バカの言語学:「バカ」の語誌(1) 「バカ」以前のバカ
「「バカ」の語義(1)」で簡単に触れましたが、現存する文献上で初めて「バカ」という言葉が出てきたのは室町時代、『文明本節用集』と呼ばれている辞書においてでした。
とはいえ「バカ」という言葉は、公の場で使われるような言い方とは思えませんから、書き言葉としてよりもまずは日常会話の中で使われてきたのだろうと推測されます。しかし音声は発した途端に消え去ります。ですから「バカ」という言葉がどういう歴史を歩んできたかは、文献を通してしか知りようがありません。
そこでこれから何回かに分けて、『文明本節用集』以降「バカ」という言葉が文献上でどのように使われてきたのかを見ていくことにしたいと思っているのですが、その前にまず「バカ」が文献に現れる前の「バカ」に相当する日本語のいくつかを見てみることにします。
おろか
「おろか」はもちろん現在でも使われている、あの「愚か」です。国語辞典で「バカ」の語釈としても『言海』以来使われています。「バカ」に比べると固い、まじめな言い方と見なされていますが、何年か前に国会で「愚か者め!」とヤジを飛ばした議員がいましたから、感動詞としての性格もないわけではありません。
同義語については別に考察したいと思いますので、ここでは歴史的なことがらだけを見ていくことにします。
「おろか」という言葉は万葉集の時代からすでにありましたが、この時代には「無知」の意味だけでなく「不十分」という意味でも使われていました。漢字で表すと、前者は「愚か」、後者は「疎か」です。「疎か」は現代では「おろそか」と読みますが、かつてはこちらも「おろか」と読みました。
こちらの「疎か」は、今でも「Aはおろか、Bさえも」という言い方にその名残が残っています。また「そんなことは言うもおろかだ」という言い方も、現在では「おろか」に「愚」の字を当てて、当たり前すぎて言うのがバカげている、という意味にとられていますが、『デジタル大辞泉』によれば、「「おろか」は、おろそか、不十分の意。後に「愚か」と意識された」とのことで、それを言うだけでは不十分だとか、それだけでは言い足りない、とかいう意味だったようです。
実際、中世ぐらいまでは「愚か」より「疎か」の意味で使われるほうが多かったようです。例えば、万葉集にある「おろかにぞ我れは思ひし乎布の浦の荒礒の廻り見れど飽かずけり」という田辺福麻呂の歌にある「おろか」は「疎か」の意味です。
一方、「愚か」の意味での使用例としては、同じく万葉集に載っている高橋虫麻呂の長歌があります。浦島太郎の伝説の元ネタらしきものとしてよく知られている歌です。
もっとも、この「おろか」は万葉仮名ではなく漢字の「愚」と記されているので、必ずしも「おろかひと」と読むとは限りません。実際『時代別国語大辞典 上代編』(以下、『時代別上代』)によると、「オホホシヒト・シレタルヒト・カタクナヒトなどと訓む説もある」そうです。「おおほし」は「ぼんやりしている」という意味から「愚かさ」も表すようになった言葉で、万葉集の他の歌では「大欲寸」と表記されていたりもします。「かたくな」については後で触れます。
「愚」のほうの「おろか」が万葉仮名(真仮名)で出てくる史料としては、少し時代が下って、平安時代の漢和辞典といわれる『新撰字鏡』があります。同書の「闇」の語釈の中に「於呂加奈利」とあって、おそらく「暗愚」という意味の「おろか」なのだと思われます。実際、「くらし」にも「愚か」の意味があります。
私は専門家ではありませんから断言できませんが、もしかすると「おろか」という言葉は、最初は単に何かが不十分であるという「疎か」の意味で使われていたのかもしれません。そして「疎か」な状態の中でも、特に知識や考えが不十分なことを指す場合には「愚」の字が当てられるようになり、いつごろからかはわかりませんが、「愚か」のほうがよく使われるようになって、「疎か」は「おろそか」と読むようになった、ということなのかもしれません。
ところで、この「おろか」からの派生語と思われる「おる(愚る・痴る)」「おれおれし」「おれもの」といった言葉があります。中型以上の国語辞典や古語辞典でも見かける言葉ですが、私が見た限り、『日本国語大辞典』(以下、『日国』)以外は『源氏物語』からしか用例を引いていません(ちなみに『日国』では『蜻蛉日記』と『夜の寝覚』での用例も引いています)。
ちなみに、『子連れ狼』で知られる小島剛夕が1970年代に描いた漫画にも『愚れ者』という作品があるようです(原作は滝沢解)。
