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バカの言語学:「バカ」の語誌(2) 『節用集』『運歩色葉集』『塵芥』

バカの言語学:「バカ」の語誌(1) 「バカ」以前のバカ


「バカ」の意味は現在と違った?

 それではいよいよ「バカ」という言葉が文献上に現れる室町時代に目を向けてみましょう。
 前回も申し上げたように、「バカ」という言葉は卑俗語ですから、おそらくは日常的な会話の中で使われ始めたと考えられます。ですから、いつ、どこで、どういうふうにして使われるようになったかはわかっていません。しかし文献上での最初の使用は、現在知られている限りでは『文明本節用集』のようです。
 「節用集」というのは室町時代から使われるようになった、一種の辞書です。当時はまだ印刷技術がありませんから筆写して使われていたのですが、使う人のニーズに応じて言葉が書き加えられたり変更されたりしたためでしょうか、バージョンがいくつもあります。その中で15世紀の文明年間(1469~1487)に改編が行われたと推測されるバージョンが『文明本節用集』です。収録語数が多く「広本節用集」とも呼ばれています。
 しかし一種の辞書といっても、『言海』以降の近代的な国語辞典とは見た感じがだいぶ異なります。言葉は語頭のいろは順でまず分けられ、その中でさらに「天地」「時節」「草木」などのカテゴリーに分けられている(ただし後半はその他のような感じになっており、『文選』など有名な漢籍などからの抜書も混ざっています)のですが、大半の言葉は漢字にカタカナのルビが振られて読み方を表しているのみで、語釈や用例は記されていません。
 しかし、中には簡単な語釈が付いている言葉もあります。「バカ」もその一つです。当時はまだ耳慣れない言葉だったからかもしれません。

鹿 或ハ母嫁馬嫁破家ト作ス。共ニ狼藉之義也

『文明本節用集』

 権利上の問題があるようなので書影はお見せしませんが、ウェブサイト「国会図書館デジタルコレクション」で確認することができます(なぜか資料名が「〔雑字類書〕」となっています)。実際は「馬」で始まる熟語がいくつも並んでいるうちの一つで、「馬」の字は縦線で表され、「鹿」の字の左にも「シカ」と読み仮名が振られています。「或」以降は割注、つまり小さい字で2行になっており、原文は漢文ですが、返り点などを入力できないので書き下し文にしています。
 内容は要するに
・「馬鹿」の他に「母嫁」「馬嫁」「破家」という当て字もあること
・「狼藉」の意味であること
ということです。
 「狼藉」は現在でも「乱暴狼藉」などと使われ、「乱雑なさま。散乱したさま」あるいは「理不尽に他を犯すこと。乱暴。暴行」(ともに『広辞苑』)という意味で使われています。この「狼藉」を『文明本節用集』で引いてみると、こちらも文が添えられています。

狼藉ラウゼキ (中略)人ノ狂乱スルコト狼ノ藉ク所ノ草ノ散乱スルガ如シ

『文明本節用集』

 「藉く」は「敷く」と同じですので、「狼の敷いた草が乱れているように人が狂い乱れること」という意味かと思います。草が散らばっている程度の喩えで「人ノ狂乱」とは大げさな気もしますが、もしかすると食べかけの血まみれの肉なんかが散らばっているイメージなのかもしれません。私は狼が草を敷いたところを見たことがないので、よくわかりませんが。
 この文は「狼藉」の語釈というよりは明らかに語源の説明です。「狼藉」は『平家物語』でも使われており、すでによく知られた言葉ですから語義の説明は不要だけれども、豆知識として記しておいたということなのでしょうか。
 実をいうと『文明本節用集』を含めて室町時代の『節用集』は、東麓破衲という僧侶が書いた『下学集』という辞書(こちらはイロハ順になっていません)を下敷きにしているのだそうで、確かに『下学集』の「狼藉」の項にも「人之狂乱キヤウラン狼ノ藉ク所草散乱セシガ如」というよく似た記述があります。どうやら『節用集』はこれを踏襲したようです。
 ともかく、『文明本節用集』では、「バカ」の意味を「狼藉」としています。そして、文明本以降のバージョンの『節用集』でも「バカ」=「狼藉」というのはだいたい踏襲されています。
 現代でも悪質なイタズラの動画をSNSに上げることを「バカッター」と言ったりします。ああいうのはまさに「理不尽に他を犯すこと」であって「狼藉」ですから、今でも「バカ」に「狼藉」の意味があるとはいえます。
 しかし「狼藉ノ義」としか書かれていないのは、室町時代にはまだ、BQTでいうとトンデモバカの意味でのみ使われていて、無知や判断力の欠如を表すウスラバカの意味はなかったということなのでしょうか。そう考える人は実際いるようで、松本修の『全国アホ・バカ分布考』(バカ学の先駆的な偉業といえる名著です)やウィキペディアの「馬鹿」の項では、「バカ」という言葉は使われ始めたころには「狼藉」の意味しかなく「無知」の意味はなかった、とされています。
 しかしたった一つの史料のみから判断するのは早計というべきで、他の文献も見る必要があると思います。今後何回かに分けて、室町時代から安土桃山時代にかけての「バカ」が登場する文献を見ていきたいと思っています。

