四度 ウクライナ問題をきっかけにした雑感

こんなことを、ロシア討つべしという論調で、右も左も熱狂している現状で書くと、そろそろ本当に非国民扱いされそうな危険を感じるが(そして、そういう非難されるべき行動を起こした某国を、道義的に擁護しているわけではないことは改めて付言しておく)⋯⋯
ずいぶん前、森永卓郎がテレビの討論番組で、タカ派的論調の人から「そんなこと言って、外国が問答無用で攻めてきたらどうするんですか」と問い詰められた時、ためらうことなく「かなわなければ、即座に白旗を掲げて降伏すればいい」と答えたのに、私は感銘を受けた。案の定、列席者から総スカンを食らっていたが、内紛国の悲惨な状況を見れば、「負けるが勝ち」としか思えない。平和主義を突き詰めていけば、究極ではそういうことになると思う。武力で攻めてきたから、武力でやり返すのでは、武力行使の無限連鎖に陥るだけだと思う。ましてや、弱い国が強い国の力(外国援軍)だけを当てにして、別の国と対抗しようなどという考え方は、マキアヴェッリも下の下策と言っていることだ(なんでもマキアヴェッリでは芸がないと我ながら思うが、この間の世界外交の展開において、彼の発言が物事の核をえぐるような事例があまりに多いことに、我ながら驚いている)。そんなことをしても、戦後援軍を出した側の食いものにされてしまうのがおちだ。援軍を使うなら、派遣する側から「どうか援軍を出して応援させてください」とでも、言わせるようでないとダメでしょう。そのためには恐ろしいことに、自力で何万、何十万もの犠牲を払い続けないといけなくなる。実際日中戦争の時に中国は、それだけの自己犠牲を払っているから、援軍を出した米英と対等の立場を、戦後確保できているのだ。森永の「攻められたら白旗を掲げろ」という極端な発言は、抵抗する側が自分たちにそれだけの犠牲払えるだけのものを持っているかを、問うているのだと思う。

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