Gakio

1995年生れ。会社員。

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最近の記事

夜遊び、或いは午前5時のアディオス・マザーファッカー Vol.1

 私は普段ほとんど飲み歩かない。  理由はいくつかあって、酒が強くない、金が勿体無い、面倒など。  また、「行くな」と止められているわけではないのだが、彼女と同棲していることもその一因かもしれない。  それでも大学最終学年の2017年には京都木屋町に、上京したばかりの2018年には勇気を出して新宿ゴールデン街の文壇バーなどに行ったりしていた。  居酒屋での大人数の飲み会は、どちらかと言えば好きだ。しかし仕事が絡んだ途端、それは業務になる。サークルの飲み会(幹事を除く)が最も理

    • 【歌詞・和訳】ボブ・ディラン「アイ・ウォント・ユー」の歌詞について

       ボブ・ディランの楽曲「アイ・ウォント・ユー」は、1966年発売の7thアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』に収録され、同年シングル・カットされた。  今回訳してみて、改めて意味が分からないと思った。語感のよい単語で韻を踏んでいるだけで、歌詞に意味はないのだろうと思う。  聴き手は言葉の端々から喚起されるイメージと幻想の世界に、それぞれが酔いしれれば良いという、それだけのこと。

      • 【歌詞・和訳】レディオヘッド「ノー・サプライゼズ」について

         レディオヘッドの楽曲「ノー・サプライゼズ」は、1997年発売の3rdアルバム『OK コンピューター』に収録され、翌1998年にシングル・カットされた。  作詞作曲のクレジットには彼らの楽曲の例にもれず、トム・ヨーク、ジョニー・グリーンウッド、エド・オブライエン、コリン・グリーンウッド、フィル・セルウェイとメンバー五人全員の名前が書かれている。  詳しく調べれば具体的な作曲者が分かるかもしれないが、私は現時点で知らない。メンバーがそれぞれアイデアを出し合っているのだと思い込む

        • 「内向の世代」の作品をこれからも読むだろうという話

          戦後文学が私にとって受容しやすいのは、現代社会が1945年以降のシステムの延長だからだろうと思う。 戦時中に成人以上の年齢の者は、徴兵による従軍体験をはじめ、太平洋戦争との関わりなしにその青春や人生を語ることは困難だ。 1925年生まれの三島由紀夫は、その境界に立つ作家として象徴的存在だ。 文学史上では彼を「第二次戦後派」として扱うが、その後現れた「第三の新人」まで、青春と戦争が密接に結びついていた。 そして1930年代に生まれ、少年期に敗戦を経験した人々は、石原慎太郎や大

        夜遊び、或いは午前5時のアディオス・マザーファッカー Vol.1

        • 【歌詞・和訳】ボブ・ディラン「アイ・ウォント・ユー」の歌詞について

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          佐野元春&THE COYOTE BANDの「サムデイ」

          タイトルを「佐野元春“&THE COYOTE BAND”の「サムデイ」」としたのには理由がある。 サムデイは1981年発表、その当時のバックバンドは「THE HEARTLAND」で、メンバーが異なるからだ。 私はこれから2023年7月8日に静岡県でサムデイを聴いて感動した話を書いていくのだが、この日のMCでも、80年代にハートランド、90年代にザ・ホーボーキング・バンド、そして00年代以降コヨーテ・バンドと、時代時代で良いメンバーと出会えてバンドをやってこれたと佐野自身が語

          佐野元春&THE COYOTE BANDの「サムデイ」

          茶の畑

          先週、仕事で静岡にあるお茶の製造工場を視察に行った。一緒に茶畑も見学させてもらった。 別に契約書を交わした覚えはないが、仕事のことは機密であるだろうから、どこまで書いていいのか定かではない。 なので詳しく書かないようにするつもりだが、そうすると、普段の業務を些細に描く、「私小説」というのは成立できないことがよくわかる。 世の中にある小説は、学校が舞台のことも多いが、職場が舞台だと、細かい業務を書くことが許されていないからだ。 会社との雇用契約を破ってまでも、書く意義もない。

          令和五年のボブ・ディラン・エクスペリエンス

          令和五年(2023年)四月十五日、私は初めてボブ・ディランのライブに行き、彼と同じ空間で彼を見て、彼の歌声を聴いた。 3年前にもチケットを買っていたのだが、コロナの流行によって中止となったのだった。 この体験は、当初私が予想していたよりも、現時点での感慨は深くはないのだが、このあと時間が経てば経つほど、私の人生においてこの体験の持つ意味が大きくなるだろう、とも思っている。 ディランの声を初めて聴いたのは、中1か中2の英語の授業だった。 月ごとに古い洋楽を授業のはじめに聴

          令和五年のボブ・ディラン・エクスペリエンス

          ラーメンを食べながらの省察

          今日も今日とて在宅勤務で、13時からはそれなりに重要なオンライン会議があった。 前々から近所の家系ラーメンを食べに行きたいと考えていて、それで昼飯をあと回しにして、会議が終わった後に行くことにした。 ソワソワしながら食べるより、落ち着いた気分で食事したい。 ラーメン屋は15時まで開いているし、昼時を避けた方が空いてもいるだろう。 また、家で作業するより、外に出ることも仕事に関連しているのだった。さすがにラーメンを食べることは無関係だが。 さいわいなことにオンライン会議で