「白癡」は賢い?

 『文明本節用集』には、「「バカ」の語誌(1)」で見た言葉も多く掲載されていますが、いずれも漢字と読み仮名のみです。やはり意味を説明するまでもない言葉だったからでしょうか。

𢞬𢠇ヲコ/嗚呼/烏許
――――――――――――――――――――――――――――――――
オロカ
――――――――――――――――――――――――――――――――
ウツケ/ムナシ虚人ウツケビト虚者ウツケモノ
――――――――――――――――――――――――――――――――
タハケ/ミダル

『文明本節用集』

 ルビに「/」とあるのは、原文では漢字の右と左に配されているということです。
 「かたくな」は見当たりませんでしたが、「おろか」のところに「頑」の字があります。
 「うつけ」は、後に「うつけびと」「うつけもの」と並んでいますから、「一時的にぼんやりする」とか「年老いて耄碌する」という意味だけでなく、性質として愚かな人を指すのにも使われていたと考えていいと思います。一方「たはけ」は「みだらな行為」を意味する字を当てています。もっももこれも『文明本節用集』の中ではそうなっているということで、実際に「たはけ」がまだ「バカ」の意味で使われていなかったのかどうかは定かではありません。
 「「バカ」の語誌(1)」では触れなかった、「バカ」を意味する漢語もいくつか載っています。

愚頑グガン 又云頑愚/愚癡グチ愚鈍グドン愚暗グアン (以下略)
――――――――――――――――――――――――――――――――
癡鈍チドン 愚癡同義/癡人チジン 愚人義也、癡人猶戽野塘水
――――――――――――――――――――――――――――――――
白癡ハクチ 賢智ノ義也

『文明本節用集』

 「愚」で始まる言葉はたくさん載っているので一部のみ記しましたが、略した言葉の中には「愚僧」「愚息」のように謙譲語としての用法も含まれています。また「癡人」の語釈にある「癡人猶戽野塘水」は『碧巌録』という禅の公案集からの引用で、「野」は「夜」が正しいらしく、「癡人夜塘やたうノ水」と読み下します。詳しい説明は省きますが、言葉にとらわれている奴は愚かだ、という意味のようです。
 それはともかく、驚くのは「白癡」の語釈です。「癡」は「痴」と同じで、「白痴」の意味は、現代の辞書だと「知能程度がきわめて低い者。しれ者。たわけ」(『日本国語大辞典』)となっています。ドストエフスキーや坂口安吾の小説のタイトルとしても認知されています。それが『文明本節用集』では「賢智」の意味になっている……。
 もしかすると、昔はそういう意味で用いられていたのでしょうか。そう思って古語辞典をいくつかひもといてみたのですが、そんなことが書いてあるものは見つかりませんでした。
 ただ、『色葉字類抄』という平安末期の辞書が、やはり「白癡」の意味を「賢智」としていることがわかりました。これも「国会図書館デジタルコレクション」で確認することができます。『文明本節用集』はおそらく『色葉字類抄』を踏まえたのかと思われますが、それなら『色葉字類抄』の著者はどうしてそう書いたのか、『文明本節用集』の著者もなぜ疑わなかったのか、全くの謎です。

「バカ」はどのような文書に書かれていた?

