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この才能にどうか居場所を。

モノマネについて考えるところから、きょうの話ははじまる。

どの学校のどのクラスにも、先生のモノマネがうまい人気者はいたはずだ。女子のことはわからないのでひとまず男子にかぎって言うならば、「先生のモノマネ」は中高生にとって最高のエンターテインメントだったはずだ。ぼくとて高校時代、現国・清水先生のモノマネ「啄木はねェ〜」は部室芸での鉄板ネタとしていた。

しかしながらいま、ぼくが「啄木はねェ〜」とか「芥川はねェ〜」と、清水先生のモノマネを披露したところで喜んでくれる人はだれもいない。そりゃそうだ。みんな清水先生のことを知らないのである。

つまりモノマネとは、「みんながその人のことを知っている」という前提のもとに成り立つ芸なのである。福岡大学付属大濠高校の国語教師・清水何某のことは知らないが、武田鉄矢のことなら知っている。だから武田鉄矢のモノマネは、プロの芸として成立する。わざわざ書くまでもない、当たり前の話である。

ところが。

たとえば1980年代において、松田聖子さんのことはまあ、老若男女みんなが知っていた。それゆえ松田聖子さんのモノマネは地上波ゴールデンタイムに耐えうる芸であった。一方で現在、老若男女みんなが(その声色や所作まで含め)知ってるトップアイドルなど、おそらくいない。仮に「あのアイドルグループの、あの子」をモノマネされても、ぼくはわからない。それはほとんど、隣の高校の国語教師のモノマネ芸に近いものとして映ってしまう。

そういう時代背景を逆手にとって誕生したのが「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」である。みんなが知らなくてもいい。おれさえ知っていればいい。なんなら、おれが知らなくてもいい。極端な話、隣の高校の国語教師でもいい。なんといっても「細かすぎて伝わらない」のだ。その文脈さえ共有してしまえば、むしろ知らないことがおもしろいのだ。大発明だと、ぼくは思う。



「TAROMAN」の吹き替え(マミ隊員・少年隊員の声)をやっていることで知った「マザえもん」さんという方がいる。まだ20代の方みたいだ。

とてつもない大天才だと思うのだけど、これも「細かすぎて伝わらない」になるのかなあ。仮に細かすぎて伝わらないのだとしても、めちゃくちゃなおもしろさはぜったい伝わるはずだし、それはまさにいまの時代の才能なんだと思う。

彼の才能の活かしどころを思いつけない自分に歯ぎしりしちゃうくらい、いま大好きです。