我楽多日記

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最近の記事

もやもやしている話

気がつけば最後に更新したのが去年の11月だった。 この間、なにも書いていなかったわけではなくて、別にあるアカウントの方には毎日、とまではいかないまでも頻繁に何かしらを書いてあげている。 どうしてそちらの方には書くのかというと、そちらは既存の知り合いには話さない、自分の恥やなんかをかなぐり捨ててなんでも書き連ねてやろうという、無防備な裸のままを曝け出すようにしているからだ。知り合いに見せない、ではなくて、既存の知り合いには見せない、というもので、新しく知り合った人には見せている

    • なんぞや美術

       時々中国語を教えに行っている美術系の中学校・高校のX先生(女性)が、定年を間近に控えてイベントをやるというので行ってきた。洋画家でもあるその先生とは前職の頃から仕事で付き合いがあって10数年の付き合いがある。こちらは当初、修士課程をおえたばかりの24歳だった。その頃は学校の先生で中国との国際交流担当も兼ねているという認識でしかなかったが、こちらが転職して大学教員になったこともあり、そしてこちらも初中年に差し掛かったこともあり、今ではもっと身近な、人間的な視線でその人を考える

      • 縁もゆかりも。

        今年の秋季高校野球大会静岡県大会は今日3位決定戦と決勝戦が行われた。 母校の聖隷クリストファー高校は準決勝で藤枝明誠高校に敗退し、 3位決定戦は日大三島高校と対戦して延長タイブレークの末サヨナラ負けをしたこれで東海大会への切符はなくなり来春の選抜高校野球甲子園への出場が叶わない見込みとなった。 20年近く前に同校を卒業してから、毎年のように母校の大会の成績は追いかけている。最初の頃はガラケーで、かろうじてイニングごとの速報がみられる程度だったが、そのうちに夏の大会や秋の東海

        • 通訳者のこと。

           大学教員になる前は、某友好団体に勤めていた。一応修士の学位はとっていたので、前職での通訳者としての実務経歴と併せて大学に勤めることになった。けれど、ある時期から流行りの実務家教員とも一端の研究者ともいえない立場に自分は一体何者?という不快感に苛まれることになった。それから関西の某大学の博士課程に在籍し6年目、今年は博論を出せそうかな、どうかな、というところにいる。  大学教員になったばかりの頃、通訳学校時代のクラスメートに「競争も何もなくていいですね」というようなことを悪意

        もやもやしている話

          走り書き「君たちはどう生きるか」

          以下、映画「君たちはどう生きるか」のネタバレあり。 「君たちはどう生きるか」を観てきた。同作は内容についての事前情報がほとんど出なく、吉野源三郎の同名小説との関係も噂されたが、実際のところはやはり不明であった。 吉野の「君たちはどう生きるか」を事前に読もうかともちらりとは思ったが、結局そんか余裕もなく、書店で平積みにされているのを横目にみた程度だった。吉野源三郎という人物については、児童文学者であり戦後は岩波書店『世界』編集長。戦後、平和問題談話会の呼びかけ人であるものの、

          走り書き「君たちはどう生きるか」

          メモ:郭沫若と日本

          1955年に日本学術会議の招きで訪日した郭沫若。東京から関西、岡山、九州へと回った。岡山はかつての留学していた土地。以後、岡山からの代表団が中国を訪問している。例えば川崎ユウセンなど。 1950年代の岡山代表の訪中に郭沫若の関与はあったのか。

          メモ:郭沫若と日本

          戦後初期の日本と中国について

          戦後、という話と全く関連がないわけではないが、少し脱線して日本と中国との交流の話にしたい。 中国共産党が国民党との内戦に勝利して北京で中華人民共和国(新中国)の建国を宣言したのは1949年10月だが、新中国はその後まもなく朝鮮戦争に突入する。中国共産党は建国当初、国共内戦の経験から武装闘争路線を歩むことを目指していたわけだが、相次ぐ戦争に国家建設は停滞していた。 1953年7月に朝鮮戦争が休戦となると、中国はそれまでの外交方針を転換して平和外交路線を歩むようになった。同年

          戦後初期の日本と中国について

          堀田善衛のこと

          堀田善衛の名前が出てきたので、少し調べてみた。堀田といえば国際派の作家(何をもって”国際派”というかはよく知らないが)として知られるが、特に有名なのは戦中、戦後の経験から描かれる中国であったり、画家の生涯を描いた「ゴヤ」、アジアアフリカ作家会議の事務局長を務めた経験などだ。 はたして堀田にとって中国とはどんなものだったのか。もちろん特別なものには違いない。堀田といえば戦中上海に渡航すると間もなく日本の敗戦を迎え、中国国民党宣伝部に流用された。帰国したのは1947年1月だが、

