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名前が決められない人はどうすればいいのか?

ぼくはハンドルネーム的なものを決めなければならないときに暗澹とした気持ちとなります。つまり決められない。ヘッダ写真をお借りしています。

そしてこのnoteはその解決策についてそこまで提示できるような内容になる予定はありません。もし同じ環境に陥った人がいたのであれば、「ああ、独りじゃなかったんだ」と思っていただく程度の解決策しか提示できない。それは解決策といえるのだろうか?心を中和する程度のちからしかない。それすらできないかも知れない。

CASE:歌

よく歌を創ってた時はいくらかましだった。「まし」というベクトルとは些か違いがあるかも知れません……

歌は多くても7~8分ぐらいであり、だいたいその歌で言うべきことを圧縮して題名になるからそれを題名にすればいい。なんなら別に歌の題名は圧縮しなくたっていい。くそ長い題名ならそれはそれで面白いですよね。「ミュンヒハウゼン症候群患者によるデジタルエントロピー現象」とかそういう奇をてらった題名をつけてしまえば目立ちようがあるかもしれない。

歌は変な題名をつけてしまっても、後でいくらでも変えられる。歌に適当なアイデンティティを与えてもそれが装飾になることが多いことが原因ですね。歌は結局生き物ではないからでもあるだろう。

ただGROUP名となると生き物が関わってくるため、そうはいかないでしょう。

CASE:グループ名

グループ名は固定しないと認知度が上がらない。逆に知名度を上げたくないみたいな理由があるのならグループ名をころころ変えればいいんでしょうね。

本人たちにその気があるのかどうかわかりませんが、ブルーハーツ、ハイローズ、クロマニヨンズが該当するでしょうか。

ただ、自分たちの名前を決めるなんてあまりにも重苦しいのではないでしょうか。例えば上記のように歌のグループで食っていくために名前を決める場合、CDに印刷され店頭に貼られる販促ポスターに表示される名前もそれになってしまう。グループが軌道に乗って、カラオケのお客が自分たちの歌を歌ってくれようとしてくれた場合に彼女/彼らはその名前を思い浮かべて、当該電子目次本でも使って、あかさたなを探すことでしょう。

後天的につける名前が厄介な理由

このように、名前は一生自分にのしかかる。悪く言えばつきまとう。自分を端的に言い表すものだと思ってしまうから、名前とは重大なインシデントとなってしまう。自分の中でコンセンサスが取れない。

なぜなら自分を端的に説明するなんてことは、自分の人生がどうだったか、どうであるか、どうなるつもりなのか、について説明できなければ実現しないからです。

「俺ってこういう人間だよな。よし!この名前にしよう」なんてことを決め打ちできる人なんているだろうか。相当自分に自信があるか、したいことが決まりすぎているんじゃないだろうか。

先天的に寄越された名前が気楽な理由

既に与えられた名前とは、他者に無理やりつけられたものだから自分にはどうしようもないという言い訳ができます。

別に欲しくてその名前を名乗っているわけではない、という消極的選択が人類すべての出生に実は深く関わっているものの、あまりそんなこと気にしないで誰もが生きている。

もちろん、自己の成長に伴いどうしても自分の名前に使われた単語が許せなかったり、名前をつけた奴が忌み嫌う存在になったりして、後から名前を変えることもありえるのではないでしょうか。そうなると、きらきらネームとか悪魔ちゃんとかはまだましなのでしょうか。

ただそこでも、後から自分で名前を決めるってめちゃくちゃ難しいだろうなあと思わされる。結局この問題に戻ってしまう。

次回はここから拡張して、他者に名前をつける時、SNSでハンドルネームを名乗ることを諦めた結果誕生した悲しきキメラ現象についてお伝えします。

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