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佐野元春&THE COYOTE BANDの「サムデイ」


タイトルを「佐野元春“&THE COYOTE BAND”の「サムデイ」」としたのには理由がある。
サムデイは1981年発表、その当時のバックバンドは「THE HEARTLAND」で、メンバーが異なるからだ。

私はこれから2023年7月8日に静岡県でサムデイを聴いて感動した話を書いていくのだが、この日のMCでも、80年代にハートランド、90年代にザ・ホーボーキング・バンド、そして00年代以降コヨーテ・バンドと、時代時代で良いメンバーと出会えてバンドをやってこれたと佐野自身が語っていた。

ところで、私は27歳である。1956年生まれ、1980年デビューの、重鎮である佐野の音楽とは「世代が違う」。
だからおおかた予想していた通り、会場に入っていく客たちは中高年、佐野と同年代かその少し下の世代が多かった。
佐野はMCで、静岡市民会館でのライブは30年ぶりだと語った。「その時来ていた人もいるかな?」と問いかけると、少なくはない人々が手を挙げて佐野に振り返した。

30年前など、私は生まれてもいない。
当たり前のことだが、どんな世代のどんな国のどんな人にとっても、ある音楽を平等に楽しむ権利はある。だからそんなことは拘っておらず、私はやがてサムデイの大合唱に加わることになるのだが、
それと同時に、彼らオーディエンスが佐野の音楽と付き合ってきた年月とその思い入れに対しては、「どうやっても届きそうもない」という疎外感を感じもしたのだった。

リアルタイムで曲がリリースされて、ラジオなりレコードなりCDなりで青春時代に聴いた曲が、何十年も経って演奏されるというのはどれだけ感動的なんだろう。
しかもこの日はサプライズゲストとして、ハートランドのキーボーディスト、阿部吉剛が参加していたのだった。

私が佐野元春を聴き始めたのは2014年、大学1年の時で、友人の影響に他ならない。
それ以前にも認知はしていて、テレビの「行列のできる法律相談所」で東野幸治がトライアスロンをするとかで、そのテーマソングに選ばれていたことを覚えている。
大学時代は、ロックに限ってではあるが、さまざまな年代のアーティストをアメリカ・イギリス・日本を問わず聴こうとしていたのだった。
が、メロディセンスもなのだが、当時の私にとって大切なのは歌詞で、なんの捻りもないものはメッセージ性があろうがなかろうが嫌いだった。むしろ半端にメッセージ性を含む方が嫌だったかもしれない。
今好きな佐野の曲の歌詞を思いつくまま上げていくと、どれも80年代から90年代のものなのだが、彼でしかない特色があると思う。

「手おくれ」と言われても口笛で答えていた あの頃
誰にも従わず傷の手当もせず ただ
時の流れに身をゆだねて

「サムデイ」

この街のクレイジー・ミッドナイト・カンガルー
答えはいつもミステリー

「ガラスのジェネレーション」

クレイジー・エンジン
ばらばらのロンリーを
すり抜けて Here comes the night
すべてをスタートラインにもどして
ギヤを入れ直してる君

「ダウンタウン・ボーイ」

言葉の弱さに燃えつき
そして君は唄うだろう

「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」

今回のツアーは、最新アルバム『今、何処』からの選曲が大半で、つまり彼は現役バリバリ、新しい曲を生み出していくバイタリティに満ち溢れている。
いい曲はたくさんある。しかし私はこの10年弱聴き馴染んできた曲の方がどうしてもすきだ。

サムデイをはじめとした歌詞に秘められているのは、第一に都市生活における青春群像。ニューヨークや東京を彷彿とさせるシティを舞台に悩みながら過ごした若い時代。
肥大する自意識とともに、自分はありふれた人間じゃない、特別な才能のある人間だと思おうとする。アウトサイダーであろうとする。そうした時にやってくるのは、人間同士の分かり合えなさや、悲しみ。そして、そこから数年が経ち、大人になった後、当時を回想する視点。

この部分が、大学時代に曲だけ聴いていて、今27歳で社会人をしている自分にどれだけ響いてくるか!
ありきたりのテーマであることは間違いない。しかし、人々が求めているのもやはり、ありきたりのテーマなのだ。ただし、極上の。
それに、この名曲を佐野は25歳の時に作った。20代の精神は、時代を超えた普遍性を持っている。

これまでの今年のツアーのセトリでは、アンコールは「約束の橋」か「sweet16」か「アンジェリーナ」だった(ネット情報)。どれも名曲だし、聴きたかったが、まさか「サムデイ」がくるとは、と心底感動した。
「もし詞を知ってる人がいたら、一緒に歌ってください」と佐野は言った。

ここからはTwitterにも、この日ライブに参加した人々がたくさん言及していた部分であるが、佐野は途中で歌えなくなった。
私の席からはしっかり見えなかったが、どうやら泣いていたようだ。

私もこの10年弱の思い出に、涙が出そうになりもしたが、バンドを変え、43年売れ続けているロックスターにしてみれば、比較するのもおこがましいほど、こみあげる何かがあったのだろう。
そしてそれは、私の前後左右を取り囲んだ、43年以上人生を生きている人々にもあったのだと、その熱量が語ってくれていた。

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