縁もゆかりも。

今年の秋季高校野球大会静岡県大会は今日3位決定戦と決勝戦が行われた。 母校の聖隷クリストファー高校は準決勝で藤枝明誠高校に敗退し、 3位決定戦は日大三島高校と対戦して延長タイブレークの末サヨナラ負けをしたこれで東海大会への切符はなくなり来春の選抜高校野球甲子園への出場が叶わない見込みとなった。

20年近く前に同校を卒業してから、毎年のように母校の大会の成績は追いかけている。最初の頃はガラケーで、かろうじてイニングごとの速報がみられる程度だったが、そのうちに夏の大会や秋の東海大会などはネット中継されるようになった。一昨年秋の東海大会の決勝進出し、翌春のセンバツ出場を決めたかに思われた試合も、仕事の合間に車のなかで観戦していた。手に汗どころではない、肌寒い車内で全身に汗を滲ませながら、ひとときも画面から目を離すことができなかった。

前述の通り卒業したのは20年も前のことだ。今の野球部とは縁もゆかりもない。まして監督が交代して体制も一新され、選手メンバーは県外から集められた、いわゆる「外人部隊」と揶揄されてもおかしくない編成になった(無論、その傾向は最近の私学がますます優勢になった静岡県の高校野球全体のものでもある)。

それでも毎年の応援の熱が冷めやらぬどころか、ますます加熱していくのは、自分の着たユニフォームが甲子園の舞台で躍動する画面を見たいからだ。その意味では、ユニフォームについて多少の変更はあっても大方のデザインを変えないでいてくれるのはOBとしてとても嬉しい。もちろん、最近は従来の伝統やら常識に捉われない、ルールの範囲内での大胆なユニフォームが考案され、選手のモチベーションや試合そのものが華やかに映ることもある。だから、時代に従って変化することは仕方ないのだけれど。

それに母校に甲子園に行ってほしい、そうでなくても母校の野球部が大いに活躍して認められてほしい、と願うのは彼らに対する期待や応援の気持ちだけではなく、自分のためでもある。つまり、自分と同じグラウンドに今現在立っている彼らが目に見える成果を挙げて、それが私らの目に入るということで、私も自分自身の青春時代を肯定できるような気持ちになる、そういうことかもしれない。そういう意味では、歳をとった、それだけのことかもしれない(といっても自分はいま仕事をしている業界では相対的にかなり若い)。

今夏の甲子園、広陵高校が負けた際に砂を持ち帰らないということが少し話題になっていた。 来年また来る、という意味が込められていると何かで読んだが、ネットのコメント欄では賛否両論だった。否定する側は、引退する3年生からすれば最後の甲子園だから「来年また来る」は通用しない、という人が多かった気がする。たしかに現役の選手に限っていえばそうだろう。

けれども一方で、砂を持ち帰らない行為は、甲子園出場は自分たちだけのものではない、ということを意識してくれているような気もして、これはOBだったら嬉しいのではないか、と思った。もちろん、その出場に直接努力したのは、その年の選手に違いない。しかし、彼らが、自分たちの野球だけではなくて、広陵の長い歴史の中に自分たちを位置付けて考えるよいきっかけにもなるのではないか。自分たちの代の野球はおわった、ではなく、広陵の野球はこれからも続くのだ、というように。

もっといえば、それは未来だけではなく、過去に同校で汗を流したOB/OGをも含んだ流れのなかに、自分たちを置き直すという行為だ。もちろん選手やマネージャーだけではない。高校球児の周りには父兄がいて、子供の頃から練習に付き合う大人がいて、兄弟がいて、観客やただの野球好きがいて、それぞれの球児の周囲にそれぞれの人間関係があって、それが張り巡らされて高校野球になり、歴史になる。そういう網の中に自分たちがいて、自分がいるということに10代で気がつくことは、きっと瓶に砂を詰めて部屋のかどや玄関に並べるよりずっと有意義だろう。少なくとも、応援している周囲の人は、その砂を生涯大事にすることよりも、次年度も続けて甲子園で活躍がみられることを望んでいる。

恨み節のようになってしまうが、高野連の連中は高校野球のそういう側面を意識したことはあるだろうか。件のセンバツ選考では、高校野球の教育的側面と、主催者の主体性(控えめな表現だが)の間で齟齬が生まれ、前者が置き去りにされた形になった。しかしその両者でもなく、高野連を批判した人々のなかには高校野球の歴史のなかに10代の頃からいながら、信じていたもの、青春そのものを裏切られたと感じた者も少なくなかっただろう。自分たちが熱意を注いだ高校野球とは、こういうなんと基盤の上にあったのかと。少なくとも私は、自分の青春を否定された思った。と、同時に、それを払拭するためには、夏に母校が躍進するのを応援するしかないという皮肉にも陥った。主催者側は、興行としての高校野球に飲まれて有無もいえない傍観者を馬鹿にするだろうか。おそらく「うるさい外野」と一括りにされたのだろう。

脱線してしまったが、一年半前のしこりを掘り起こしたいのではない。自分が高校球児の時には気が付かなかった「歴史の住民」はいつもどこかにいたのだろう。今は自分がそういう立場になってしまったが、毎年の母校の動向にはいつも励まされ、自分を見つめ直すきっかけになっている。勝てば嬉しいし、負ければ観ているだけでも悔しい。そういう人は、きっとたくさんいる。そういうことを書き留めておきたかっただけだ。

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