それはともかく、「おろか」の派生語らしきものには「おろく」という動詞もあります。『日本書紀』の「景行天皇紀」や「雄略天皇紀」に出てくるのですが、意味は「おろかになる」とか「バカげたことをする」というより、一時的に心を失ってぼんやりしてしまうことを表していて、「失意」という字が当てられています。
をこ(おこ)
今では「おこがましい」という言葉くらいしか残っていませんが、記紀・万葉の時代以降、近代に入る前までの日本ではよく使われている言葉でした。
これは『古事記』にある歌の一節ですが、私の思いが愚かだったとわかって悔しいぞ、というような意味です。自分が気に入って召し上げようとした女性を息子も欲しがっていると聞いて、息子に譲ったときに応神天皇が詠んだ歌です。
「をこ」の漢字表記には「烏滸」「痴」「嗚呼」「尾籠」などがあります。『日国』によると、時代で使う漢字が定まっていたらしく、平安時代には「烏許」とこれにいろいろな偏を付した「𢞬𢠇」「溩滸」が用いられ、院政期には「嗚呼」、鎌倉時代には「尾籠」がよく使われていたようです。もっともいくつかの史料を見た限りでは、時代により定まっているというほどでもなさそうなのですが、写本による違いとかもあるのかもしれません。
これらの漢字の内、「烏滸」は「おこがましい」の漢字表記にも使われていますが、元々は中国の地名あるいはそこに住む異民族を指す言葉で、中国ではこれを「愚かな人」の意味に使うこともあったようです。ですから、「をこ」は中国から来た言葉だと説く人もいるのですが、先の応神天皇の歌のように「袁許」と書かれたり、また「于古」と書いて「うこ」と読むケースもあるので、元々日本にあった「をこ」と中国語の「烏滸」がたまたま読みも意味も似通っていたのでこの字を当てたのだろうという説のほうが一般的なようです。
「嗚呼」も、漢語で驚きや詠嘆の声「ああ」を表す言葉を、当て字として使っていたのだと思われます。現在でも「ああ」を表すのには使われていて、森山直太朗の歌のタイトルになったりしています。ちなみに、上記の『今昔物語集』の用例に出てくる「嗚呼絵」は「鳥獣戯画」のような滑稽な絵や春画のことのようです。
「尾籠」は「びろう」と音読みすることも多く(上記の『平家物語』の一節も、私が参照した岩波文庫版では「びろう」とルビを振っています)、「無礼」とか「失礼」とかの意味でも用いられました。ここから公の場では失礼にあたるような汚い話題を指す言葉として現在まで残り、「びろうな話で恐縮ですが、先日痔の手術をいたしまして…」といった使わ方がされています。
柳田国男は、この「をこ」という言葉が日本人の感情生活を考える上で非常に重要であるとし、「バカ」の語源も「をこ」だったとしています(「『バカ』の語源(2)」参照)。
かたくな(頑)
「かたくな」という言葉は「頑」という字を当て、現在では「すなおでなく心がねじけているさま。まちがった考えを固執しているさま」や「なかなか考えを変えないさま。いちずに思い込むさま。頑固。一徹」(いずれも『日国』)の意味で用いられています。つまり、BQT(「「バカ」の語義(5)」参照)でいえばゴリバカですから、現在でも「バカ」の意味をもっています。実際、「頑迷」とか「頑陋」とかいった言葉には「愚か」という意味も含まれています。
「頑」という漢字にも元々「愚か」という意味があるようで、平安時代に編纂された、一種の漢和辞典といえる『類聚名義抄』という本には「頑」という字の読み方として「カタクナ」とともに「オロカナリ」も記されています。
先ほど『万葉集』の「愚人」を「かたくなひと」と読む説があることに触れましたが、他にも『日本書紀』に「愚癡」を「かたくな」と読むのではないかといわれている箇所があります。しかし、奈良時代以前では、確実に「かたくな」と読む用例はないようです。
ただ、『続日本紀』に記されている宣命(和文体で記された天皇の命令)にこの言葉が出てくるものがあります。
これは橘奈良麻呂が長屋王の息子である黄文王を次期天皇として擁立しようとした「橘奈良麻呂の乱」と呼ばれるクーデター未遂事件が起きた際、孝謙天皇が、とんでもない事件ではあるが首謀者たちに寛大な措置をとるよう命じた詔の一節です。『続日本紀』自体は平安時代に書かれた文献ですが、上記の「頑奈留」は、発布当時の表記のままだろうと思われます。
ちなみに黄文王らはこの詔があったにもかかわらず、結局は激しい拷問の末に獄死しています(橘奈良麻呂については記録がないらしいのですが)。その際、黄文王は一方的に「久奈多夫礼」と改名させられます。