 それにしても「バカ」が最初に登場した文献が辞書だったというのは、よく考えてみると奇妙なことです。なぜなら、辞書は「すでに書かれた」言葉の読みや意味を調べる、あるいは「これから書く」ために漢字でどう書くかを調べる、というのが基本的な利用法です。もちろん後者の場合でも、すでに誰かが漢字で書いていなければ調べようがありません。
 日本語学者の今野真二は『節用集』の成立について、実用性という観点だけで考えるのでなく、「「文字生活の愉悦を凝縮したもの」という観点」も必要だ、としています。確かにそうかもしれない、とは思いますが、掲載されている言葉がいずれも誰かが「すでに書いた」言葉であることには変わりありません。
 しかも「バカ」には「馬鹿」「母嫁」「馬嫁」「破家」という4つの当て字があるとなっています。まさかこれらがすべて『文明本節用集』の著者の考案によるとは考えられません。
 ですから、現存する文献の中では『文明本節用集』が最古のものだとしても、実際にはもっと前から「バカ」という言葉は文書上に書かれていたはずです。もちろん500年以上も前の時代に書かれた文書のうち現存しているのはごく一部である、というのは当たり前のことです。しかし、よりによって「バカ」などという言葉が書かれた文書、あるいは漢字でどう書くか調べてでも書かねばならなかった文書とはいったいどんなものだったのでしょうか。

 『節用集』は、著者がどんな人だったかもわかっていないようですが、元にしたといわれる『下学集』が東麓破衲という僧侶だったので、こちらもやはり僧侶が書いたのではないかと言われています。『碧巌録』のような、禅宗で使われる公案集からの引用があるのも僧侶が書いたためかもしれません。
 確かに上記の例のように、禅宗関係の書物には「バカ」を意味する言葉が結構出てきます。そして、別の機会に詳しく見るつもりですが、禅僧らによる一種の講義録である「抄物」のいくつかには実際に「バカ」という言葉が用いられています。しかし「バカ」とカタカナで書かれている場合も多く、抄物だけが先行する文献だったと考えるのは物足りない気もします。
 そもそも、当時の僧侶は必ずしも修行に専念していたわけではありません。大きな寺院では荘園を経営していましたし、五山僧などは幕府と深く関わり、貿易にも携わっていたようです。そのような俗事や行政に関わる際にも「バカ」という言葉を文書上で使う機会があったのでないか、と想像をふくらましてみることもできます。

 例えば、鎌倉時代に作られた法律「御成敗式目」の第十二条には「悪口罪」というものが定められていました。文字どおり「悪口」を禁じる法律で、歴史学者の笠松宏至によれば、「「軽い悪口」でも拘禁、「重い悪口」は流罪、法廷内での悪口は当該訴訟「有理」のときの敗訴、「無理」のときの没収刑などが待ちうけていた」そうです。主に「乞食非人」や「甲乙人(どこにでもいる人、ぐらいの意)」のような身分にかかわる蔑称が対象になっていたようですが、中には「母開」という、英語でいえば "mother fucker" に当たる言葉も記録に残っています。
 「バカ」と言って悪口罪で訴えられたケースがあったかどうかは定かではありません。しかし悪口罪まではいかなくても、荘園経営に関わるトラブルなどで、法廷内外での口論についても細かく記録に取って審判の参考にすることはよくあったのではないかと思います。
 前述のように寺院の中にも荘園を経営しているところがありましたから、年貢などに関してトラブルが起きた際、裁判に直接関わって記録を作ったり読んだりする中で、「バカ」という言葉に接することもあったのかもしれません。

