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栄養

さみしかった。ずっと、さみしかった。
言葉がうまく届かないことや、日常のささやかなおもしろさを共有できないことが。

相手がどうこうでなく、自分の問題だと思っていた。だから、自分が変わればいいと思っていたし、今でもわりと、そう思っている。でも、だからってずっと頑張り続ける必要もないな。心を傷つけ続けて、違和感を無視し続けて、自分にも相手にも申し訳なかったな。


最近は、とても楽しい。

駅の近くに住んでいるので、よく歩くようになった。自転車にも乗る。散歩がてら、友達とコンビニまで歩くのも楽しい。近所のおいしい定食屋に行ったり、夜に映画を観たり、なんか、とても自由だ。


私はずっと、自分のことを完全に受け入れてほしかった。何をしても許してほしかった。条件のない愛情を求めていた。その対象が、ひとりに偏っていた。自分や、周囲の人たちに受け入れられさえすれば、愛着先はひとりじゃなくてもいいし、完全でなくてもいいと最近気付いた。

愛着障害が和らいできたのを感じる。やっぱり、依存先の分散は大事だな。


人と一緒に歩くこと
くだらない話で笑い合うこと
一緒にごはんを食べておいしいねと言い合うこと
一緒にいると楽しいね、って伝え合うこと
私はただ、それがしたかったんだな。
今のところ、私の生きる意味はそこかもしれない。

以前はそこが満足にできていなかったのに、仕事をがんばろうとしたり、育児を完璧にこなそうとしていた。だから、無理が生じたのだと思う。心が空洞な状態で生きてしまっていた。栄養がないまま、人と同じことをこなそうとしていた。


お金のこととか、社会のこと、将来のこと、色々考えないといけない気がするけれど、その前に、空洞を無視していないか、傷ついたまま動いていないか、ちょっと立ち止まってみてもいいと思う。いま、いちばん、栄養になることは何だろう?

サポートありがとうございます! いつか、どこかでお会いできたら嬉しいです。