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心細さ

心細さ
について考える
幼い頃からもう、ずっと心細い感覚はあった気がする。それがもう、心細いなあ、とは思わないくらい。身に染みていた。
親が不在の夜とか、学校での集団生活、正解のわからないこと、誰にも相談できないことがあるとき。
そうだ、私には絶対的な味方がいなくて、ずっと心細かった。
揺るぎない存在が欲しかった。誰かに横で正解を提示し続けて欲しかった。
あなたは間違ってないよ、そのままでいいよって。抱擁される感覚を、私は知らないな。

自立するのは早かった気がする。すべて自分で決めてもよい、という自由が、自己責任という言葉と一緒に与えられた。
不確かなものを探る日々だった。暗い海の中で素潜りするような。
こんなに心細い世界で、みんなどうやって安心して生きていられるんだろう。
いや、私にだって安心しきっていた時はあった。何も心配することはなくて、目の前の興味にだけ集中していられる時。無垢な好奇心。
心細さと、安心感、両方が確かにあった。だから私は、自由にのびのびする快さも知っているし、不安で押しつぶされそうな夜も知っている。
ただ、不安の逃し方。それがずっとわからない。怖い思いをした時の、安心の仕方。こわい、ふあん、そう思いながら身体を縮こめて、不安が過ぎるのを待つ。それ以外の方法を知らない。

安全基地として、私が求めている/必要としているもの。安全であること、共感・応答してもらえること、安定していること。何でも話せること。それが満たされれば、不安との付き合い方がわかるだろうか。
愛着先を自分で壊さないことも大事だな。不安ゆえに、自分から離れていってしまうこともある。
さみしいこと、悲しいこととの付き合い方が、年々下手になっている気がしなくもない。
今まで受け流していたものと、真っ向から向き合ってしまうからかもしれない。向き合う必要があるものだ、と自覚してしまったから。
心細さを感じながら、今日も自転車を漕いだり、桃を食べたりしている。

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