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意識の流れをそのまま書くと。

馬鹿を言うな。

ある意味これは隠喩の作法である。本来ならば「馬鹿(なこと)を言うな」とするべきところを、(なこと)を省略して「馬鹿を言うな!」。いかにも直接的で、勢いがある。古い映画に出てくる明治生まれの頑固爺さんあたりが言いそうなセリフだ。

そういえば子ども時代、テレビに出てくるおじいさんやおばあさんが明治の生まれだと聞くと、ちょっとだけ「おおー」と思っていた。「かっこいい」と。大正生まれは、おじいさんやおばあさんの入口に立つ人。昭和生まれはおじいさんやおばあさんではない人。いまでは信じられない区分だけれど、昭和40年代生まれの自分にとってはそれがリアルだった。泉重千代さんなんて、江戸時代の生まれだったのだ(ほんとは違うらしいけど)。

泉重千代さんはまず、ルックスがよかった。仙人めいた風貌と長い髭。そして酒と煙草をこよなく愛し、ときおり垣間見せるユーモア。子どもながらに明らかな異世界の住人として彼のことを敬愛していた。

年をとりたくない、とは思わない。けれども一方「若いひと」でなくなるのは嫌だなあと思う。そこにはもうちょっと、抵抗していきたいと思う。もちろんルックス的な意味においてではなく、内面の話として。心の若さはちゃんとキープしていきたい。

……みたいなことは30代くらいから思っていたのだけど、最近わかってきたのは見た目の若さもけっこう大事だぞ、ということだ。若ぶる必要はないけれど、モテようとしなくてもいいけれど、清潔感を失ってはいけない。清潔感はなんとなくの好ましさにつながり、フレッシュさにつながる。

これは時代の声でもあるのか、ネットを見てるとアンチエイジング系のターゲティング広告がバンバン表示される。中年男の目元ケアみたいなやつからシミ取り、そして精力剤系のやつまで。中年男のどまんなかを生きるぼくに照準を合わせて、それらの広告は表示される。年をとるな、若く生きろ、まだまだモテろ、と広告はあおる。

泉重千代さんが聞いたら、こう言うだろう。

すなわち「馬鹿を言うな」と。