08【針箱のうた】結婚1938(昭和13)年~(2/2)
「産めよ、殖やせよ!」
フク
おとうさんがあんまりあれをすると子どもができるといけないからと言って、ひと月に1回位しかそっと寄ってこないのに産まれちゃう。妊娠するとお腹がすいてお腹がすいてどうにもしょうがなくて、自分で持ってきたお金で2~3軒先のお饅頭屋から6つで10銭の大福を買ってきて、お針の台の下に隠しておいてサッと食べてしまって、それでも平気で御飯が食べられた。姑が階段を下りて来る音がすると、目を白黒させながら大きな大福をゴクンとの飲んじゃって、今思い出すと笑っちゃうねえ。
H
避妊についての知識とかはなかったんだね。
フク
ないない。性についての知識はおとうさんも私も全くなかったよ。今は簡単に避妊ができるようだけど、「産めよ、殖やせよ!」の時代だもの、避妊なんてすれば国賊だよ。私たちは本当に無知だった。
長男K夫誕生
H
昭和15年(1940年)が「紀元2600年」なんだけど覚えている?
フク
覚えているけど、生活に追われていたからねえ。だんだんと物が無くなってきた頃だね。
H
「ぜいたくは敵だ」なんて言われ始めだ頃だよ。東京の婦人団体が「ぜいたく警告カード」を手にして、街頭で “要注意の女性“ に手渡したりなんかしたんだって。貧乏な我が家には関係ないみたいだけど。
フク
長女M子が生まれて直に長男K夫がお腹に入った。そんな頃問屋さんからは何度も勘定を払えと督促がくる。おとうさんは丙種合格で兵隊には行かなかったけど、徴用になる前に行った方がいいということで、そろそろ工場へ行っていた。
H
昭和13年に国家総動員法が成立した結果だね。昭和14年に国民徴用令が公布されて、国民を軍需工場に動員し始めたんだ。
フク
そこで私が問屋さんに謝りに行って、「何とかお酒をまわして下さい」と頭を下げた。大きなお腹をしてM子を負ぶって問屋さんに行ったら、番頭さんが「あんたは深川の酒屋の親戚でしょ。タケどんはそこに十何年もいたんでしょ」と言われたから、私は「そうです」と言った。「その酒屋は何もやってくれないんですか」と聞かれたから「何にもやってくれません」と答えた。そうかぁ、私はタケどんを見損なったと思っていたら、何もやってくれないのか」と言った。この番頭さんは恩人だ。
「それじゃああなた、私がお酒をまわすから持てるだけ持って帰りなさい」と言ってくれた。深川から店まで市電と省線を乗り継いで、M子を負ぶって5升を持って帰ったよ。重くたって何んたって、欲と道連れだから夢中で歩いて帰ったね。あれで何十回通ったかねえ。嬉しかったねえ。昭和16年2月20日、K夫は簡単に生まれた。かれこれ800匁あったから育てるのも楽だった。
トラック1台のビール
まだ借金はあったけど、商売の合間に縫い物をしていたので、いくらか私にもお金の余裕ができてきた。お酒が統制になるちょっと前に、トラック1台のビールが来た。運転手さんが「下ろしますか、下ろしませんか」と言うから、「おいくらですか」と聞くと「240円です」と言う。私は大声で「下ろしてください」と言って、ビールの栓をポン・ポンと2本抜いてコブのつまみを開いて、「さあこれで一杯飲んでいって下さい」と言った。そして姑に「おばあちゃん、ちょっと銀行に行ってきますから」と言ったら、銀行になんかお金がないのを知っているから、M子を観ながらK夫を抱いて新潟の言葉で「どうしようばあ、どうしようばあ」とつぶやきながら、おばあちゃんはオロオロしていた。
わたしは軍需工場の組長をしていたNさんというお得意さんに行って「ビールを持ってきますから、お金を貸してください」と言ったら、「いくらだ」というから「240円です」と言うと、「あいよ」とお金を貸してくれた。それからというものは醤油は来る、味醂は来る、たちまちのうちに700円の借金を返してしまった。
次男K二誕生
フク
昭和17年(1942年)7月13日、K二が生まれた。もう3人目だからということでお産で入院しているとき、家の者も誰も見舞いには来なかった。そうしたらお得意さんの娘さんもお産で入院していて、「飴もないの、かわいそうに」と言って、お母さんが飴玉を置いていってくれた。このときの嬉しさも忘れられないね。
ちょうどこの頃だったね、私の歯が駄目になってしまった。歯が抜けてしまったから治したいと言ったら、「実家に行って治して来い」と言われた。仕方ないから実家へ行ったら父親が「タケどんが煮て喰おうと焼いて喰おうと、私の勝手にさせて下さいともらっていったのだから、うちではびた一文出せない」と言った。
そうしたら日本勧業銀行の本店に勤め始めていた妹が、私が帰った後にその話を聞いたらしく、明くる日電信為替で20円送ってくれた。「ねえちゃん、歯が悪いとおっぱいも出ないし、栄養も入らないと体をこわしちゃうから、1日も早くこのお金を足して歯を治してちょうだい」と添え書きしてあった。嬉しくて、嬉しくて......。
H
いい話だね。
I先生のこと
フク
深川の歯医者さんのところで書生さんをやっていて、顔見知りだったI先生が近所で開業していたので、「こういうことで、先生歯を治して下さい」と訪ねて行ったら、先生は「かわいそうになあ、あんたそんな苦労をしているのかよ。そうか、全部治してあげる」と言ってくれた。総入れ歯にした治療代として先生は10円しか受け取ってくれない。他でお礼の品を買うとお金がよそへ行ってしまうから、妹から貰ったお金だと姑に断って、自分の店の品物を10円分買って先生にお礼をした。「何もこんなことしなくてもいいのになあ」と、先生は言ってくれた。
柿ちゃんからの礼状
フク
妹に礼状を出すのに、私は裁縫ばっかりで字を知らないから、姉ちゃんと書くところ柿ちゃんと書いてしまった。木偏と女偏じゃあ大違いだよ。「柿ちゃんのかわりにお父さん、お母さんに孝行してちょうだい。あのお金でもって、柿ちゃんは歯がすっかり良くなりました。本当にありがとう」と手紙を出した。それを父親が見てホロッとしたらしい。普通だったら父親がそれだけ言ったら、母親が陰にまわってくれるべきなんだよね。私の実母が残してくれた私名義の長屋について、白紙委任状を義母に書いたのだし、その長屋の家賃も入るんだから。ついついグチが出ちゃうね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?