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変わること。

散歩をした。

昔暮らしていた家の辺りを歩いていた。
池のほとりにその家はあったが、随分前に取り壊されていて、見る影もない。今日は当時の面影を、その周辺の家や道に求めながら歩いていた。

池が、最近埋め立てられているという話を聞いた。見に行くと、池は赤い土で満たされていて既に水分を失っていた。広い空き地となったその場所は、もう思い出の場所ではなくなった。永遠に存在する池だと思っていたが、今はさびしさと諸行無常を感じている。しばらく眺めていた。

旧:池の近くで休憩していると、アスファルトの上を歩いている小さな亀を見つけた。すぐそばをバイクが走る。子亀は幸い無傷で、じっと甲羅の中でうずくまった。「なんでこんなところに。」生まれて初めて亀を助けた。
(池が近くに…、あ、そうか…。人間の仕業で行き場を失ってしまったのか…。どこか水や木々がある場所はないだろうか。)持っていたビニール袋に子亀を入れ、次の棲家を探しに散歩を再開した。

随分歩いた。大きな池のある公園へたどり着き、池のそばの茂みに彼を放った。かわいい亀だった。新しい環境でしっかり生きるんだよ。そう祈りながら、ふと見た看板には『出発点』と書いてあった。新しい生活がはじまるんだね。

環境や肉体は、時間の上で常に変化している。スイッチで切り替わる劇的なチェンジだけが変化ではない。気づきにくい、ゆっくりとしたモーションもまた変化の一部だ。そういった意味で、《とどまる》という行為はこの世界では許されないことであり、不可能なことなのだ。だから、喜びや怒りや悲しみ、そして愛や憎しみもいつまでも随伴できるものではなく、むしろすべて置いていかなければならない。

そしてまた、はじまるという変化が訪れる。

竜宮城ではなくて、出発点か。
助けた亀に教えられた気がする。


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