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時間という名のお皿のうえに。

犬の散歩コース沿いに、焼肉屋さんがある。

食べ放題の焼肉を提供する、学生に人気のお店だ。夜の時間帯にそこを犬と通ると、あたりまえに焼いた肉の匂いがする。腹減ったなあ。肉食いてえなあ。律儀に毎回、そう思う。

一方でそこは住宅街と言ってもいい場所で、近隣にはマンションもあれば、戸建ても建ち並ぶ。もしもおれがここの住人だったなら。なにも知らない犬と一緒にマンションを見上げる。この匂いも気にならなくなるのだろうか。それとも連日連夜、腹が減っただの肉が食いてえだのと思うのだろうか。


オフィスに着くと、まずコーヒーを淹れる。ハンドドリップではなく、ミル付きのコーヒーメーカーで淹れる。それでも十分にうまいし、オフィス全体がちょっといい香りに包まれる。そうして淹れたコーヒーを飲みつつメールの確認をするところから、ぼくの仕事ははじまる。

お酒であれ、煙草であれ、あるいはコーヒーであれ。人はその味をたのしみながら、時間をたのしんでいる。その意味でいちばん場持ちするのはお酒だろう。飲んでるあいだ、ずっとお酒の時間は続く。煙草はせいぜい3分間。コーヒーにしても、「コーヒーの時間」と呼べるのはその熱が冷めるまでの数分間だろう。チェーンスモーキングする人はニコチンが足りないというよりも「煙草の時間」が思いのほか足りなかったのだろうし、二杯目三杯目のコーヒーを淹れたがるぼくも、「コーヒーの時間」が足りないと思っているのだろう。

テレビの時間、映画の時間、読書の時間、音楽の時間。おしゃべりの時間、ぼうっとする時間、犬を撫でる時間。

回転寿司のごとくまわってくる時間という名のお皿に、なにを載せるのか。その選択肢が豊富な人は、きっと豊かな人なのだ。