「たぶれ」は先述の宣命にもあるように「狂れ」のことですが、その前についている「くな」も同じ意味だったようです。そして『時代別上代』によればこの「くな」と「かたくな」の「くな」は同じで、「かたくな」という言葉は「かた」と「くな」が合わさった言葉のようです。宣命での使い方と考え合わせると、常軌を逸したというトンデモバカの意味だったのでしょう。
そして「かた」のみでの用例も奈良時代にあります。例えば「高橋氏文」という、景行天皇に料理番として仕えた磐鹿六鴈命という人物について書かれた文章には、「カツオ」の語源は「バカな魚」という意味の「カタウオ」だった、という話が載っています。
あるとき、磐鹿六鴈命が乗っていた舟に魚がたくさんついてきたので、その群れの中に弓を放り投げたところ、魚たちが次々と食いついてきてたくさん獲れた、ということで、この魚を「頑魚」と呼ぶようになった――。
「高橋氏文」にはそう書かれているのですが、一般的には堅い魚だから「堅魚」といい、そして「カツオ(鰹)」になったといわれています。
話を「かたくな」のほうに戻します。『続日本紀』の用例では、「かたくな」に「なる」がついていて、形容動詞の形で使われていますが、平安時代に入ると、形容詞の「かたくなし」が現れ、こちらのほうがよく使われるようになります。そして、この言葉が頻繁に使われているのが、またもや『源氏物語』です。
奈良時代の用例ではゴリバカやトンデモバカの意味で使われていることが多かったのですが、『源氏物語』の3つの用例は少なくとも精神に異常があるような荒れた感じはなく、思慮の欠如ということでウスラバカともとれますし、人間性という点での愚かさを表すクソバカの意味にもとれます。特に3つ目は「をこ」と並べて使っていて、「入道の心ばへ」の愚かさを強調しているようです。
はかなし
この言葉は現在も「はかない命」「はかない望み」などの形で使われていますが、平安時代にはやはり「バカ」の意味で使われていました。
1つ目の用例はまたもや『源氏物語』です。2つ目の『更級日記』も、『源氏物語』の登場人物に憧れた若いころを回想する場面です。
「はかなし」の「はか」は、物を作るなどの作業における目標の量や実績を意味する言葉だったようで、「はかどる」や「はかが行く」といった語句の元にもなっています。
国語学者の金田一春彦は、この「はかなし」が「バカ」の語源だとしています(「『バカ』の語源(2)」参照)。
しる(痴る)・しれもの(痴者)
今まで見てきた言葉は形容動詞か形容詞、またはそれらから派生した名詞でしたが、「バカになる」という動詞やその動詞を元に作られた名詞もあります。「しる(しれる)」「しれもの」もそのようなタイプの言葉です。
「しれる」という動詞は、現在では「酔いしれる」のような複合動詞でしか使われなくなっていますが、かつてはこれのみで「判断・識別の能力がはたらかなくなる。おろかになる。ぼける」(『広辞苑』)を意味する言葉でした。
『竹取物語』の例(かぐや姫を迎えに来た「飛ぶ車」を兵たちが矢を射って追い返そうとする場面です)は一時的にぼんやりしてしまうだけですが、『徒然草』のほうは「愚かな」とか「浅はかな」というクソバカ的な意味で使われています。兼好法師はミソジニストだったらしく、女性一般を「しれたる」者だと思っていたようです。
そしてこの「痴る」も、派生語である「痴者」も、これまたやはり『源氏物語』で何度も使われています。「痴れ痴れしさ」などという言葉も出てきます。
それにしても、どうして『源氏物語』には「バカ」を意味する言葉がこんなにも出てくるのでしょう。もちろん、端的に文章が長いというのはあるでしょう。しかし使い方のヴァリエーションも豊富で、現代でいえば自意識を表すような使い方をしている場合も見受けられます。『源氏物語』における愚かさの表現というのは、いつかバカ学的に取り組んでみたい課題ではあります。
ほる・ほく(恍・惚・耄)
「ほる(ほれる)」は、現在では人や物に魅かれたり夢中になったりする意味で主に使われていますが、元々は「痴る」と同様、「ぼんやりする」「判断力を失う」という意味で使われていました。「ほく(ほける)」も同じで、現在では「ぼける」という言い方になってはいますが、同じような意味で使われています。
ただ、あくまで私が調べた限りの話ではありますが、鎌倉時代以前は、一時的にぼんやりする、あるいは年老いて耄碌する、という意味でのみ使われていたようです。室町時代に入ると「バカ」の意味で「ほれ者」という言葉が使われている文献が現れるのですが、もっと前からそういう意味で使われていたかどうかは、私にはわかりません。
ただ、以下にあげるのはまたもや『源氏物語』での用例ですが、年老いて耄碌するという意味ではあるものの、「かたくな」と組み合わせて、「バカ」になってしまったというニュアンスが感じられます。
