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読書百冊 第26冊 アンドレ・シャステル(桂芳樹訳)『ルネサンス精神の深層』 平凡社

 マルシリオ・フィチーノを〈開祖〉とするフィレンツェ新プラトニズムの潮流が、ルネサンス芸術に対して与えた決定的影響は、この間我が国においても喧伝されて久しい。だがそれはもっぱら、美術史学の側からの言及であって、その影響の招待である思想そのものについての紹介は、依然乏しいと言わねばならない。新プラトン主義の盛行に先行し、その出現の前提となった人文主義の思潮が大学の講壇ではなく、もっぱら在野の文人の文芸批評運動から勃興したものであるため、哲学史の系譜に位置付けることが困難であることにもよろう。こうした状況の中で、美術史家でありながら他の美術史家と異なり、背景にある思想を、一段深く掘り下げた地層から造形の歴史を見ようとする独自の学風を持つシャステルのフィチーノ論が、そのような形で我が国に紹介されたことは、我が国におるフィレンツェ新プラトン主義研究の深化の、重要な里程標になる仕事だと思う。


 私が看取したこの書の議論の核心だけを取り上げたい。ルネサンスの思潮を語るにあたって、アリストテレス哲学の復興に依拠した中世末期のスコラ哲学の隆盛との対比において、プラトン哲学の復興がしばしば語られる。ペトラルカのプラトン評価にもみられるように、そうした胎動が欠けていた訳ではなかったにせよ、14世紀末から15世紀初頭の初期人文主義を通じた、古代の思想家文人の再発見において、プラトンに必ずしも特権的な地位が保証されていた訳ではなかった。そもそも未だギリシア語を自在に読みこなすことのできなかった初期人文主義者にとり、彼らの運動の典拠となったのはむしろ、キケロやセネカのそれに代表される都市共和国の実践的思想であり、さらに掘り下げればそうした実践的思想に思想的枠組みを提供した、『政治学』や『ニコマコス倫理学』に代表されるアリストテレスの説く公民の徳であった。


 もちろんペトラルカのキケロ批判に伺われるように、キケロの中のプラトンの深い影響(まさにそれこそがアウグスティヌスをして、キケロ読書を契機にその宗教性への「回心」へと向かわせたゆえんであるが)を示唆する現世超脱的側面に焦点を当て、キケロにおける過度の実践性を批判する方向性は当然存在した。だがまさにこうしたペトラルカに代表されるキケロの崇拝とキケロ批判の併存こそが、前者の『わが心の秘めたる戦いについて』に露呈するような、ルネサンスの両面性を示している。観想生活と行動生活の間の優越論争に凝縮されるような、精神の水平性と垂直性の均衡の統御の緊張感こそ、ルネサンス思想の最大の魅力といってもよいかと思う。


 こうした精神の水平性と垂直性の行動生活と観想生活の、端的なる焦点となるのが〈美〉であろう。美が美たり得るのはそれを担う形象が、物質性・時間性を帯びたものでありながら、そのまさに物質性・時間性を通じて超越や永遠の厳存を、この世に提示するものだからである。美は孤絶した個人の内面の直観ないしは霊感を介して把握されるものでありながら、同時に美を享受する社会を構成する集団の評価により定着するのである。ルネサンス思想の両面性の焦点としての美の思想の完成者として、アルベルティの名を上げたい。建築を基盤としつつ絵画、彫刻にまで及び彼の芸術観は、数学的な比例や均衡の物質を通じた可視化をその根本理念とする点で超越性を内包しつつも、建築という最も社会性の高い芸術を基盤にする点において、芸術を人間が相互交流を実現する触媒として果たす社会的機能をいっそう重視する点で、彼の美学思想は正に同時代のサルターティやブルーニの市民的人文主義に基づく政治思想の対応物となっている。


 美学思想におけるフィチーノのもたらした革命とは、ある意味こうした〈中庸〉の徳に基づく判断基準を、プラトンへの(もっと端的に言えばプロティノスやプロクルスの如き新プラトン主義者への)排他的とも言える高い評価を導入することにより、木っ端みじんに打ち砕いてしまったところにある。こうした観点からすれば、我々は我々の存在の真義(その基準となるのは社会との関係ではなく、超越者ないしは〈神〉との関係である)に到達するために、いったんは己を外部のしがらみから(社会的存在としても、認識の主体としても)徹底的に遮断し、自己を宇宙と共鳴させる内奥の生命力を掘り当て、これと一体化しなければならない。その意味でフィチーノの思想は確かに、一面社会を拒絶する思想ではある。


 だがここで考え直さなければならないことは、詩歌はもちろんあらゆる造形的物に対して、イデア説の立場から不信の目を向けがちであったプラトン自身と比べて、フィチーノが不可視の超越的なものへと意識を飛躍させる縁として、象徴的なものの源泉としての芸術に、至高の地位を与えていることである。アルベルティ的な社会と個人の、水平と垂直の、時間と永遠の〈中庸〉に基づく巧妙な統御を拒絶したことにより(まさにこうした拒絶こそが、フィチーノが自身の守護性とした土星のメランコリーであり、その最大の継承者ブルーノ―が説く処の、エロスの沸騰に支えられた「英雄的狂気」に他ならない)、フィチーノの思想においては、不可視の超越性への精神的飛翔と、物質的感覚性としての視覚的美への惑溺(耽美という言葉を使ってもよい)という両極端が、高速度で錯綜し合うことになる。