          ラーメンを食べながらの省察

          村上春樹「ブルース・スプリングスティーンと彼のアメリカ」を読んで

          エッセイ集『意味がなければスイングはない』は、文藝春秋から2005年に発売されている。 長年の音楽ファンとして知られ、小説家になる以前はジャズ喫茶を経営し、いわば「音楽を仕事にしていた」といえる村上春樹が、クラシック、ジャズ、ロックなどのアーティストを題材に文章を書いている。 私はその中の、「ブルース・スプリングスティーンと彼のアメリカ」という章が好きで、ときおり読み返す。 その理由は、スプリングスティーンに愛着を感じているというのもあるが、彼の音楽から思索し、その過程で自

          村上春樹「ブルース・スプリングスティーンと彼のアメリカ」を読んで

          ヨネダ2000の衝撃

          はじめてヨネダ2000のネタを観たのは、2021年M1グランプリ準決勝だ。 金属バットを楽しみにして、決勝の日の昼間、テレビ中継されている準決勝を見ようとテレビをつけると、緑の青のカラフルな服を着た女性二人が、怪しげな動きをしていた。 途中から観たのだから、内容が分からないのは当然かもしれないが、従来のしゃべくり漫才とはあまりに違いすぎた。 というのも体重116kgの「愛」は、ずっとYMCAを踊っているのだ。 面白さが全く分からずこれが準決勝に出ているというのは、何かの間

          ヨネダ2000の衝撃

          反橋

          大阪に行くのは5年ぶり。新大阪駅から地下鉄を乗り継いで降り立つと、なんばの道路では、若者が至るところで自転車の二人乗りをしている。 二人乗りは、たしかに10代の頃は身近なものだった、という記憶も喚起されたが、東京では全くお目にかからないものだから、長らく存在自体を忘れていた。 街行く人々の、言葉のイントネーションの違いは、土着性を強く感じさせるし、化粧の仕方も普段目にするものとは違う。 土地によっての違いを鮮烈に体感するのは久々だった。 ホテルにつくと、受付の男性は気さく

          カレー食べ放題のエッチな個室ビデオ店

          初めて訪れた池袋の個室ビデオ店は、カレーがおかわり自由の食べ放題で、無料だった。 個室ビデオ店とは、えっちなビデオをフロントで借りて、個室でみるもので、受付したときにお手拭きを4、5枚とコンドームをひとつもらえる。グッズは大丈夫ですか?、と、フロントの隣にあるテンガやその他がすすめられる。 私はよく利用している。個室は大都会において、自分だけの空間であるからだ。 でもカレー食べ放題があるなんて、知らなかった。 どうやら大盛況のようで、平日の夜、満員だった。 だから番号札をも

          カレー食べ放題のエッチな個室ビデオ店

          国立西洋美術館 企画展に行った

          最寄駅に着くと、駅のほうから50代くらいの日本人女性が降りてきて、前を歩いている夫らしい人になにやら声をかけていた。Tシャツ姿の彼女はどうやらノーブラのようで、驚いた。 そういう経験は初めてに近い。同じようなことはコロナになる前の都心の地下鉄であった。これは西洋人らしい若いカップルの、女性のほうである。 だから何というわけでもないが、珍しいことなので、書き記しておこうと思う。 今日見た展示は、自然をテーマにしたものだ。 上野にある国立西洋美術館は、長らく改装していたようだ

          国立西洋美術館 企画展に行った

          手記2022.5.28 モデルナ、2回目

          今週の土曜日、2度目のワクチン接種を行った。 その日のことを書く。 なぜこのタイミングで3度目ではなく2度目なのかということを説明したい。常日頃与えられた権利にはそれなりの意識を向けて判断している。衆議院選挙にも都知事選にも投票に行かない、などはその一つだ。 昨年自治体から接種権が届いたワクチン接種も、個人的判断で受けなかった。それはいつもと同じく、受けるよりも受けない方が自分にとってメリットが大きいと考えたからだ。 それがなぜ今になって受けるようになったかといえば、よう

          手記2022.5.28 モデルナ、2回目

          未完の小説 7選 〜自殺、検閲、原稿紛失ほか

          はじめに 最近なぜか、その類いの本によく出会うので、まとめてみました。 探してみればまだいくらでもあるでしょう。 1 夏目漱石『明暗』 1917年刊行。作者病死により未完 あらすじ 会社員の津田は、持病である痔の治療のための手術費の工面に迫られていた。だが、親は不義理のために金を出すのに難渋し、妹のお秀から責められる。 津田には、勤め先の社長の仲立ちで結婚したお延という妻がいるが、お秀はこれを嫌っている。お延は津田に愛されようと努力するが、夫婦関係はどこかぎくしゃくし

          未完の小説 7選 〜自殺、検閲、原稿紛失ほか

          大江健三郎と村上春樹 作家同士の接点

          大江と春樹。21世紀に入って以降、二人はお互いのことを好意的に言及しており、リスペクトし合っている。10代のころこの二作家に傾倒した私としてはずっと感慨深かった。 村上は高校生の頃から日本の現代文学としてはほとんど例外的に大江を愛読していたようだ。二人が初めて直接的接点を持つのは、村上のデビュー作『風の歌を聴け』の芥川賞の選考時だ。 この時大江は選評で、村上の作品とは明記せずに、 と書く。 一年後、『1973年のピンボール』が候補になったとき、一転して評価する。 豪華な選

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