なんぞや美術

 時々中国語を教えに行っている美術系の中学校・高校のX先生(女性)が、定年を間近に控えてイベントをやるというので行ってきた。洋画家でもあるその先生とは前職の頃から仕事で付き合いがあって10数年の付き合いがある。こちらは当初、修士課程をおえたばかりの24歳だった。その頃は学校の先生で中国との国際交流担当も兼ねているという認識でしかなかったが、こちらが転職して大学教員になったこともあり、そしてこちらも初中年に差し掛かったこともあり、今ではもっと身近な、人間的な視線でその人を考えることが増えたように思う。


 X先生のイベントは、一つは自身の個展、それからもう一つは自身の作品と音楽との組み合わせ(コラボレーションとはいわない、というのは、当の本人たちがそういった既成の単語で形容していなかったからだ)だった。


 トークイベントでは、X先生と、かつてその学校の校長を務めたこともある有名な洋画家Y先生(男性)が登壇した。この校長は、割と私も前職で縁があって、何度か通訳をしたり、編集者として原稿のやり取りをしたことがある。とにかく穏やかで、高齢なのに少年のようで、誰からも好かれる、爽やかでお洒落で、語る言葉もいちいち優しくて易しい、かつ空虚でない、とにかく素敵な方だ。言葉のことだけでいえば、通訳者としての私は少し苦々しい部分もあり、たとえば若者どうしの交流を「手触りの交流」などといったりする。そのニュアンスを咀嚼して、飲み込んで、中国語に訳出するために、どれだけ脳内をフル回転させたことか。そして喋るのがゆったりしているおかげで考える時間がいっぱいあって、それがまた瞬発力勝負の通訳者の阻害だったりする。追い込まれた方が意外と行けたりすることもあるからだ(もちろん、追い込まれてお茶を濁すこともある)。


 対話が行われるなかで、X先生が「私は絵を描いている間、これがはたして絵になるだろうかということを考えて描いている」というようなことをいった。すると、Y(元)校長は、「あなたにとって絵になるとはどういうこと?」と、聞き返した。一緒に聞いていたこの学校の卒業生の女性は、あとで「Y校長のあの質問はハラハラした」といっていた。こちらは「ハラハラ」まではせず、むしろあの質問からトークが聞き応えある面白いものになったぐらいに思っていた。それは、絵描きとそうでない者による違いかもしれない。どちらかというと、こちらは他人事だから気楽だったのだ。

 とはいえ、トークのやり取りを聞いているうちに、自分のなかであることに気がついた。それは、自分が学生の頃からしばしば文章を書く習慣は、いつしか仕事で付き合う画家の言葉に、ここではX先生に重ね合わせていた部分が少なからずあったようだということだ。それは、X先生がいった「絵になるかどうか」は、文章を書いている時の自分の心境にぴったりで、いつも自分は書き終わって(なんだこれを目指していたのか)という落ち着き方をするからだ。論文の書き方にしても、他人や指導教官に意見を求めて出てきた課題を反映させる時、単純な加筆修正は上手く出来ず、いつも数千字もある文章全体を一度ぐじゅぐじゅっとさせてから書き直す。器用に必要な言葉だけを書き足して修正をおわりにできる人をみると、本当にすごいと思うほど、不器用で時間が掛かる。でも、そのぐじゅぐじゅ、は部分的な修正ではなく、一本の文章全体のバランスであるゆえに、いつもどこか(絵みたいだな)と思っていたのだ。

 X先生にしても何度となく通訳をしてきたが、言葉を重ねるたびにどこかで通じるものを探っていたのかもしれない。だからか、Y校長が「絵になるとは…」と聞いた時、美術にもそういう人がいるのかと意外に思ったのだ。だから、私にとってこのトークセッションはここから急に精彩を帯びたように感じた。

 

 トークでは、X先生が目下取り組み中の新しい試みが紹介された。それはある音楽家との文通を通じて、お互いの作品をインスピレーションにして新たな作品を創作し、交換し合うというものだった。会場には、その過程で生まれた作品も一部展示されていた。

その作品の印象を聞かれたY校長は「これはまだ途中で、この先が楽しみ」というようなことをいった。会場にはX先生の若い頃の作品が数点並べられ、トークの間も20代の頃の作品が紹介されるなどしていた。Y校長の発言は意図していたわけではないだろうが、X先生の過去、現在、未来を繋ぐ創作の過程のなかに置かれていた。X先生の作品は、(私を含め)素人がみると見分けがつかなくなるほどスタイルが一貫していて、同時に、誰がみても一目でXさんの作品だとわかる独自のものだった。しかし会場にはそのイメージになる前の、X先生が若い頃のさらに抽象的な絵画が置かれていて、たしかにその軌跡を感じさせる展示になっていた。それは、X先生がいった「絵になるか」という模索を、一枚の絵のなかだけではなく、自身の創作の履歴のなかでも行っていることを表しているようだった。Y校長も「こういう過程を経て、いまがあるんだね」といっていたが、その印象が「まだ途中」という発言を引き出したのだろうと思う。   

一つ、無責任に付け加えれば、Y校長はX先生の音楽家との新しい試みに心が惹かれなかったのかもしれないとも思った。もし、その場でなにか感じるものがあれば「まだ途中」とはいわなかっただろう。しかし、まだ続きがあって、なにか発言することがあるとすれば、その時にはきっともっといいたいことが出てくるはずだ。それは、まだなにかを感じ取れる段階ではないということであろうし、「まだ絵になっていない」段階だということだろう。実は、Y校長は「絵になっていない」といったX先生の言葉の意味をおおよそ理解していたのではないだろうか。絵になるとはどういうことか、その問いかけが、単なる美術家の遊びであったのか、あるいは後進への試練を与えた一環だったのか、色々な解釈があることが面白かった・

 話をもとに戻せば、X先生の過去の作品については、確かに面白かった。とにかく素人目にみれば画一的な作品の連続であるX先生の作品が、そうなる前はどうであったのか、違いが明らかな時代のものが置かれていたからだ。欲張った私は、「これと、今の、もう一つ間もみてみたいね」と、来場していた前職の同僚にいったが、まるで理解してもらえず辟易した。いずれにしても、作品を残すということはその時の自分を残すということでもある、ということを実感して、芸術家は大変なことだと思った。(続く)


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