 フィチーノにおけるこうしたプラトン思想の密やかな変形(それは西洋思想史上の〈事件〉と称してもよい)を実現する補助線となったのが、古代エジプトの仮想の哲人ヘルメス=トリスメギストスの残した文書に淵源するという、一連の錬金術的・占星術的・魔術的文書=ヘルメス文書に他ならない。ヘルメス主義と新プラトン主義の思想的形象関係を説明する能力は筆者にはない。恐らくは古代の土俗的自然学が、自己の威信の賞揚と体系化のために、エリートの思想である同時代の新プラトン主義を、貪欲に消化した中で誕生したのがヘルメス主義であったのだろう。だが伝承に基づきフィチーノと彼の信奉者たちは、新プラトン主義とヘルメス主義のこうした継承関係を逆転させ、ヘルメス(エジプト)を以てプラトン(ギリシア)に先行する秘教知の淵宗と仮定し、更にはこうしたヘルメス→プラトン→キケロと連なるヨーロッパの精神史を、並行史の展望のもとアブラハム→ノア→モーセ→イエスと継承されるユダヤ・キリスト教世界の精神史、更にはイランのゾロアスターやインドのヨーガ行者たちの知的系譜とも接合させることにより、独特の普遍的世界精神史の構図と展望を描き出した。


 そうした歴史像を背景に、将来の出現が予想される(それもいつであるかが大きな問題なのだが)究極の普遍宗教と、彼らヨーロッパ人にとり最終の宗教とされてきたキリスト教との関係を、ルネサンスの思想家たちがどう処理してきたのか(ここで考察の鍵として、キリスト教自体の内在的克服を唱えるヨアキム主義の果たした役割が重要となるのだが)は、大変重要な論題となるのだが、これについて語ることは別の機会に残したい。ここでむしろ強調したいのが、ヘルメス主義においても新プラトン主義と同様に、真の自己の発見としての宇宙の真実在への内在的飛翔(還帰)が強調されるのは無論だが、そうして再合一した宇宙の真実在の活動に伴う世界の創出(流出)に、かかる再合一を介して個々人が参与する可能性が開示される点である。つまりヘルメス主義の宇宙観=個体観にあっては、単に内的感想を通じて、事後の真実在を発見するという上昇の過程のみならず、こうした宇宙を支配する真実在の生成の働きを分担するという、下降の過程が常にセットとして用意されていることになる。


 霊感を通じてこの上昇と下降の過程を実践することにより、世界を「意のままに」操作する能力を備えた存在が魔術師であるが、その意味でいえばもっとも魔術師らしい魔術師は芸術家に他ならなかった。自然がさまざまの産物をその真実在の原理に従い産出するのに似て、芸術家は自身が感得した原理に基づき様々の作品を想像するのである。かのレオナルド・ダ・ヴィンチが魔術師レオナルドと称されるのも、正にこの芸術家=魔術師像を下敷きにしての事であった。だがヘルメス主義者はそれを敷衍して、ありとあらゆる技法(arte)による事物の創造を一種の魔術と位置づけるのである。戦争の技法により、ある合戦において輝かしい勝利を収める将帥も魔術師なら、ある民族を創始しそれに不壊の国家体制を付与する建国者=立法者もまた、こうした広義の魔術師と称し得る(こうした観点からの芸術と政治の等質性の認識に関する、西欧思想史の伝統についてカントロヴィッチは「芸術家の王権」(論集『祖国のために死ぬこと』所収)において、明晰な整理紹介を行っている)。


 マキアヴェッリは『ディスコルスィ』のI-10において「すべての称賛に値する人々の中で、ひときわ尊敬を受けるべき人物」として、宗教の創始者、王国や共和国の創建者、勝利に輝く将帥、名著の執筆の哲人、更にはそれぞれ各々の技芸に従い優れた成果を世に送り出した者の序列について語っている。その点において彼の思想が通常、フィチーノに代表されるフィレンツェのヘルメス主義的新プラトン主義の観想の優越に対する実践的批判と評されるにもかかわらず、実はフィチーノに由来するヘルメス主義的新プラトン主義の世界観を、その発想の基層に据えていることは看過し得ない事実である。


 実践的思想家マキアヴェッリが、こうした思想圏から出現し得たというのも、流出/回帰の相互性に支えられたヘルメス思想をそこに挿入することにより実はフィチーノが、超越性-観想性を本来の方向とするプラトン主義を、フィレンツェの新プラトン主義という異質なものに転換し、それを世界の根底的変革のための実践の技法へと変質させたからである。魔術師理念を導入することでフィチーノらフィレンツェ新プラトン主義者たちは、実践生活と観想生活を創造を介して止揚する、市民的人文主義風の実践生活と観想生活の〈中庸〉を媒介とした統御とは全く異質な人間観に到達したのだった。この世界の根底的変革の思想としての魔術という理念が、16世紀から18世紀に至るヨーロッパの精神史の冒険を、どれほど刺激し続けたかを測定することは、極めて魅力的な仕事となるだろう。


 本書が刊行された直後一読してから30年ぶりの再読。だがこの再読により、これまでのっぺりとした連続の相でとらえていた、アルベルティやサルターティの仕事とフィチーノの仕事の間に、後者が持ち込んだ本質的な転換につき新たな認識を得、ルネサンスの芸術と思想の相関に対するシャステルの理解の深さを改めて堪能できた。本書「あとがき」で訳者の桂芳樹氏は、シャステルという知の巨人の業績がいまだ我が国に紹介されていないことを嘆いておられる。その後『ルネサンスの危機』『ルネサンスの神話』『ローマ劫掠-1527年 聖都の悲劇』などいくつかの著作が翻訳紹介されたのは確かであるが、彼の代表作『ロレンツォ豪華王時代のフィレンツェの芸術と人文主義』は依然未紹介のままである。同書をはじめ、シャステルの業績のさらなる紹介が待たれる。

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