 裁判関係とともに、もう一つ気になるのが「落書」です。「らくがき」と読まず、「らくしょ」と読みます。といっても、この「らくしょ」が「らくがき」の語源なのですが。
 「落書」は、下級役人の内部告発や文字が書けるインテリ層による体制批判を主な内容とする匿名の文書で、その名のとおりに紙に書いたものを路上にさりげなく落としておいたり、あるいは現代のラクガキのように、壁や塀に直接書き付けたり、あるいはお触書とおなじように高札を掲げたり、といった形で不特定の人たちの目に触れられるようにされていました。
 もちろんその性質からして現存するものはほとんどないのですが、注目度の高かったものは当時の文献に書き写され、現代に伝わっています。
 そんな中でも特に有名なのが、『建武記(建武年間記)』という文献に記されている「二条河原落書」です。高校の歴史の教科書や資料集で読んだことがある方も多いかもしれません。「下克上げこくじょうスル成出者なりだしもの」という一節が特によく知られていますが、それと同じくらい有名なのが「自由狼藉ノ世界」という一節です。この2つのフレーズは、どちらも南北朝時代の動乱を象徴する言葉としてしばしば引用されます。
 おそらく似たような内容の落書は、室町時代を通して他にもたくさん書かれたことでしょう。ということは、「狼藉」という言葉が用いられることも多かったでしょうし、だとすると同じ意味とされている「バカ」も同じようによく用いられた可能性はあると思います。
 落書の作者は、京都では「京童」を名乗ることが多かったのですが、先に述べたように体制内部の者やインテリ層が多かったと思われます。僧侶たちは室町時代のインテリ層の中心にいたはずですから、自ら「落書」を書く者もいたでしょうし、少なくとも誰かが書いた「落書」に興味をもつことは珍しくなかったでしょう。だから「バカ」の意味や当て字を調べたいというニーズがあったのかもしれません。また落書では「バカ」が「狼藉」の意味で使われることが多かったため、『文明本節用集』では「狼藉ノ義」となっているのかもしれません。
 ここまで『節用集』の著者が僧侶であることを前提にしてきましたが、もちろん僧侶でなかった可能性もあります。実際、既存のバージョンの『節用集』を元に新しいバージョンを作った人の中には、林宗二という饅頭屋さんもいました。彼が刊行した『節用集』は『饅頭屋本節用集』と呼ばれています(こちらにも「馬嫁」「破家」という当て字は載っていますが、語釈はついていません)。
 僧侶以外の人たちが「バカ」という言葉を書く機会とはどんなときか、いろいろ考えられるのかもしれませんが、私はそんなに室町時代の人々の生活に詳しいわけではないので、結局はよくわからない、としか言いようがありません。

語源を示す『運歩色葉集』と『塵芥』

 室町時代に作られた辞書の中で、「バカ」が載っているのは『節用集』のみではありません。
 まず、『文明本節用集』より100年ほど後、戦国時代の真っ只中の時期に書かれたとされる『運歩色葉集』があります。タイトルどおり、イロハ順に項目が分けられていますが、「天地」などの下位分類はなく、漢字の字数で二字熟語、三字熟語…とまとめられています。こちらもやはり、大半は漢字の横に読み仮名が振ってあるだけなのですが、「バカ」には下に小さな文字で説明があります。ただし内容は『節用集』と全く違います。

馬鹿バカ 指鹿曰馬之意

『運歩色葉集』

 「指鹿曰馬」という見慣れない言葉が意味である、としています。「指鹿曰馬」とは何でしょう。
 これは司馬遷が書いた『史記』の「秦始皇本紀」に書かれているエピソードを指しています。実はこのエピソードが「バカ」の語源であるという説が、江戸時代まではしばしば説かれていました(「『バカ』の語源(1)」参照)。語釈がなく語源だけが書いてあるのは『節用集』の「狼藉」の項に似ています。

 もう一つ、「バカ」が載っている室町時代後期(戦国時代)の辞書として『塵芥』が挙げられます。編者は清原宣賢という学者で、吉田神道の創始者といわれる吉田兼倶の第三子ですが、論語などの書物を学ぶ明経道を家業とする清原家の養子となり、家を継ぎます。禅僧ではありませんが、先ほど少し触れた「抄物」をいくつか著していて、その中には「バカ」という言葉が出てくるものもあります。
 彼が編んだ『塵芥』もやはり、漢字に読み仮名が振られているだけの言葉が大半なのですが、「バカ」には語釈が付いています。

婆伽ハカ 三教指帰、ハカ狼藉ト云

『塵芥』

 当時はカナ書きに必ずしも濁点を入れなかったので「ハカ」となっています。それはいいとして、気になる点が2つあります。
 まず「三教指帰さんごうしいき」という言葉です。これは仏・儒・道の「三教」が同じ真理を表しているという考え方を意味しますが、空海が若かりし頃に書いた書物のタイトルでもあります。
 そう、空海です。弘法大師です。その著書のタイトルがここに載っているということは、空海がすでに「バカ」という言葉を使っていた、ということなのでしょうか。そうだとすると『文明本節用集』より600年以上前に「バカ」はすでに使われていたことになります。
 空海の「三教指帰」は中央公論社(現在は中央公論新社)の『日本の名著』というシリーズに載っているので調べてみますと、以下のような一節があります。

恒見蓬頭婢妾、已過登徒子之好色、況於冶容好婦、寧莫術婆伽之焼胸
(つねづね、ぼさぼさ髪の婢妾こしもとたちを見ても登徒子とうとしにまさる好色ぶりを発揮するのであるから、ましてみめうるわしい美女に対してはいうまでもなく、王女に胸をこがしたという術婆伽もいいところである)

