FUKUDA Showhey™

素描画家 / Drawing Artist https://www.instagra…

FUKUDA Showhey™

素描画家 / Drawing Artist https://www.instagram.com/showheyhyougen/

マガジン

最近の記事

懐かしさ中毒

思い出は、人それぞれの中で、それぞれの意味を持っている。 最近、『懐かしがること』について考えていた。過去の記憶を遡り、その時の情景や言葉や感情を頭の中でリプレイする。その時に想いを馳せ、その時に意識を浸らせる。それは、ふと目の前に現れた道や山や海、住宅や学校や病院や街、部屋や引き出しやテレビ番組、気温や湿度や天気、朝だったり昼だったり夜だったり、そして写真だったり。思いがけないきっかけで突然リプレイされることもある。よく[セピア色]という表現で思い出が語られることがあるが

    • うめく。

      自分の心をどうにかしたいと思っている時って、大抵心が病んでいる。そういう時って、いつも長い文章を書きたくなる。あと、人の心について色々調べてまとめようとする。ということは、今がまさにそういう時なんだろう。 旧約聖書のひとつに《エゼキエル書》というものがある。ここに登場するエゼキエルは、紀元前6世紀頃のユダヤ人で預言者。彼が神より得た言葉を48章にまとめ、構成された聖書がエゼキエル書とよばれている。 エゼキエル書 第24章に、『エゼキエルの妻の死』という物語がある。 この内

      • ドーパミン調整計画

        映画『PERFECT DAYS』を公開初日に観て、1ヶ月後に2回目を観た。 随分前の情熱大陸で、画家の石井一男さんの日常が取り上げられていて、そのルーティンライフに衝撃を受けたことを思い出した。その質素清貧の生活は、ただ単なる地味な習慣ではなく、心の豊かさと力強さを感じさせる。過去に辛い経験もされていて、単純な人生を送っているわけではない。この土台があるからこそ、今、目の前にある些細な出来事に小さな喜びを得ることができているのだと思う。 彼のことが書かれた著書に、その生活の

        • 自分を知る旅

          《ミステリという勿れ》のワンシーン。 放課後の教室で、ぼぅっと窓の外を眺める久能君。大切な人との別れがあった。 その様子を見た天達先生が声をかける。すると、 2人だけの静かな教室で、久能君は思っていることを話す。 少しの沈黙のあと、先生は話し出す。 久能君は先生を見つめる。 先生は元気づけるように、話を続ける。 自分を“探す”旅、ではなくて 自分を“知る”旅。 自分探しと銘打って、ここにいる自分をわざわざ探すことはない。自分はいつもここにいるのだから。知らないこと

        懐かしさ中毒

        マガジン

        • DIARY/
          13本
        • NEWS/
          2本

        記事

          声のない叫びは煙となり

          新年あけまして、 こんな災いはひどい。 人々が幸福を祈る最も大切な節目に、 神は元日でも容赦ない。そんな幕開けだった今年。 あれから何だか、心のどこかにモヤモヤかイライラがうろちょろしているようで。決して晴れ渡った心ではない。自分のことで精一杯ではあっても、報道で被災された方々の呆然と佇む姿や、振り絞って出されている声を目の当たりにすると、つい傍観者になってる自分の愚かさに気づく。「僕は別件で、悲しみの淵を何年も彷徨っているのだから他のあらゆる不幸を無視できる免罪符を持って

          声のない叫びは煙となり

          少女の眼

          青い空に入道雲が湧いていた。 コーヒーを買いにコンビニへ行く途中、信号待ちをしていた黒塗りの霊柩車を見かけた。運転席にはマスクをした葬祭場スタッフの男性。助手席には、10歳くらいの少女が座っていた。こちらからは顔だけしか見えないほど、少女は小さかった。じっと前方を見て、静かに座っていた。誰が亡くなったのかはわからない。想像もしない。ただ、少女が霊柩車の助手席に座っているその光景に、悲しさや絶望など微塵も感じなかった。どんなことを考えているんだろう。まだ幼いから、わからないかな

          『マグカップ展』 に参加します。

          マグマグカップの展示会をします。 マグカップばっっっかりです。 お時間ありましたらぜひ✋ 『Brand New Mug,Brand New Day!』 @KOZENDOギャラリー(MAP) 福岡市中央区平尾3-5-9 2023年5月16日(火)~28日(日) ​open 11:00~18:00 *22日(月)は休み​21日、28日(日)は、 リビングコーヒーによる出張コーヒー。 詳しくはホームページををご覧ください。→KOZENDO ホームページ

