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ド・モルガンの盗賊

あるいは三島由紀夫について。ヘッダ画像をお借りしています。こちらの絵は三島由紀夫の本をイメージなさったらしい。

というのもぼくは横尾忠則が大嫌いで、それは以下の理由でした。

なんか常識から逸脱するのがセンスだとか勘違いしているさまを芸術とはぼくは呼ばないのでそれは今後一切変わらないのだが、インタビューを呼んでしまった(ああ、なぜそんなもの読まないといけないのか?)。すると三島由紀夫とともに過ごした記録が含まれていた。

つまり三島を敬愛してい、来るはずないだろとたかくくって自分の個展に呼んだらまんまと来てしまい、メリケン女を書いた絵をメリケン女の絵かと笑われたらしい。そして嬉しくて(こっちからするとけなされているように見えるのだが)その絵をあげたら喜ばれて親交が始まったそうだ。

それにしてもアメリカ女をアメ公の女と呼ぶとは三島由紀夫は戦後にしては珍しいガチ目の保守的な考え方の人だったのだろうか。ぼくが元来そういうことに興味がなさすぎるのと、未だに右翼と左翼の違いもさっぱり知らんし知りたくもないので知らなかった。もし有名な話であるならどうでもいい。そもそも保守という意味がどういう意味なのかすら要らない。戦後って負けムードに押されて、外敵がどうこうみたいな意見なんて持ったってしょうがないみたいな感じなのかと思ってたんだが違うんだろうか。もちろんその真実も知りたくもない。

ところで横尾の三島由紀夫の写真を見たら、山川純一の書いた阿部高和に見えてしまった。もしかしたら山川純一とは阿部高和の着想を在りし日の三島由紀夫から得たのではないか?と思うほどだった。

ぼく自身も山川純一についてありがちなネットミームでしか知らず彼に金を落としていない身なのでいいづらいのだが、阿部高和の劇画調でありながら手塚調も踏まえたような佇まいが、それこそ在りし日のネット黎明期の人々を惹きつけたのであるならば、それは三島由紀夫性にあったのか。いずれにしても、山川純一にも三島由紀夫にも失礼な話なので書くべきではなかったかもしれない。

横尾が足の怪我で入院したら三島が電話してきて、すぐ歩けるようにしてやると言ったらしい。意味わからんと思ってると、その三日後に三島は例の死に方をしたらしかった。つまり決意をしたあとに横尾と会話したことになる。横尾と話したときにはすでに覚悟していたと言いかえることも可能か。

果たして横尾は三日後にそのニュースを聴いた矢先、ガチであるけるようになってしまっていたというから驚かされる。もっとも三島はそれすら見届けずに逝ってしまったのだというからマジで人間といいますか知的生命体の枠をどこかしら踏み越えてしまった存在であったかのように思えてしまう。

ぼくが見た三島由紀夫とは、眠そうな顔の川端康成と活き活きした表情で話し続けるモノクロのBSかなにかの映像でしかなかったためだった。戦争を知らない戦後の連中は、戦後でもそのよくわからん灯を燃やし続けていた三島由紀夫にまるで麻薬のように憧れていたんだろうか。と、ソンガンホ主演の麻薬王という映画を見て思い、それについて書こうと思ったんだが横尾のせいでこんなことになっちまった。明日か明後日話しましょう。

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