空海「三教指帰」『日本の名著 最澄・空海』
※現代語訳は福永光司による

 「王女に胸をこがしたという術婆伽」ということは、どうも人名のようです。上掲書の補注には、以下のような説明があります。

「術婆伽」は『智度論』巻十四(中略)に見える漁夫名。「王女を敬慕し、情結んで病を成し」「情願遂げず、憂恨懊悩し、婬火内に発して自ら焼いて死す」という。

『日本の名著 最澄・空海』

 『智度論』は『大智度論』と呼ぶのが一般的ですが、インドの龍樹(ナーガールジュナ)が書いた、『大品般若経』に対する注釈書で、鳩摩羅什による漢訳が日本に伝わっています。
 術婆伽はその『大智度論』の中で語られる物語の登場人物で、一介の漁夫なのですが、たまたま見かけた拘牟頭という王女に一目惚れしてしまい、何も手につかなくなり、食事ものどを通らなくなります。困った母親が王宮に行って王女に会い、息子を助けてくれないかと懇願すると、王女は、どこそこの祠の中に息子さんを住まわせればそこへ会いに行きます、と答えるのですが、術婆伽の母親が帰ると、王の前で「大丈夫だろうか」と不安を口にします。すると娘の安全を祈る王の願いが祠に祀られている神様に届いて、術婆伽は眠りに落ち、祠にやって来た王女が起こしても目覚めませんでした。王女は瓔珞などの宝物を残して祠から立ち去りますが、目覚めた術婆伽はますます王女への恋慕を募らせることとなり、とうとう体から火を発して焼け死んでしまいます――。
 身分違いの恋をしてしまった術婆伽の哀しく切ない話のように私には思えるのですが、『大智度論』では「女性の心というのは貴賤を選ばず、ただ欲望のままに動くからこんなことになったのだ」と王女を非難しています。全く腑に落ちないのですが、仏教ではよくあることかもしれません。
 しかし空海は上述の言い方から察するに、むしろ術婆伽のほうが情欲にかられて我を失った、と見ていたようです。つまり、術婆伽の場合のように情欲は人を愚かにする、と言っているのかと思われます。
 「術婆伽」を「バカ」の語源とする説は、私が調べた限りでは、どの本にも取り上げられていません。しかしもしかすると清原宣賢は、これが語源だと考えていたのかもしれません。「バカ」に「婆伽」の字を当てるケースは『塵芥』以外にもあるので、あながち無視できない語源説のようにも思われます。

 『塵芥』の語釈の中で、もう一つ気になるのが「ハカ狼藉」という言い方です。ここに「ハカ」とわざわざ記されていなければ、『節用集』を踏襲して「バカ」の語義を「狼藉」としているのかと思うのですが、「ハカ狼藉ト云」う、となっているので、「婆伽狼藉」という四字熟語があったようにもとれます。
 実際にそんな言葉があったのでしょうか。「落花狼藉」という言葉ならありますが……。これも全くの謎です。

バカの言語学:「バカ」の語誌(3) 『日葡辞書』


◎参考・引用文献
『文明本節用集』 室町末期(写本) ウェブサイト「国立図書館デジタルコレクション」にて閲覧 https://dl.ndl.go.jp/pid/1286982
今野真二『図説 日本語の歴史』 河出書房新社、2015年
東麓破衲『下学集』 (写本) ウェブサイト「国立図書館デジタルコレクション」にて閲覧 https://dl.ndl.go.jp/pid/2533068
新村出編『広辞苑 第七版』 岩波書店、2018年
松本修『全国アホ・バカ分布考』 太田出版、1993年/新潮文庫、1996年
「馬鹿」 ウェブサイト「ウィキペディア 日本語版」 https://ja.wikipedia.org/wiki/馬鹿
今野真二『辞書をよむ』 平凡社新書、2014年
笠松宏至「「お前の母さん…」」 網野善彦・石井進・笠松宏至・勝俣鎭夫共著『中世の罪と罰』 東京大学出版会、1983年/講談社学術文庫、2019年
北原保雄『日本国語大辞典 第二版』 小学館、2003年
『運歩色葉集』 1571年(写本) ウェブサイト「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」にて閲覧 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013243
清原宣賢『塵芥』 室町時代後期 ウェブサイト「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」にて閲覧 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00007911
空海「三教指帰」 福永光司責任編集『日本の名著 最澄・空海』 中央公論社、1977年
上記の他、多くのウェブサイトを参考にしました。


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