がじゅまる
とりあえず読んでほしいやつ
自分の内側を観察してみる。 ひとりごとのような観察日記です。
家族と関わる中で考えたこと
数ヶ月前、私は絶望的な気持ちでいた。 無力感、空虚感。 どれだけ努力しても、行動しても、全てが空回っている感覚。 ここにいてはいけない。 でも、どこへもいけない。 視界はぼやけてうまく進めない。それでも変化を求めて、焦燥感ばかりが充満していた。 30歳の私。 夫と出会ったのは11年前。結婚して9年が経っていた。 どこで思い違えていたんだろう。 夫婦とは、100%お互いを理解し合うものだと思っていた。 遡ること十数年前、家族とうまく信頼関係を築けていなかった私に、初めての
過去の日記 想像力の欠如が、深刻だ。 私は、何でも実際にやってみないとわからないのだ。 ある程度の想像はできる。 2階から飛び降りたら怪我するなーとか、 毎月沖縄旅行に行ってたら破産するなーとか。 ただ、行動がもたらす結果を想像できる範囲が、狭いよなあ。と最近気が付いた。 幼い頃から、想像しなかったわけではない。 むしろ想像しすぎていたくらいだと思う。 足らない頭で想像し続けた結果、論理的な予測はできないし、不安になるし、想像することがあまり良い策ではないことが分かっ
仕事が不思議なくらいに進まない。 病院で「薬のせいですかね」と聞いたら、今の薬はむしろ集中力を高める作用があるらしい。薬の力を凌ぐやる気のなさ。なんてこった。 せめて何かしようと思い、PTAの仕事のため近所を歩いた。 役員になって、近所を歩く機会がぐんと増えた。 私の住む地域はお年寄りと農家が多く、田んぼも多いし、民家にはほとんどの家が家庭菜園を行っている。土に恵まれた場所なんだろう。古い家も多くて、いい感じの古民家を見かけると嬉しくなる。 最初は面倒なだけだった役員の仕
最初の言葉が思いつかない。 今回で、デザインフェスタへの出展が最後になるのかもしれない、と思いながらの参加でした。 いままでデザインフェスタへは4回ほど出展した。 グッズを作って販売したり、原画を飾ったり。ライブペイントもした。 どんなジャンルでも、どんな完成度でも受け入れてくれるデザインフェスタは、あまり東京に出てこない私にとって、数少ない、背伸びせずに過ごせる都会の空間だった。 この数年で、 ものをつくることの楽しさ、 売ることの楽しさを知った。 私は、直接顔を合わ
その日の朝は、いつもと違っていた。 ほんとうに、微妙な違い。布団のさわり心地をしみじみと感じられるとか、毎朝頭の中になだれてくる思考の波がちょっと少ないとか、そのくらい。 そのくらいだけど、確実に昨日とは違っていた。 素足に当たる布団のぬくもりだけで、すこしうれしい。 調子が悪くなるときは、毎日薄い膜を1枚ずつ重ねていくみたいに、ほんの少しずつ悪くなる。昨日と差はちょっぴりしかないから、あまり変化を感じない。でも、確実に分厚くなっていく。そんな感じ。だから気づかなかったけど
朝、起きて音楽をかけた。 晴れていて、気持ちのいい朝だった。なんで昨日、あんなに泣いていたのか思い出せない。 本当に今日、病院へ行く必要があるのかなあ、なんて思いながら、でもそうした方がいいと言うのなら、と思い、行った。 初めて、軽度のうつ症状だと診断された。 記憶力、集中力の低下が決め手らしい。どうりで仕事が前に進まない。 そういえば、もう何ヶ月も前から常に頭や目が痛いことに気付いた。当たり前すぎて、あまり気に留めていなかった。 自覚がなかったけど、もうずっと状態が悪かっ
先日、ひょんなことから夫へのサプライズパーティーをすることになった。 娘との共同企画である。 部屋を輪飾りで飾り付け、夕飯といっしょに夫の好きなステーキとケーキをテーブルに並べただけの、簡単なパーティーだ。 驚いている夫に対して、娘と2人で 「せーの」 「いつも家事とお仕事ありがとう」 と言った。 その時、なぜか涙が溢れそうになり、慌ててこらえた。 なぜ、涙?泣くようなことでもないのに。 昔から、同じような経験が何度かあり、不思議だな、と思っていた。 社会人になりたての
