声のない叫びは煙となり
新年あけまして、 こんな災いはひどい。
人々が幸福を祈る最も大切な節目に、 神は元日でも容赦ない。そんな幕開けだった今年。
あれから何だか、心のどこかにモヤモヤかイライラがうろちょろしているようで。決して晴れ渡った心ではない。自分のことで精一杯ではあっても、報道で被災された方々の呆然と佇む姿や、振り絞って出されている声を目の当たりにすると、つい傍観者になってる自分の愚かさに気づく。「僕は別件で、悲しみの淵を何年も彷徨っているのだから他のあらゆる不幸を無視できる免罪符を持っている、だからこのままで良いんだよ、愚か者よ…」と、傍観者の声が聞こえる。
きっと、大切な人を失った方々の願いは同じだろう。あの時に戻りたい。あの人を蘇らせてほしい。そんな魔法のようなことを本気で願っていると思う。それ以外に望むものはない。
きっと、大切な人を失った方々はこう思っているだろう。誰にもこの苦しみはわからない、と。誰にもこの悲しみは癒せない、と。
13年前も、29年前も、そして今年も同じように受け入れ難い現実と戦っている人たちが、必死で生きている。それ以外の現実でも、必死に生きようとしている人たちが近くや遠くで存在している。その本質に気づくことができるか。
もはやスローガンのような言葉はなんの意味もなく、そこにある情景や佇まいに僕らは心を揺さぶられ、どうすることもできない現実を眺めることしかできない日々を、例えば歌が教えてくれたりするのだろう。
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