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読書百冊 第31冊『水道、再び公営化⋯欧州、水の闘いから日本が学ぶこと』(岸本聡子)

友人の起業家・投資家で、長年の私の思考の刺激薬になってくれている人が、あまりに公共事業全体の民営化を主張するので、反論の材料を見つけるために読んでみた。彼はそれこそ、TPP参加推進論者だし、規制の徹底的緩和論者だし、緊縮財政論者だし、公営事業民営化論者だし、社会福祉ベーシック・インカム代替論者だし⋯要は日本を全面的にアメリカみたいな社会にしたいと思っている人です(だから大学の事業も全部英語化)。実際私の大嫌いなT中H蔵氏の、「知り合いの知り合い」くらいな人。でもこの40年来の最も親しい友人の一人。だからこういうし新自由主義的な主張のメリットも、私はそれなりにわかっているつもりです。でもいくら説得されても、やはりなんだか納得できない。それは「プーチンのひどさ」をいくら理解しても、西側の世界政策に直観的に「何か変だな」とどうしても思ってしまうのに似ている。たぶんそこに自分の思想=あり方の根っこがあり、それがなんだかは解明してみたい。

この本の内容は以下の通り
①もう財政的に持たないから民営化というが、民営化しても株主に対する配当や、経営者に対する巨額の報酬、企業としての内部留保の確保、民営であるが故の金融機関からの資金借り入れの際の利子の上昇を考えれば、公営時代と比較し財政的に好転できるはずがなす。
③そもそも必要以上に「利潤」を出すことを前提としない、今の水道料金水準を、毎期成長決算を出さなければならない「株式会社」が維持できるはずがない。
②それでも利益を出そうとすれば、事業従事者のリストラ(これは維持管理技術の伝承の喪失にもつながる)や設備のメインテナンス水準の圧縮、そして最終的には水道料金を一気に上げるしか解決手段がなくなる。
③そもそもこれほど重大な案件が提起されるのに、たいていの場合問題提起が公正堂々となされず、何か他の改革案とまぜこぜにして「小さな字」でアジェンダに書きこまれて、受益者は知らないうちに不利な条件を飲まされてしまう。
④そもそも政策審議の前から、特定企業のエージェントが役所の中に入り込んで、青写真づくりに参画している場合が実に多い。つまり利益相反の観点から、原案の時点でかなり問題がある(その特定企業が落札できるからくりで、入札が事実上骨抜き)。
⑤つまり、こうした原案の中に、落札後企業がやりたい放題できる仕組みが埋め込まれている(おまけに専門弁護士のような存在が、それを法案の中に巧妙に挿入してしまえば、無知な役所の側の人間には絶対気づけない)。
⑥私企業経営の守秘義務を立てにとられて、民営化後の経営内容はブラック・ボックス化されてしまうため、公共の側からの監督が極めて困難となる。
⑦問題が生じたら元に戻せばいいと推進論者は言うが、契約の段階で巧妙に盛り込まれた規定によって、簡単には契約解除ができない。契約が国際的な商法の複雑な「からくり」によって守られているため、一地方公共事業体の能力では対処できない。
⑧こう言う様々な問題があるのに、民営化すれば問題が前向きに解決されるという、「嘘」の資料が作成されて、それをベースに審議が強行されている。


もちろんこうしたウンザリするようなネガティブな現状が羅列されるだけでなく、欧州各地で広がりつつあるインフラの「再公営化」の事例を多数紹介しつつ、自治体間の世界的「公公連携」により、自治体が巨大国際企業に対抗する力量を身に着け、利潤ではなく住民生活目線の「ミュンシバリズム」を原理に、単に個別事業だけでなく、一事業の「再」公営化を契機に、地域全体が生活経済として再活性化されて行く道のりが積極的に提案されている。経済活動全体の「地産地消」「インソーシング」という考え方(「シャッターー商店街」を作り出してしまうような経済思想とは逆の考え方)も一考に値するが、更に面白かったのは女性の感性をばねに、これまでのマッチョな競争と収奪の原理に基づく経済思想とは異なる、地域を「育てる」新しい経済思想を立ち上げていこうとする視点である。私が新自由主義が苦手な根底には、それが結局まさに体育会系?のマッチョなむき出しの闘争心の発露に支えられた収奪の原理だからだということがあることに、こう書きながら気が付いた。

考えてみればコンセッション方式に代表される民営化とは、遥かいにしえ、古代ローマ帝国が地方支配に活用した「徴税請負人」制度の現代版ではないか。地域と共に育たない、悪い意味での経済ノマド=徴税請負人による、あとは野となれ山となれという地方運営が、北アフリカの砂漠化の大きな原因だったことは想起されてよい。持続可能社会が議論され始めている今日、様々の形での「植民地」を設定しそこから「収奪」することを、潜在的な駆動力として形成されてきた、近代経済学自体を解体しないと問題は解決しないのではないか。齋藤幸平の『新人世の『資本論』』が近年話題となっているが、ボトムアップ型の組合活動による生産の管理をベースにした「コモンズ」の再生は、重要な視点だと思う。この本に対して正にマッチョな起業家の皆さんによる、成長を前提としない後ろ向きな愚論、といった嘲笑の評を散見したが、正にその「収奪」の思想こそが批判の対象になっているのだ。社会主義の失敗で答えは出ているという意見も多い。だが、正に人工知能技術が発展した今日こそ、かつての計画経済とは別次元での、「コモンズ」をベースに制御する経済実現の道が開かれているのではないか。もうプロのトレーダも人工知能の投資判断に勝てないと聞く。それならば、企業経営も実質の良くわからない「プロの経営者」に巨額報酬で運営してもらわなくても、メンバーが共同して運営できるのではないか。もちろん、それが大変なことは、生活李多忙化により自治会やPTAのような小さな住民活動ですら主体的に運営することが困難になっていることからも想像できる。たが、だからこそのIT化ではないか。たいていのことはITに判断・実行してもらい、最も根底的かつ重要なことだけ精選して、ステーク・ホルダー全体で決定していくような、共同組合的経済・社会運営が、今こそ可能な段階に達したのではないか。「市場」だけが唯一の解決策ではないのではないか⋯⋯この新しい技術の出現を前提に、再度問い直してもよいと思う。

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