ボロボロの状態でカウンセリングへ行き、少し落ち着いた。 そして、私は自分の内面を探り始めた。 それからしばらく経った今、相手にばかり向いていた矢印を、少しずつ自分に向けられるようになってきた。 そして、自分の未熟さを痛感することになった。 色々辛い思いをして、たくさん傷ついて、考えて、結果的に今あるものが 「思ってたよりだめな自分」 って、なんだこれ。しんどい。笑 それでも、私に必要だったのは 「やればできる」 「私は大丈夫」 と思うことではなくて、 自分に過剰に期待し
この頃はどんな話しをしても、自分と相手の間に言葉の齟齬があってとても辛かった。 私が「もっとこうしてほしい」と言うと、怒っていると捉えられて、それは違うと説明しようとすると、余計怒っていると思われた。 もちろん、勝手に勘違いされていただけではなく、私の切迫した雰囲気がそう思わせていたんだろう。 私は怒っていたわけではなくて、ずっとさみしくて、不安で、話がしたくて、それができずにいたから辛かった。 そのことは言葉にしていたのに、伝わっておらず。 カウンセリング後、私は少し落
相手を見たくないというのはつまり、 愛されない自分から目を背けたいということと似ていて。 自分を無視して、 相手を無視して、 そんなことを続けていたらやはり状況は良くならず、 最終的には向き合わなければいけない時がやってくるのでした。 つづく
不安感の強かった私は、極端な思考に陥りがちだった。 状況や相手の気持ちを無視して、「私が駄目だから」「愛されていないから」とか、突飛な発想をしていた。 それは、そう考えた方が楽だったからだ。 それ以上深く考えなくて済むし、相手のことまで視野に入れないでいい。 だから細かいことは考えず、「愛されていない」という結論に全てを押し込んだ。 悲しみが底まで行くと、全てがもうどうでもよくなった。 自己防衛なのか、それ以上関わっても傷つくだけだから、もう向き合いたくない、と思った。
愛されたい気持ちはあるのに、 愛情の受け取り方が分からなかった。 だから相手の言動にいちいち傷ついて、相手を責めてはよく泣いていた。 私のことを思っているなら、なんでああしてくれないんだろう。 愛がないから、あんなことを言うんだ。 今、思い返すとかなり短絡的な思考だけど、当時は本当にそう思っていたし、毎回しっかりショックを受けていた。 ただ、そう思ってしまうのも仕方ないと今は思える。 ずっと不安だった。 素の自分では誰からも愛されていない気がして、そして、いちばん素を
掃除をしながらあれこれ考えるのが、結構好き。 悲観的になりすぎず、冷静に思考を巡らせることができる。 あの時ああ思ったなーとか、 今、自分はどう思ってるんだろう、とか。 少し客観的に考えられる。 文章を書くときと似ているかもしれない。 私は、時が経つにつれてやりたいことが少しずつ変化してくるので、 その度に気持ちを整理したり、方向性を微調整していかないといけない。 ずっと同じことを同じ気持ちで続けていけたらいいのに、と時々思う。 でもやはり、私は変化をしながら生きて
決して卑下するわけでなく、 自分の能力を、俯瞰して「こんなもんだ」と見積もることも大事だと思うのです。 実際、私にはできないことが多い。 でも、心のとこかで、それを認められていないのです。 仕事がうまくいかなかった時、 家族とのコミュニケーションが失敗した時、 ふりきって 「私って未熟だからな〜」 「でも未熟なりに楽しくやっていこう」 と思いたいものですが。 余計な自尊心があるからか、うまくいかなかった時、いちいちショックを受ける。 その度思うのが、「そもそも私が人