だから大学の事業も全部英語化)。実際私の大嫌いなT中H蔵氏の、「知り合いの知り合い」くらいな人。でもこの40年来の

          読書百冊 第31冊『水道、再び公営化⋯欧州、水の闘いから日本が学ぶこと』(岸本聡子)

          なぜウクライナの話にここまでこだわるのか

          なぜウクライナの話にここまでこだわるのか。一連のニュースが耳に入り始めた時、奇妙な違和感、もっと言えば既視感を感じたからです。それは、リビア政変やイラク戦争開始の時と同じだということです。つまり真偽定かならぬ情報が錯綜し(イラクの場合だと「大量破壊兵器問題」)、その中である政権が〈絶対悪〉に同定され、問答無用に戦争が始まっていく。ポイントはカダフィもサダムも、決して白い手の善人ではない、たたけば埃はいっぱい出る指導者だったということです。ただそれだけでは、国際政治から

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          映画『牛首村』見てきました

          公開初日に「牛首村」を見に行った 個人的には結構怖かった。「犬鳴村」「樹海村」と村シリーズ全制覇 北陸の実在最強ホラースポットということだが、最初に思い起こしたのは「牛首紬」で有名な(これはとっても高い)、白山の山中の白峰村内の旧村落。確かに古い山里だが、今では五箇村や白川郷みたいなほのぼの民芸スポット(ただし昔はかなり貧しい山里だったとも聞く)で、あまり心霊スポットという感じではない。解説によると撮影場所は、富山の坪野鉱泉というところの廃墟らしい。 面白いのは、たぶん今

          映画『牛首村』見てきました

          「優劣のランキング”が、やがて“人権がない、生まれてこない方がいい”に…SNSや日常に顔を覗かせる「優生思想」」という記事に触発されて。

          2月18日の「優劣のランキング”が、やがて“人権がない、生まれてこない方がいい”に…SNSや日常に顔を覗かせる「優生思想」」という記事(https://news.yahoo.co.jp/articles/d17144ce4d66f4edfb444c6d1036068a356c33ab?page=4)に触発されて。 「格付け」という言葉でありとあらゆるものを指標化していく政治体制は、それが全体主義だろうと新自由主義だろうと、結局同じところに収束してしまう。 『新約聖書』に「タ

          「優劣のランキング”が、やがて“人権がない、生まれてこない方がいい”に…SNSや日常に顔を覗かせる「優生思想」」という記事に触発されて。

          読書百冊 第31冊 K・ブールダッハ『宗教改革・ルネサンス・人文主義』創文社

           以前にも書いたとおり、私に大きな影響を与え、イタリア・ルネサンス研究にみちびいてくれた書籍の一つ。恐らくこれに続いて紹介するであろう、エリアーデが『永遠回帰の神話』に語るように、四季の巡りに伴う植物の発芽・成長・衰退・死滅・再生のサイクルや、月の満ち欠けを下敷きに、始原の時代以来我々人類は、自己の死の克服=再生を目指して、精神的たると物質的たるとを問わず、様々の努力を重ねてきた。宗教そのものが、そうした人間の根源的努力の凝縮されたものと言えるだろう。だが西洋文明の根源におる

          読書百冊 第31冊 K・ブールダッハ『宗教改革・ルネサンス・人文主義』創文社

          読書百冊 第30冊 井上大輔『マーケターのように生きろ』 東洋経済新報社

          先日ゲーテの言葉を紹介する『いきいきと生きよ-ゲーテに学ぶ』という本を紹介した(読書百冊 第29冊)。そこで私は「いきいきと生きる」つまりは、創造的に生きるためのゲーテの知恵の神髄を、「人間のことを考えるな、事柄を考えよ」という彼の言葉を軸に、いい意味で自分本位に、自分の物差しを信じて生きていくことだと紹介した。今回紹介する本は、それとは一見正反対のスタンスを推奨する本である。「マーケターのようにいきる」とは自分が目指す価値の決め手を、自分の外の他人に預けてしまうこと

