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ドーパミン調整計画

映画『PERFECT DAYS』を公開初日に観て、1ヶ月後に2回目を観た。

随分前の情熱大陸で、画家の石井一男さんの日常が取り上げられていて、そのルーティンライフに衝撃を受けたことを思い出した。その質素清貧の生活は、ただ単なる地味な習慣ではなく、心の豊かさと力強さを感じさせる。過去に辛い経験もされていて、単純な人生を送っているわけではない。この土台があるからこそ、今、目の前にある些細な出来事に小さな喜びを得ることができているのだと思う。
彼のことが書かれた著書に、その生活の一部が記されていた。

朝、六時ごろ起きる。
ラジオのスイッチを入れる。
四時ごろ目が覚めたときは、ラジオ深夜便「こころの時代」を聴く。
電気コンロで湯を沸かす。
洗面、ヒゲソリ。
布団を上げ、ちゃぶ台を置く。
玄米がゆ(レトルト)、みそ汁、お惣菜で朝ごはん。

会下山(えげやま)公園に散歩。
新緑、桜、冬の木立の季節がよい。
ときに島原貯水池へ足をのばす。
雑草(野草)が石垣にへばりついていて、風に吹かれてふるえている。
帰宅し、掃除、洗濯。
絵筆をとる。

昼。きょうは自転車に乗って、新開地で外食しよう。
帰りに、スーパーで牛乳を買う。
ふたたび、絵筆をとる。
音楽(クラシック、演歌など)をかける。

夕方、お惣菜屋さんへ。ごはんとおかずを買って晩ごはん。
それから、絵に向かう。
が、いつも集中して描けるわけではない。
ぼんやりとしている時間もある。
描けない時は、檻の熊のごとく、部屋を行ったり来たりする。
きょうも一日、さほどのものも描けていない。

そして夜(午後の早い時間に行くこともある)、銭湯へ。
ああ、ごくらくごくらく。

十時ごろ、落語のテープを聴いて眠りにはいる。
きょうも終わる。

そうして、あしたが、またくる。

感謝。

石井さんを知っている人ならば、『PERFECT DAYS』という映画を見て、石井さんを思い出す人は多いのではないだろうか。まさにリアル・パーフェクト・デイズを送っている人だ。

過去にどういう背景があろうと、平山さん(映画の主人公)や石井さんの生きている姿はとても味わい深く、憧れさえ抱いてしまう。決して裕福という言葉は似合わない。俗に言う成功者でもない。(今はある意味の成功者かもしれないが。)なのに何故か、少なくとも僕は、彼らの質素な生活に豊かさを感じ、そういうふうに生きてみたいと思った。俗世に振り回されず、静かで力強く、小さな喜びに敏感で、本当の豊かさを知っている、そんな生き方で日々を過ごしていきたい。

彼らの生活には共通点があった。
現代の象徴でもある膨大なデジタル情報がとても少ない生活。というか、ほぼない。
スマホもない、パソコンもない、カーナビもない、テレビもない、SNSもない。いわば現代的と言うよりは昭和。戦後から復興したような時代の景色の中を生きている。つまり現代的ではない生活だ。

現代を非現代的に生きる。現代のあらゆる便利を排除して生きる。果たしてそんなことは可能なのだろうか。もう少しよく考えてみる。そもそも彼らは、現代の利を排除したかったのだろうか。いや、そうではないな。彼らは選択をしたんだ。自分の性分をしっかり理解した上で、人生に必要な時間と空間をチョイスしたんだ。そこに膨大な情報網やテクノロジーがなかっただけのこと。最低限の衣食住と、本と、音楽、表現方法があるだけで十分にこと足りている。これを維持することに日々チャレンジしているだけなのだ。

現代はあまりにも便利すぎて、あまりにも情報や誘惑が多すぎるために、かえって自分の頭では処理しきれず、息苦しい日々を過ごしてしまいがちだ。当たり前すぎて気付かぬうちに病んだりもする。そんなのは嫌だ。買いたいものを買って、満たされずにまた買って、飽きてしまってまた買って、そんな欲にまみれた生活をするのも嫌だ。承認欲求をSNSにさらして生きるのも嫌だ。だから、あの時の情熱大陸や『PERFECT DAYS』を見た時、素直に憧れてしまったんだと思う。

刺激が多すぎる現代、いかに刺激を上手にかわせるか。いかにドーパミンを上手くコントロールできるか。まずは少しずつ、デジタルデトックスというかファスティングというか、多すぎるものを減らすことから始めようかなと思う。本当にやりたいことに集中するために。揺るがない意志を持ち続けるために。そしていつか、過去にどんな辛いことがあったとしても、今をパーフェクトと言えるような日々を送るために。

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