          『マグカップ展』 に参加します。

          【終了】『KOZENDO Exhibition』

          『KOZENDO Exhibition』2023年2月1日(水)〜2月14日(火) グループ展に参加することになりました。 昨年の展示会に出展した作品の続きを出す予定です。昨年の作品を『左景』とした上で、今回『右景』を只今絶賛描き追われ中です。場所は、福岡市中央区平尾のKOZENDOというできたてのギャラリーです。高宮通り沿いの古民家をリノベーションした落ち着いた空間で、ギャラリーのこけら落としとして招待していただきました。展示期間中、竹細工ワークショップやおはなしの会も開

          【終了】『KOZENDO Exhibition』

          変わること。

          散歩をした。 昔暮らしていた家の辺りを歩いていた。 池のほとりにその家はあったが、随分前に取り壊されていて、見る影もない。今日は当時の面影を、その周辺の家や道に求めながら歩いていた。 池が、最近埋め立てられているという話を聞いた。見に行くと、池は赤い土で満たされていて既に水分を失っていた。広い空き地となったその場所は、もう思い出の場所ではなくなった。永遠に存在する池だと思っていたが、今はさびしさと諸行無常を感じている。しばらく眺めていた。 旧:池の近くで休憩していると、

          変わること。

          ある地鎮祭と、地域アート。

          地域アートの話、の前に、 直接関係のない地鎮祭のお話。 先日、友人の仕事のお手伝いで、地鎮祭の設営に行った。 新しくお家を建てる土地では、安全・安心に暮らしていけるようその土地の神様に願う儀式【地鎮祭】が行われる。神事ということなので、神社関係の方々がやってきて、祝詞やお祓いなどをするのだが、我々はその儀式の準備ということで、テントを張ったり、テーブルや椅子の設置をしたりする。いつものように二人で、テキパキと準備をしていた。 ただ今回、比較的珍しい儀式をされる方々がお見え

          ある地鎮祭と、地域アート。

          願いの先、苦しみの果て。

          心から願うことは、その願いに囚われているということ、らしい。 願うこと自体が束縛を生み、願えば叶うまで自分自身を苦しめる。願いが叶ったところで、また次の願いを欲してしまう。一遍上人らしい極端な捉え方だけど、わかる気がする。「南無阿弥陀仏と唱えれば、信仰にかかわらずその人は救われる」という究極的な彼の教えをなぞれば、「願う」という「希望ある行為」で先々の変化や維持に期待してしまうよりも、「唱える」という「目の前の単純な行為」だけに執着することで、唱えている「今という瞬間」を大

          願いの先、苦しみの果て。

          しゃべる。

          喋る事は、伝えるという事。 しかし、伝えるという事は 喋る事だけとは限らない。 言葉を使わずに伝える事。 表情、仕草、態度、佇まい。 それはもはや、伝えるというより 伝わるという 存在・生き方だろう。 そうやって生きている人が、 ポツンと発した言葉に 濃縮された意味が込められていたり、 研ぎ澄まされた価値が含まれていたりして、 聞いた人はそれを自分なりに敷衍(ふえん)し 愉悦に浸る。 芸術以外の分野において言えば、 喋りすぎる自分というのは 探りであり、調整であり、焦り

          しゃべる。

          青春に気づいた瞬間。

          高校1年生のとき。 合唱コンクールで僕は指揮者を担当した。 男子クラス。野太い声。みんなで一生懸命ブルーハーツの『青空』を歌った。学年予選で敗退し、全校あげての本選には行けずに終わってしまった。 ほどなくして僕は長期入院生活に入った。 =================== 一年数か月後の4月初め、学校へ復帰した。留年の為、ひとつ若い学年からの再出発。転校生のような気持ちで突入した。また男子クラス。最初はみんな気を使って先輩扱いしてたけど、すぐに同様に扱ってくれた。受

          青春に気づいた瞬間。

          焚き火。

          いつもの仲間と、久々の焚き火会。 揺らぐ炎、蠢く熱を前に 言葉は自然と削ぎとられ、 語らいは濃縮される。 シンプルなものほど、 心に残るものは濃い。

          サナギ。

          私の自転車を寝床に選んだ芋虫。 彼(もしくは彼女)を見つけたのは2週間前。 3日後には立派なサナギになっていた。 その後、 無理に引き離すのは忍びないと思い、 しばらくそのままにして、様子をみていた。 通勤用でもある自転車の為、乗るときには 名刺サイズの小さなジップロックでサナギを覆い、 風のリスクを最小限に抑えて 一緒に通勤した。 雨の日も、台風の日も、 彼(もしくは彼女)はその殻の中でじっと耐え、 次の世界へ羽ばたく準備をしていたんだろう。 そして、2週間後の今日