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読書百冊 第30冊 井上大輔『マーケターのように生きろ』 東洋経済新報社


    先日ゲーテの言葉を紹介する『いきいきと生きよ-ゲーテに学ぶ』という本を紹介した(読書百冊 第29冊)。そこで私は「いきいきと生きる」つまりは、創造的に生きるためのゲーテの知恵の神髄を、「人間のことを考えるな、事柄を考えよ」という彼の言葉を軸に、いい意味で自分本位に、自分の物差しを信じて生きていくことだと紹介した。今回紹介する本は、それとは一見正反対のスタンスを推奨する本である。「マーケターのようにいきる」とは自分が目指す価値の決め手を、自分の外の他人に預けてしまうことである。それでもなおこの本をしようかいしようとするのは、この本で推奨される「マーケターのように生きる」という視点と、私がゲーテをネタに感じ取った「自分本位に生きる」ことが、決して矛盾することではない、もっと言えばはるかかなたの点で合致してしまうと考えるからである。

  
    自分自身の物差しを作り、自分を深め育て生かしていくということと、この世の中で役割を果たし、他の人たちと一緒に価値を創造していく、別の言い方をすれば他の人と共に生きていくということが、同じ人間の活動に別の側面から光を当てているに過ぎない。本書の中で著者は、「マーケターのように生きる」とは「職場で求められる人」になる、個性とは「人の期待に応える」ことによって作られていくものだと、断言してはばからない。そしてそのように世から「求められる」ようになることにこそ、人の幸せの本質があるという。そしてそのような生き方を実現するためには、人が今何を求め、何を欲しているかを的確に探り当てなければならない。当然ながらマーケティングとはそのような人間の営みのことである。


    でも、こんな生き方をすればゲーテが説いたような、「いきいきとした」生の条件である、自分の生活や選択の主導権を自分で握ることとは反対に、それを他人に握られてしまうことではないか。そうなる場合も少なくない。というか、そうした根無し草のような生き方をすることが、「マーケターのように生きる」ということだと勘違いする人も多いだろう。だがそうなってしまうのは、その人に自信をもって「売りたいもの」がないからだろう。「売りたいもの」がしっかりあり、それを買ってもらうためにはどうすればいいのか、という視点が生まれてくれば、「マーケターのように生きる」ことそのものが人生の真の主導権を、世間を相手に手に入れていくことだということが分かるだろう。そこにあるのは、自分だけの殻に閉じこもってしまおうとする自我と、そうしたものを絶えず粉々に破壊してしまおうとする、外界との緊迫したせめぎあいを自分の中で繰り広げていくということだ。そうしたせめぎあいを、単に葛藤として苦しむのではなく、自分に対する一つの挑戦として楽しむことができれば、我々の世間の中での生の営みは、もっと歓びに満ちたものとなるだろう。中世社会のしがらみを脱却し、最高度に個性的な存在となることを目指しながら、そのこと自体を通じて社会の中で活動する公人となることに自己の完成を追求したルネサンス期の市民的人文主義者(彼らこそゲーテに結晶する西欧の古典主義的性の達人の原型である)こそ、そうした生の歓びの発見者たちだった。


    もちろんゲーテの生き方を踏まえて言及したように、外からの解体する挑戦的力に対抗し続けるためには、絶えず自分を掘り深め続けていなかければならない。本書の著者井上氏も、「働き手としての人生は「自分という商品」を生涯かけて作り上げることだと、いみじくも言っている。だがどんな商品でもそれ作ること売ることは、実は不即不分離のもののだ。売るために作るのだし、売れるから作るのである。では、そうした一連の売ると作の流れの中で、どうやったら「売る」ことができるのか、マーケッティング論として原則化されているものを踏まえ、その目の付け所を教えましょうというのが本書である。


    いろいろな観点がある、「誰に売るか」(市場の定義)がない販売はうまくいかない。「客が何を望んでいるか」、表面的な望みか、隠されている望みを引き出すか、はたまた客の中にそれまでなかった望みを作り出すことだってできるかもしれない(価値の定義/価値の創出)。今度は、市場の定義や価値の定義を念頭に、自分の持っている資源をそうした顧客の欲求の実現のためにどのように使えるか。だが最後は、相手が望んでいることを実現するために、自分という商品が有益であることを知ってもらわなければならない。その部分が本書の中で一番心に突き刺さった。井上氏はこうまとめている。覚えてもらう→好きになってもらう→選んでもらう。


     先に別の本『企画』(読書百冊 第23冊/これもまた自分が着想した「企画」という、自分の分身を売り込む話である)を紹介した時、どんなくだらないものでも、みっともないものでも思いついた企画はなるべく公にするという話を紹介した。「何かをしました」ということ自体が、その人のキャリアになる(何もしなければゼロである)し、「キャリア」があればそれがどんなキャリアであろうとも、自分を知ってもらえる。それによってチャンスは加速度的に増える。つまり覚えてもらえるのである。更に単に知ってもらえるということを、覚えてもらうに深めるために、「繰り返す」「自分ごとにしてもらう」「心を動かす」という段階を設定しており、これは大変興味深いが長くなるのでここでは流そう。こうした形で顧客の中に、自分(の商品)が揺るがぬ場所を占めるようになれば、「好きになってもらう」「選んでもらう」という最後のステップのではあと少しである。「商品の中身」で勝負できるのは、ようやくその段階になってからなのだ。これは単に目に見える商品を売るというだけの話ではない。生きるということは、常にだれかと何かを公刊していくということである。「マーケターのように生きる」ことはむしろ。常にこちらから人生の主導権を奪い取っていこうとする、資本主義的交換社会の中で、自分の立ち位置を見失わず、常に取引の主導権を握りつつげるための、「奥の手」なのである。

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