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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2022年12月の記事一覧

記憶力が弱いのではなく。

記憶力が弱いのではなく。

ネットサーフィン、ということばはもう死語なのか。

ブラウザで閲覧するテキストのうち、ソーシャルメディアの比率が増すにつれ、ネットサーフィンをしなくなったしできなくなった。ネットサーフィンには「関連情報のリンクをたどる」という一応の文脈らしきものがあり、思わぬ地点にたどり着いたとしても、ことのはじまりからの意識はつながっている。しかしタイムラインという情報の濁流を基本とするソーシャルメディアには「

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常連客になりたかった。

常連客になりたかった。

行きつけのお店をつくるようになった。

月に一回、かならずそのお店に行く。翌月の予約を取ってから、会計をすませる。そういうお店をいま、三軒つくっている。会社の近くで一軒、自宅近くで二軒。ありがたいことに飽きる様子はない。むしろカレンダーに記された予定が、いい感じのたのしみになったり、区切りになったりしている。

二十代のころ、神楽坂に住んでいた。これだけたくさんのお店があるのだから、どこかの常連に

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思いついたことを思いついた順に。

思いついたことを思いついた順に。

■ 膝の痛みが峠を越えた先週ずっと痛んでいた膝が、きのうになって急に「大丈夫かも?」と思えるところにまできた。痛みはある。ちゃんと痛い。しかしながら歩いていて左膝がグラグラ揺れることがなくなり、グラグラからのグキッが怖くて左足を引きずって歩くようなこともなくなった。先週の後半にはほとんどふつうの歩き方を忘れ、武藤敬司の真似をする神無月みたいだったのに。年末年始は犬との長距離散歩が増える予定なので間

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「書く人」と「読む人」のコミュニケーション。

「書く人」と「読む人」のコミュニケーション。

あれはおおきな勘違いだったんだなあ、と思う。

若いころのぼくは、「誤読はすべて書き手の責任だ」と思っていた。誤読を読者のせいにしてはいけない。誤読の余地があるものを書いているうちは、プロのライターとは言えない。どんな読者が読んでも「そうとしか読めないもの」を書き、そのうえで、読みものとしてのおもしろさをめざす。それが(作品と商品のあいだにあるものを書く)ライターの務めだと思っていた。人にもそうア

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また犬の話をします。

また犬の話をします。

うちの犬はなぜ、こんなにもかわいいのか。

わが家の愛息、ぺだるのことではない。犬と暮らすすべての人びとにとっての「うちの犬」である。犬好きなぼくなど、どんな犬を見てもかわいいと思う。たとえばネパールのあちらこちらで見かけた野良的な風貌の犬たちも、たまらなくかわいかった。

それでもやっぱり、「うちの犬」はかわいい。比べるわけではないが、とびきりにかわいい。目が曇っているのか。だとしたら曇りの正体

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心の人工衛星を旅させて。

心の人工衛星を旅させて。

ぼくは福岡の出身である。

転勤族の息子だったものの、ずっと福岡県内をぐるぐる住み替わっていた。福岡市で生まれ、北九州市に移り、大川市、また福岡市、柳川市、また北九州市などなど、引越をくり返していた。それでもまあ、おおきく言えば「福岡の出身」である。大学も、最初の就職先も福岡だ。

そんな自分もいつの間にか、福岡県民として過ごした時間よりも東京都民として過ごす時間のほうが長くなっていた。「福岡の出

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可能性は、ふたつあります。

可能性は、ふたつあります。

十返舎一九に『東海道中膝栗毛』という作品がある。

読んだことはない。しかしそれが弥次さん・喜多さんを主人公とする紀行物の滑稽本であることは知っている。さらにまた「膝栗毛」が(栗毛に代表される)馬に頼らず、おのれの脚(膝)で旅をする、という意味であることも知っている。膝に栗色の毛が生える怪談話ではないのだ。

