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みんなやっているんだから

入山章栄さん(以下敬称略)のコラムを読んだかんそうです。たくさんのことが書かれていますが、特にメンバーシップ型雇用を見直そうぜのあたりに共感してしまった。ヘッダ写真をお借りしています。

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00030/052000373/?P=3

というのも(直接は関係ないですが)前回ぼくは学校教育は突然終わり、いきなり専門性が求められて金銭を生む生き物とならなければならない社会基盤……といいますか社会構成があると感じたと言いました。

入山コラムにはダイバーシティについて触れられています。

ダイバーシティを進めなければならないと誰もが理解(あるいは、理解したポーズをしていれば対外的にいい顔ができる程度は理解)しているのに、新卒一括採用や終身雇用や年功序列を一切やめる気がない各社の姿勢は笑うしかない。

能力にもダイバーシティがあり、どのように働きたいかにもダイバーシティがあるのに、企業側が一方的に働き方を押し付ける。お前は19歳になったら、あるいは23歳になったら、東京丸の内のこのビルに朝9時に来い。17時までは一歩も帰さん。それを月曜から金曜まで命尽きるまで続けろ。通勤帰宅に余計な時間がかかるが金は出してやるから黙っていろ。経営者からすれば、わざわざお前を雇ってやってこの程度に従えないなら他の場所に行きやがれ、という理論が成り立つらしい。企業に金を貰うということは、企業に付き従うことだ。

例えば学生結婚して、たまたま双子が生まれ2児を育てている。悲しいかな保育園が分かれてしまった。したらまた妊娠した。すると夫1人での保育園への送り迎えが使命となり、丸の内なんかに通っている場合じゃない。それでも来いというでしょう。みんなやっているんだから。

「みんなやっているんだから」はダイバーシティへの殺害予告と言っても過言ではありません。そんなの知ったことじゃない……と言ってしまうと同レベルの暴論になってしまいますので言い換えれば、「それをやっているという一定数のダイバーシティがあるという現実がある。それができないという一定数のダイバーシティもまた存在する。比べて片方に物を言わそうとする時点で話の次元が崩壊している」とかがいいでしょうか。

「みんなやっているから従う理由」なんてどこにもない。定時になると施設から自動的に配車されて家の前に親が設置されてしまう人(要介護を婉曲に表現しています)でも、17時まで企業に付き合わなければならないのだろうか?冬の日に、毎日自動的に家の前に置かれた親はいつか寒さに耐えかねて死ぬでしょう。その企業がその親を殺したことになりますね。

つまり斯様な就業規則が仮に存在していて遵守しなければいけない企業があったとして、前提として崩壊していることがわかる。それを守ることが働かせていただくことであるという理論が成り立たないことがわかる。

新卒一括採用や終身雇用や年功序列を「良い物」として享受したいのであれば、これに付き従えという人質感もある。それをやめさせるには義務教育のあたりから、人間が企業で働くようになる風体を知っていた方がいいはずなのに、ここにだけダイバーシティ(を浸透させねばならない、的な)の力が働き、働き方は一定ではないという原理・原則が持ち出された結果、小学校では国数理社しか教えられないまま大きく育つ。次回はこの辺りについてぼくとお話してください。

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