見出し画像

動くひとは、自分の理想を叶えられるひと。

 テレビに海外の美しい景色が映っており、あなたはそれを見て「わたしもいつか行ってみたいなあ」と思ったとする。あなたはほんとうにその場所に行くか?
 行動を起こさないひとが大半だと思う。死ぬまでにどうしても行ってみたいかと聞かれたらどちらかと言えばNOだし、なんとなく心にそう浮かんだだけかもしれない。どちらかと言えばYES——つまり行ってみたいけれど、それはいまじゃなくてもいいと思ったひとに問いたい。いま、あなたの胸の中には「行かない理由」が次から次にぽんぽん湧き出て来てはいないだろうか。
 行ってみたい。でも。飛行機が苦手だし。言葉の通じない国に行くのは不安だし。同僚が働いている時間帯に有給を取って自分だけ遊びに行くのはどうにもうしろめたいし。パスポートの申請に行くのめんどうくさいし。
 ひとは変化を恐れる生きものだから、「行かなくてもいい理由」をとっさに考えてしまうのかもしれない。何より、失敗をするのが怖い。周りから馬鹿にされるかもしれないし、お金だって無駄にしてしまうかもしれない。最先端ファッションのように、噂のタネにされるものは凄まじいスピードで入れ替わっていくし、ひとの記憶もどんどん更新されていく。口で言うだけなら簡単だけれど、お金はまた稼げばいい。費やした時間がすべて泡と消えたとき、べこべこにへし折れてしまった気持ちを立て直すのに、これまたたくさんの時間と癒しが必要だけれど。この方法だとゴールまで辿り着けないと言う情報が手に入ったのだから、それもひとつの収穫だと思えば、気持ちもちょっとは軽くなる。失敗をして、このやり方ではダメなのだとアプローチの方法を見直し、もういっかい挑戦をして、また失敗をして。そうやってようやっと結果を勝ち得たときに感じられるしあわせが、ふわふわのお布団にくるまって睡眠を貪ったときに感じられるしあわせと同じくらいのものだと知っている。けれど、その道中で嫌と言うほど味わわされる苦渋の方が、ふしぎなことに記憶に鮮明に残っている。だから挑戦しなくなる。ずっと同じ場所にいる。

 私のお世話になっている心療内科は、とあるマンションの3階にある。そのマンションの2階にある2部屋は学習塾として使われているのだが、2階の外廊下には、偉人の肖像とともにその人物の名言が掲示されている。3階まで上がるのにエレベーターではなく階段を使うと、マンションの構造上、必ずその前を通る。いくつか掲示されている中でもとりわけ、「努力をするひとは希望を語り、怠けるひとは不満を語る」と言う井上靖の言葉を、わたしは気に入っている。
 理想を現実にしようと行動を起こしているひとは、果たして世の中にどのくらいいるのだろうか。
 文句を垂れるだけなら簡単だ。誰にだってできる。赤ん坊は泣いて空腹を訴えるし、犬は吠えたり拗ねたりして「いまはこのおもちゃの気分じゃない」と訴える。けれど、ある程度の年齢になると、どうすればよいのかを自ら思考し、こちらにしようと自ら決定し、さらにそのすべての責任を負わなければならなくなる。泣くだけじゃ、仏頂面をしているだけじゃ、だんまりを決め込んでいるだけじゃ、誰かに当たり散らすだけじゃ、何も解決することのできなくなるときが来る。子どもの頃は、友達にいじわるをされて悲しかったり、自分の思い通りにならなくて怒っていたり、そう言うとき、暗い顔をしてそこにじっとうずくまっていればいずれ優しい誰かが「どうしたの、何かあったの?」と声をかけてくれたかもしれない。そのわがままが通じなくなる。自分で水を掻いて、じょうずに泳いでいかないといけなくなる。

 なんでも思い通りになるはずがない。例えば、わたしはあなたと行動をともにしていて、わたしは上り電車に乗りたいけれど、あなたは下り電車に乗りたいとする。このふたつが同時に叶うことはない。どちらかが譲るか、別行動をするか。はたまた、独裁者よろしくちからで以て相手をねじ伏せ、自分の我を通すか。どちらにせよ、理想を実現するためには、現状の何かしらを変えなければならない

 「現状の何かしらを変える」のは難しい。これまでに自分が築きあげた生活スタイルを崩してしまうのが惜しいと言う気持ちを拭いきれない。さらに、後戻りができない恐ろしさに足がすくんで、「ひとつ前に進むために、ひとつ何かを犠牲にする」決断を下すに至れない。道理で重い腰が一向に上がらないわけだ。

 フットワークを軽くするために。ゲームをしたことはあるだろうか。
 もしあるのなら、ゲームをしているときのことを思い出してほしい。

 どうやっても倒せない敵がいる。どうすればその敵を倒すことができるだろう?
 単純に、倒すにはレベルが低すぎるのかもしれない。レベルを15上げてから、もういちど挑戦してみよう。
 レベルを15上げたけれど、また負けてしまった。何がいけないのだろう。そう言えば、攻撃をしても相手のHPがなかなか削れなかった。ちょっとずつ地道にHPを削っているあいだにやられてしまったのだった。攻撃力の基礎値を底上げすることができるアイテムがあったはず。それを使ってもういちど挑戦しよう。
 攻撃力を底上げしたから、攻撃するたびに削れるHPの量は増えたけれど、相手のいっかいの攻撃でこちらのHPが1/3も削れてしまう。ながく戦うためにもっと持久力をつけないと。攻撃力の基礎値を底上げしたときと同じように、こんどは防御力の基礎値を底上げするアイテムを使ってみよう。相手は氷属性の攻撃を多用するから、こちらは特に氷属性の防御に秀でているアイテムを装備しよう。

 あなたもそのような経験をしたことがあると思う。こちらのレベルは十分か。回復薬はたくさん持ったか。相手の弱点は何か。相手の攻撃前のモーションは何か。
 現実世界では難しいかもしれない。けれど、ゲームの世界でのあなたは、わたしがこの記事の冒頭で書いたように「失敗をして、このやり方ではダメなのだとアプローチの方法を見直し、もういっかい挑戦をして、また失敗をして」いる。そして実際にやり遂げている。
 いつか。新しいことに挑戦してみたいけれど、怖くてなかなか最初の一歩を踏み出せないとき。物事がうまく行かなくてイライラしているとき。ゲームをしていたときの感覚を思い出してほしい。「あのゲームではどうしていたっけ。まずは状況を整理しよう。この問題を乗り越えるためには、自分の持っているどの要素を補強すればいい? 現状では情報が少なすぎるから、ひとまずこの方法でアプローチしてみよう。これでどこがいけないのか問題点が浮き彫りになる」。恐ろしさやイライラが潮のようにすっと引いて、冷静に、前向きに取り組めるようになる。心が軽くなる。
 もちろん、ゲームのように気に入らなかったら保存せずに電源を切ってすべてなかったことにしたり、死んだひとが蘇ったりなんてしないけれど。ほんとうに苦しくてしょうがないときは、それまでのプレイを保存してゲームをひとやすみするように、ちょっとおやすみしてみるのもいい。


 たったいっかいきりの人生だもの。「やってみたい」。「行ってみたい」。
 その言葉だけで夢を終わらせるのはもったいないと思わない?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?