先週末からどうも、膝が痛かった。

歩いていると、左の膝関節がカクンと逆に入ることが何度

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もしも自分がここにいたなら。

もしも自分がここにいたなら。

たとえば記者会見の中継を見ているとき。

ぼくはいつも「自分が(記者として)ここにいたなら、どんな質問するかなあ」と思いながら見ている。会見の流れ、前の記者が訊いたこと、それに対して語られたこと、などを勘案しながら「いまここで、次におれが当てられたなら、なにを訊くかなあ」と考えている。

当然ながら、ぼくはそこにいない。なのでなにも訊けない。別の記者が、別の質問をする。そうすると次には「いまの質問

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刺激が足りないと言う前に。

刺激が足りないと言う前に。

感覚的な話をする。エビデンスはとらない。

たとえばアルコール。ニコチンやカフェイン。そしてさまざまな違法薬物。これらはだいたい、身体に悪いものとされている。いや「一日一杯の赤ワインで健康になる」とか「一日一杯のコーヒーが長寿につながる」みたいな話はよく聞くけれど、一般論として。アルコールで身体を壊す人、長年に渡る喫煙習慣によって肺を病む人、薬物の過剰摂取で命を落とした伝説的ミュージシャン、いろい

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意識の流れをそのまま書くと。

意識の流れをそのまま書くと。

馬鹿を言うな。



ある意味これは隠喩の作法である。本来ならば「馬鹿(なこと)を言うな」とするべきところを、(なこと)を省略して「馬鹿を言うな!」。いかにも直接的で、勢いがある。古い映画に出てくる明治生まれの頑固爺さんあたりが言いそうなセリフだ。



そういえば子ども時代、テレビに出てくるおじいさんやおばあさんが明治の生まれだと聞くと、ちょっとだけ「おおー」と思っていた。「かっこいい」と。

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この才能にどうか居場所を。

この才能にどうか居場所を。

モノマネについて考えるところから、きょうの話ははじまる。

どの学校のどのクラスにも、先生のモノマネがうまい人気者はいたはずだ。女子のことはわからないのでひとまず男子にかぎって言うならば、「先生のモノマネ」は中高生にとって最高のエンターテインメントだったはずだ。ぼくとて高校時代、現国・清水先生のモノマネ「啄木はねェ〜」は部室芸での鉄板ネタとしていた。

しかしながらいま、ぼくが「啄木はねェ〜」とか

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時間という名のお皿のうえに。

時間という名のお皿のうえに。

犬の散歩コース沿いに、焼肉屋さんがある。

食べ放題の焼肉を提供する、学生に人気のお店だ。夜の時間帯にそこを犬と通ると、あたりまえに焼いた肉の匂いがする。腹減ったなあ。肉食いてえなあ。律儀に毎回、そう思う。

一方でそこは住宅街と言ってもいい場所で、近隣にはマンションもあれば、戸建ても建ち並ぶ。もしもおれがここの住人だったなら。なにも知らない犬と一緒にマンションを見上げる。この匂いも気にならなくな

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細分化をやめてみる。

細分化をやめてみる。

ある種それは洗礼のようなものだった。

高校2年の夏。県大会で敗退した3年生の先輩が、部活を引退した。いちばん仲のよかった先輩は大学受験も考えておらず、そこから半年が思いっきりヒマになった。当然のように彼は、アルバイトをはじめた。自宅からほど近いファミリーレストランの、厨房に入った。

二学期がはじまり、先輩はぼくら後輩たちのたむろする部室に遊びに来た。ファミリーレストランでのアルバイト生活を、お

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師走になるとぼくたちは。

師走になるとぼくたちは。

いやあ、もう師走ですなあ。

この時期になると人は、なぜかそう言いたがる。たとえば年の明けた1月になって「いやあ、もう睦月ですなあ」と詠嘆する人はなかなかいない。3月の「弥生ですなあ」や8月の「葉月ですなあ」も、まず聞かない。どういうわけだかわれわれは、この時期にだけしみじみと、陰暦12月の異称たる「師走」を口にする。

いったいなぜであろうか。もちろん理由の筆頭として挙げられるのは、「年の暮れだ

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