          読書百冊 第30冊 井上大輔『マーケターのように生きろ』 東洋経済新報社

          読書百冊 第29冊 手塚富雄『いきいきと生きよ-ゲーテに学ぶ』

          「いきいきと生きよ」⋯題はなんだか、昔懐かしい感じであるが、今でも決して古びることのない滋養豊富な書。初版は1968年だから、私がこの書を初めて手にしたのは1978年、その時点ですでに二十数版も版を重ねていた。私のささやかな生活の歩みの中でも、これまで何度かあった精神的危機(というと大げさかな)を支えてくれた本の一つだ。この書がゲーテの言葉を通じて我々にすすめる、「いきいきと生きる」とは言いかえれば「前向きに生きる」「生産的に生きる」、「自分が育つように生きる」ということだ

          読書百冊 第29冊 手塚富雄『いきいきと生きよ-ゲーテに学ぶ』

          読書百冊 第28冊 吉田修一 『パーク・ライフ』

          古書店の100円コーナーを漁って「見どころのある」本を見つけることが、道楽の一つである。そうやって見つけた本の一冊が本書。何か雰囲気があり、直観に促されるままに購入。著者の吉田修一氏が芥川賞作家で、本書所収の同名作品がまさに芥川賞受賞作であることを後で知った。ただこの作品をどのように批評してよいかわからない。だがなんとなく面白い。その自分にとっての「なんとなく」が何なのか、少し考えてみよう。  「モナドには窓がない」というライプニッツの有名な言葉がある。世界の散在す

          読書百冊 第28冊 吉田修一 『パーク・ライフ』

          読書百冊 第27冊 エウジェニオ・ガレン(清水・斎藤 訳)『イタリア・ルネサンスにおける市民生活と科学・魔術』

           この本を書棚から取り出し、一ページ目を開いたとき目に飛び込んだのが、1984年9月30日という、はるか昔に記した本書読了の日付だ。先回紹介したシャステルの書と同様、これもしばらくぶりの再読である。初読の際以来ずっと私のルネサンス研究の指針になっていたはずの書であるが、こうやって改めて読むと長年心にとどまり続けていたのはもっぱら、最終論文「ルネサンス文化における魔術と占星術」だけだったことがわかる。 この論文に描き出された宇宙の根源をなす生命原理から刻一刻生成される秩序に拘

          読書百冊 第27冊 エウジェニオ・ガレン(清水・斎藤 訳)『イタリア・ルネサンスにおける市民生活と科学・魔術』

          読書百冊 第26冊 アンドレ・シャステル(桂芳樹訳)『ルネサンス精神の深層』 平凡社

           マルシリオ・フィチーノを〈開祖〉とするフィレンツェ新プラトニズムの潮流が、ルネサンス芸術に対して与えた決定的影響は、この間我が国においても喧伝されて久しい。だがそれはもっぱら、美術史学の側からの言及であって、その影響の招待である思想そのものについての紹介は、依然乏しいと言わねばならない。新プラトン主義の盛行に先行し、その出現の前提となった人文主義の思潮が大学の講壇ではなく、もっぱら在野の文人の文芸批評運動から勃興したものであるため、哲学史の系譜に位置付けることが困難であるこ

          読書百冊 第26冊 アンドレ・シャステル(桂芳樹訳)『ルネサンス精神の深層』 平凡社

          読書百冊 第25冊 西岡文彦『ビジネス戦略から読む美術史』新潮新書

           特にルネサンスの絵画と幻術化に関する逸話をはじめとして、内容的には大半知っていることばかりで、あまり面白くなかった。ただこうした既知の情報を、冒頭の「美術品が売れれば、売れない商品はない」をはじめ、いくつかのキイ・コンセプトを、〈額縁〉にすることで、関心を引くストーリーに再構成することにより、広い読者層に〈売れる〉読み物を仕立て上げているのには興味をそそられる。  もう少し言えば、少数の人に依存する注文製作から、多数の買い手により構成される市場でのマーケティングに基づく販

          読書百冊 第25冊 西岡文彦『ビジネス戦略から読む美術史』新潮新書

          読書百冊 第24冊 堤未果『デジタル・ファシズム』

          相変わらずの堤節だが、アメリカの話ではなく日本で現在進行形で起こっていることについての継承ということで、いっそう身につまされるのは確かだ。ありとあらゆることを貨幣に置き換えるのがこれまでの資本主義であったとすれば、貨幣に置き換えられた現実をさらに電子情報に置き換えることにより、より一元的にコントロールしていくことを目指すのが、21世紀の電脳社会というものであろう。  そうした社会がもたらす多様性に期待する支店はもちろんあるだろうが、上に「一元的にコントロール」と書いたように

          読書百冊 第24冊 堤未果『デジタル・ファシズム』