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読書百冊 第29冊 手塚富雄『いきいきと生きよ-ゲーテに学ぶ』

 「いきいきと生きよ」⋯題はなんだか、昔懐かしい感じであるが、今でも決して古びることのない滋養豊富な書。初版は1968年だから、私がこの書を初めて手にしたのは1978年、その時点ですでに二十数版も版を重ねていた。私のささやかな生活の歩みの中でも、これまで何度かあった精神的危機(というと大げさかな)を支えてくれた本の一つだ。この書がゲーテの言葉を通じて我々にすすめる、「いきいきと生きる」とは言いかえれば「前向きに生きる」「生産的に生きる」、「自分が育つように生きる」ということだ。


 さらに言えば「自分が育つように生きる」とは、価値や判断の揺るがぬ基準を自分の中に育てるということでもある。それは容易なようで実は決してたやすいことではない。なぜなら、我々がふつうその中に組み込まれている世の中の仕組みが、人と人の絡み合いの中で作られているからだ。率直に言えば誰だって、人より高く評価されれば得意になり、誤解されれば憤慨し、蔑まれれば屈辱に傷つけられる。つまり自分の喜怒哀楽のボタンを、他人とその評価にゆだねてしまっているのだ。そしてこのように自分の生活の主導権を他人に引き渡してしまうことからともすれば、中身の伴わない空虚な見栄を維持することに心を煩わせたり、物事がうまくいかないことの理由をすべて他人に押し付けたり、逆に自分に与えられた条件(富とか才能とか、あるいは他の何でもよい)の乏しさに絶望したりしがちである。


 こうした心理傾向は、それこそ人類の営みの初めからあったことだが、近年の情技術革命と共に到来しつつある「評価経済社会」という形で、急激に加速されつつある。もちろんそれをネガティブにばかり捉えるべきではないかもしれない。だが、自分の存在や活動のありとあらゆることが、他人(世間)の評価により測定され、逆にそうした評価値を高めることにのみ我々の行動が集中していくことは、本当に我々の持っている生の潜在力を開花させていくことにつながるのだろうか。この何年久しく手に取らなかった本書を、改めてひも解いてみようと思った深層心理には、こうした自分を取り巻く環境に対する焦燥のようなものがあったのかもしれない。


 繰り返しになるが、むしろ加速度化しつつあるこの評価社会から我々は抜け出すことはできない。だがだからこそそれを出し抜いていくために、自分の中に自分を評価する絶対的な物差しを育てていく必要があるのではないか。そしてそうした自分自身で自分自身を積極的に評価する物差しを持つことこそが、人間の教養であり、「いきいきと生きる」ことを取り戻すことなのではないか。そうした自分自身の価値の物差しの育成こそが、ルネサンス以来の西欧の人文主義的教養の眼目であり、ゲーテがまさにそうした教養人の究極の存在として、旧制高校の教養文化においても神格化された理由が納得できる。


 難しいことを言っているようだが、要点は簡単だ。人間どんな年齢、どんな環境、どんな才能のもとにあっても、自分の生を「良く生かして行きたい」という志を持ち続け、そのための具体的・現実的・実践的努力をたゆまず重ねていけば、そこに必ず十全なる自己充足としての安心立命を感じ取ることができるということだ。そしてそれこそがまさに「いきいきと生きる」ということに他ならない。もちろんその道はなだらかではない。時にはそうした良き思いを押しつぶす、様々の外的な障害に直面することもあろう。そうした良き志を弛緩させる倦怠とも戦わなければならない。あるいはそうした思いを抱くことが、単なる徒労ではないかとの虚無感もあろう。だがそうした山や谷を前に、「良く生きたい」という志を保ち続ける勇気を持ち続けることができるかで、その人自身にとってのその人の人生の値打ちは変わってくる。こうまとめ直すと、この『いきいきと生きよ』という所に収められたゲーテの言葉がまさに、こうした生き方を示唆する宝庫なのだと改めて気がつく。


  「活動だけが恐怖と心配を追いはらう」「困難な務めを日々に果たすこと、ほかになんの啓示も要らぬ」「人間は努力する限り迷うものである」「意欲と愛は偉大な行為にみちびく両輪である」「人間のことを考えるな、事柄を考えよ」⋯⋯自分が1しか進めないとき、振り返れば同じ時間に3進むものも、5進むものもあろう。それを比較の中で考えれば、己の成し遂げたことの乏しさに落胆するしかない。だが「人生は、たとえ卑俗に見えても、日常の平凡さにすぐ満足してしまうように見えても、かならずある種のより高い要求をひそかに抱きつづけ育てつづけている。そしてその要求を実現する手段を探し求めている」のである。「あらゆる偉大なものは、我々がそれに気づくやいなや、我々を形成する」⋯⋯絶えずこうした偉大なもの、深いもののひそかなささやきに耳を傾け続け、昨日の自分よりも今日の自分、今日の自分よりも明日の自分に自身の新たな真面目を発見することを重ねていくしかない。      


   そうしたささやかな日々の積み重ねは、結局自分の周りの目に見える世界を長い時間をかけて現実的に作り変えていくことだろう。最後に私が最も好きな、この本の冒頭に掲げられたゲーテの言葉を書き記し、この小文を結びたい。「心が開いているときだけこの世は美しい」。

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