          堀田善衛のこと

          戦争責任と贖罪意識について

           戦争責任、というと基本的には戦犯の話、つまり戦争を発動し継続した責任は誰にあるのかということ。また日本が侵略、占領した地域で捕虜や民間人に非人道的なことを行った罪をどう裁くかという話になるらしい。つまり戦争指導者と戦争に直接的に参加し、現地の人に酷いことをした人物を対象とする。  それをなぜか、自分は日本人の諸外国に対する贖罪意識と混同していた。それはかつて戦争に参加したという点では同じだが、人を殺めたり、強姦したりした事実の有無までは考慮に入れていないものだった。そうし

          戦争責任と贖罪意識について

          戦時下と終戦直後の雰囲気

          「戦後」というと要するに1945年の日本の敗戦、あるいは「かの戦争」の終戦以降指すのが一番わかりやすい線引きとしてある。そして教科書なんかを見てみると、戦後最初に日本が歩んだのは、戦争責任の追及やGHQの指導下における民主化や非軍事化だ。しかしそれは後々になって戦後がそうしたものからはじまったという解釈が都合がいい人の立場によって語られたものだともいう。それはよく短絡的に保守だ革新だ、右翼だ左翼だ、資本主義だ共産主義だ、民主だ独裁だと短絡的に議論したがるくだらないネット掲示板

          戦時下と終戦直後の雰囲気

          戦後を調べようと思う、について(導入)

           現職に就く前、ある日中友好団体に務めていた。そこは1950年代の半ばに創立した団体で、日本は吉田茂政権から日ソ国交回復を果たした鳩山一郎政権になり、講和問題で政治外交関係が断たれた日本と中華人民共和国(新中国)との将来に正常化の機運がわずかに漂った時代だったようだ。そんな時代から国交正常化、80年代の蜜月期、その後の日中関係悪化を経験してきた古い先輩方から伝わる日本と中国の関係は、靖国神社参拝や領土問題といった相対的に最近の話題でしか聞くことのなかった自分のような世代にはま

          戦後を調べようと思う、について(導入)

          男どうしゆえ

          去勢手術したばかりの犬がずっとエリザベスカラーをつけて憂鬱そうなので散歩に出かけた。うちの犬は食に興味がないらしく、まるでご飯を食べない。少し腹を空かせてやろうという気持ちもあった。 去勢手術というものは麻酔が効いてメスを入れてからものの10分で終わるもので、傷口も二針ほど。マーキングが減ったり食欲が旺盛になったりと(うちの犬にとっては)メリットも大きくやらない手はないものらしい。 それでも生後1年半年、これまで渋っていたのは、他でもない、可哀想だと思ったからだ。聞くとこ

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          母校野球部の憂き目

          https://news.yahoo.co.jp/articles/40137d069b3d26b68be86b1a13276eed9c86c014 「聖隷クリストファーは頭とハートを使う高校生らしい野球で、2回戦、準決勝で9回に見事な逆転劇を見せた。立派な戦いぶりでした。個人の力量に勝る大垣日大か、粘り強さの聖隷クリストファーかで賛否が分かれましたが、投打に勝る大垣日大を推薦校とします」  第94回選抜高校野球大会の選出校を発表した選考委員会の言葉だ。また大垣日大高校を推

          母校野球部の憂き目

          かける言葉

           今学期最後のゼミナールが終了した。初めて担当した4年生が、再来週の研究報告会を以って卒業することになる。今日はその予行演習をした。  ゼミ生、といっても何かを教えた気はしない。こちらはいつも彼女らが調べて発表したものに、自分のかつての恩師の真似をしてコメントするだけだった。具体的にこうした方がいいとかいうよりも、関連してこんな見方もあるよと色々提示してみるだけだった。なんとなく出来上がって満足しているものを、その満足をほんの少しだけ壊してあげる、その程度のことしかできない

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          記憶の衛星となる話

           2年ぶりに両親に会った。コロナ禍で帰省を控えていたわけだが、前日の夜になっていきなり電話をかけてきて東京にぶらぶらしに来るという。明日は週末だけど推薦入試がある、夜も用事があるからダメだと言うと不満そうに次の日はどうだ、月曜はどうだと惜しそうに追い詰めてきた。  結局仕事が昼過ぎに終わったものだから、電話して稲城のウチに寄ってもらった。去年から飼い始めた犬の“おこげ”を見せてやると、母親は大喜びで腹を撫でていた。  おこげはプードルとチワワの間の子で、真っ黒だからおこげと名

          記憶の衛星となる話

          学生のころ読んだ本の話

          「先生おすすめの本ありますか?」 たまに学生からそう聞かれることがある。大学では中国語の授業と、中国語の通訳の授業と、日中関係の授業を持っているけど、そういうことを聞いているのではない。単純に彼ら/彼女らは面白い本はありますか?勉強とかそういうんではなくて、と聞いている。もっと言えば(教えてもらっても読むとは限りませんけど)と言っている。別にいいんだけれど。 よかったな、と思った本はいっぱいある。けれど紹介してください、と言われるとこれといって思い浮かばない。僕はいつも小

          学生のころ読んだ本の話