うつく(虚)
「うつく(うつける)」は、「虚」の字が当てられていることからもわかるように、元々は中身が空っぽになるという意味でした。そこから派生して、心がからっぽになる、ということで「ほれる」と同じような意味になったと考えられます。
そして、やはり「ほれる」と同じように、「うつけ者」という言い方が「バカ」を意味する言葉として室町時代以降の文献に出てくるのですが、もっと前から使われていたのかどうかは、やはり調べがつきませんでした。
「うつく」を年老いて耄碌するという意味で使っている例は、日本書紀に見出すことができます。
ただし、『日本書紀』の時代から「うつけつかれたり」と読んでいたのか、確実なことは私にはわかりません。
たはけ(戯)
「たわけ」というと、現代では愛知県周辺で「バカ」を表す方言と認識されている方が多いかもしれません。あるいは時代劇などで「この戯け者めが!」と罵倒するシーンをイメージするというかたもいらっしゃるでしょう。
「「バカ」の語義(3)」で少し触れましたが、「たはけ」や動詞の「たはく」という言葉は『古事記』などで「みだらな行為」や「タブーであるような性的行為」の意味で使われていました。詳しくは別の機会に譲りますが、ともかく奈良時代には「バカ」とか「愚か」とかの意味では使われていなかったようです。
これがどのような過程をたどって「バカ」の意味になったかは不明です。もちろんやっちゃいけないことをするような奴はバカだ、という認識は昔からあったのでしょう。ただ、後の「たはけもの(戯け者)」というような言葉が「バカ者」の意味で使われる例は、私が調べた限りでは、「うつけ者」や「ほれ者」同様、室町時代以降の史料にしか見当たりませんでした。
もっとも、「たはごと」や「たはわざ」という言葉なら万葉集にも見られます。これらは文脈によって「愚かな言葉」「愚かな行動」の意味にとることができます。
「小豆奈九…」のほうは作者不詳で、老耄によって子供じみた愚かしいことを言うようになってふがいない、というような意味です。
そして次の「伊射子等毛…」ですが、これは藤原仲麻呂が「かたくな」のところで触れた橘奈良麻呂の乱の後に歌った歌で、「たはわざ」は橘奈良麻呂や黄文王の行為を指しています。ですから、この「たは」と「かたくな」は同じ意味ととることができます。
このように「たは~」で「愚かな~」という意味にはなったのですが、この「たは」が当時「みだらな行為」を意味した「たはけ」と関係しているのかどうかははっきりしません。現代では「たわごと」を「たわけた言葉」と解するのが一般的かと思いますが、これが万葉集の時代においても当てはまったかどうかについては、私には調べがつきませんでした。
以上挙げたのは全て和語ですが、「愚癡」「痴人」などの漢語も当然ですが使用されていました。しかしそこまで手を伸ばすとさすがにキリがありません。和語にもまだ「心おそし」「心あさし」などあるようなのですが、「『バカ』以前のバカ」はここで終わりにいたします。
バカの言語学:「バカ」の語誌(2) 『節用集』『運歩色葉集』『塵芥』→
◎参考・引用文献
『デジタル大辞泉プラス』 ウェブサイト「コトバンク」にて閲覧 https://kotobank.jp/
『万葉集』 ウェブサイト「ウィキソース」にて閲覧 https://ja.wikisource.org/wiki/万葉集
上代語辞典編集委員会編『時代別国語大辞典 上代編』 三省堂、1983年
北原保雄『日本国語大辞典 第二版』 小学館、2003年
『源氏物語』 ウェブサイト「ウィキソース」にて閲覧https://ja.wikisource.org/wiki/源氏物語
山口佳紀・神野志隆光訳・校注『新編日本古典文学全集 古事記』 小学館、1997年
阪倉篤義・本田義憲・川端善明校注『新潮日本古典集成 今昔物語集 本朝世俗部』新潮社、2015年
梶原正昭・山下宏明校注『平家物語』 岩波文庫、1999年
直木孝次郎ほか訳注『続日本紀』 平凡社東洋文庫、1988年
『高橋氏文』 ウェブサイトにて閲覧 http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0204-025504
関根慶子訳注『更級日記』 講談社学術文庫、1977年
室伏信助訳注『竹取物語』 角川文庫、2011年
三木紀人全訳注『徒然草』 講談社学術文庫、1982年
丸山林平『上代語辞典』 明治書院、1967年
上記の他、多くのウェブサイトを参考にしました。
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