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施しの記録などつけてはいけない

これは見返りがねえのかよと思わないための処世術です。ヘッダ画像をお借りしています。

ぼくは日記に買ったものを書いてるけど、たまにぼくが食べるものじゃないものとかを買ったことを書いてしまうことがある。これをやめたということです。

後から見返した時に、ああ、誰かにこれを買ってあげたのに今その人のせいでこんな気持になっているな、と思ってしまったらおそらく全てが崩壊に向かうでしょう。

ここから余計なお世話を書きます。

翻って「推薦」の対象に金銭をばらまいた人の心とはどうなってしまうのでしょう。ぼくは好きなものを推薦などとは呼ばない、つまり周りにも「お前もこれを好きになれ、これは素晴らしいから俺様が貴様のような低俗な人間に布教してやっているのだ」などという愛し方をしない。ぼくはその「好きな対象の広報課」などにはならない。

翻って日本のマーケティング課が正しく機能している(もちろん皮肉だ)IP所有プロダクション(事務所という意味ではなく、IPプロダクトを放出するすべての総称です)の施策どおりに何かを推薦しながら消費している人々とは、見事なまでにそのECサイト利用記録、並びにクレカなりなんなりの利用記録がすべて「施し」の記録となっているわけです。

よくある、原価数円とかなのかわからないそのプラスチックを何枚も重ねて造られたそれ(ぼくはもっと薄いプラスチックのそれを3枚1200円とかで買ったことがあります)を季節ごとに「応援」という体で買わされ――当人が「応援」とか義務感を持っていないのであれば別にこれも皮肉ではなく幸せなことではあるが―――、いやむしろ季節ごとどころか何かイベントごとにむしってくる(例、入学・テスト期間・梅雨・夏休み・文化祭・クリスマス・正月だの催しに合わせて変わるそのプラスチックに書かれた絵および声を買わされる、収集欲を刺激される)のであれば、その額とは信じられないぐらい膨れ上がっていることになる。

そこに一定のエンゲージメントやコンセンサスがあるのであれば、冒頭で述べたような崩壊には向かわないのかもしれません。気に入らない歌をカバーした、気に入らない企画に参加した、気に入らない相手と一緒に出演した……などが起きたらどうなるのだろう。そんなことを起こすのがファンとして最低なのだとしたら、初めから何をするのであっても全肯定する胆力を踏まえた上で好きにならなければならない。

ここで立ち止まってほしいのだが、本来「好き」という自然発生的かつ、自己でもコントロールしようがない事象についていきなし「今後なんらかのコントロールが必要である、もしくは強いられる」などということに対して将来的なコミットメントを見出しながら好きになる、好きで居続けるという神経に対して想像がつかないという事実とどう向き合うべきだろうか?立ち止まったところでそんなんガチでわからないんだけど。

ぼくは好きなことに金銭を遣う感覚がガチでわからないので(つまりは所有欲しかわからないので)、応援を伴う金銭の支払いについて、覚悟を必要とする金銭の支払いについて考えたこともない。

いま覚悟と言ったが、つまりは先行投資みたいなものでしょうか?ぼくは投資にも興味がない。頭が悪くお金がないから、がすべての理由でしかないが、つまりは自分に余裕がないから応援での消費にコミットメントを見いだせていないのでしょうか?見いだせている皆さんとは、ある程度の金銭に恵まれている……なるほど。

投資して、投資の対象が成り上がってくれればあとのことはどうでもいい。後のことというのは、自分の金の使い途とかも当然含まれる。

昨今、こと消費という物言いが流行りすぎてしまったが、まさにこれはこと消費である。プラスチック片という名目上の「もの」すら手に入るわけですが、そんなン形式でしかなく、本来そこまでの金銭を支払ってまで手に入れるものではない。その図柄が書いていなければ、ホームセンターはおろか100均で売ってるんじゃないでしょうか。それにおそらくはその数十倍は支払うわけです。支払った額が応援になる。その対象にとっての原資になるという不文律―――目に見えない、ということはつまり、もの消費ではなくこと消費なのだ。

なのではなっから投資、こと消費なのであると割り切った状態で財布から金を引っ張り出す行為に対してはある程度の諦念感を付随した状態で実行するものなのかもしれません。ぼくは世間知らずなあまりにそのことに気づけなかった。

となると、この「投資への記録」をつけることについては、何かしらの意味が発生してくるものなのだろうか?当初言っていた「施しの記録」とはいささか様相が異なってくる気がする……のだが、そもそもファン活をして施し活動などと表現してしまうとそれは何らか揶揄しているようにとらえられてしまうでしょうか。そこまでそんなつもりはないんだけど、自分が施した記録……応援した記録が裏切られてしまった場合のことを考えると、やはりつけないほうが良さそうに思えてしまうのだ……

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