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メスガキわからせストラテジーとその不確かな壁

町とその不確かな壁を読み終わってしまった。……

ヘッダ画像を有志の方からお借りしていることをお知らせいたします。

読み終わってグレーな気持ちになっているのはいつものぼくの「大変期待していたものを見終わってしまう悲しみ」のせいである。別に見終わって思った以上につまらなかったとかでそうなるのではないことを明記しておく。

クソ驚いたのは、二章で急に現実に戻ってきた(こっちが現実なのかどうかは得てしてわからんことになっているが)主役が「こっちが影なんちゃうの?」と思ったらガチでそうだったこと。

どうやらぼくは2ヶ月強前に二章を読み始め、その決に至ったらしかった。そっから2ヶ月で読み終わってしまうとはもったいない。670ページも数ヶ月で読んでしまうなんてもったいない。

これは自慢とかじゃなくて、村上春樹の物語をあらかた読み尽くすだけでなく、エッセーとかも全部読んでると彼の思考回路がトレスできてしまうのだろうかとクソ偉そうなことを考えたりもしたのだが、単なる偶然だろう。そこで得たものもぼくにはない。

ぼくはいわゆる村上春樹のファンみたいなことを名乗ってないし、よくファンのことを自称他称する名称をぼくは好まないし、そのようなチームに属してないし、属さない。だからそういう人たちはおそらくぼくなんかよりも、ぼく以上にそれ系のいそしみをしているんだろうが、二章から三章の始まりまでいたのは影だったんですよと思いながら読めた人はいたのだろうか。

こういうのって叙述トリックみたいなものなんでしょうか?だって一章の影は三下の喋り方をしてて、まるで鼠男ですよ。風の歌を聴けシリーズの鼠をからかっているのだろうか。かつて友達は鼠だったが、自分の半身は鼠ではなく、鼠男にしかならなかった、と。

泥沼を抜けると影は正常な感覚を取り戻すのだろう。といいますか─────なぜだか知らんが影が現実とされる場所に戻ってくると、元の人格に完全に引っ張られ、影の人格なんて失っちまう。

影の人格は門番に無理やり引き剥がされた時に無理やり植え付けられるものなんだろうか?文字通り植林するようにだ……

主役の悪しき部分でも引き受けたんだろうか。あるいは質量保存の法則により、かつて確かに存在した主役の性格、つまり主役の「個人性」を世界が受け容れ、とりつくろう、辻褄を合わせるために自動的な大いなる力でその程度の性格ぐらい一瞬で破壊し、再構成してしまうものなんだろうか、この世界の理は。

泥沼という形でいわば影だけ壁を乗り越えたというわけなんだろうか。となると泥沼も壁だったことになるのだが……あのとき主役も泥沼を越えていたらどうなっていたのか。質量保存の法則に従うのであれば、人種が2つに増えるのか、問答無用で影は消されるのか……

それよりも何よりも、この話の入れ子構造に注目すべき、といいますか整理すべきなのだろう。

だって主役が2つに別れてしまい、子易がいて、でも子易は主役が(主役の影が)現世に戻ってくる前にしんじまっていて……?でも死んじまってるから現世で影がなくて……?あっちの世界(壁の方)だと生きてるけど町の中にいたいなら影が消され、、外の世界(現世とは別)からすると壁の中にいる人々はそれはそれで死んでるカウントにでもなり……?でも影に自我があり……現世の影には自我などあるわけもなく……

そのようにすでに死んでいた子易はサブマリンと交信できて、でもそのサブマリンは主役を助けるため……といいますか、現世にサブマリンの居場所がなく、壁の世界に行く他なかった。壁に行く手立てとなる主役が影の形で現世に帰ってき、サブマリンと引き合わせるための中継地点となっていた……のか?

そして主役(の影)とも交信を始め(恐ろしいことに幽霊という形でだ)、サブマリンが壁側に行ける下地を形成した……まんまと主役の影とサブマリンを引き合わせた。そしてサブマリンは主役の本体に会いにいけ、主役と融合し、壁にいる主役になりかわり、主役を分離して壁側から解放してやった……

次回はこのあたりを掘り下げないと、多分わけがわからんのだろう。

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