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「戦争の具体性」(2022年3月)

●3月1日/1st Mar
 戦争がプログラミングするのは、我々の善意と怒りだ。一見正しそうに見えるから気づかずにそのプログラムに乗ってしまう。正義感を持つことや、平和を願うことは人として大事なことだが、一方で聡明さを持ち合わせていないと、より大きな悪意に加担することになる。
 基本的にはメディアから流れてくる情報は何らかの立場のもとに抽出され、主張が含ませられる。プロパガンダとはプロパガンダであることがバレると効果がないので、巧みにそれは見えないように装われている。
だから意識せずにメディアの情報をシェアすること自体が、プロパガンダに少なからず加担していることになることには注意すべきだ。我々の受け取っている情報がどういう勢力の影響下にあるのかを意識するべきなのだろう。

強く光を当てると、光が当たらない場所の闇は濃くなる。まなざしが集中する時には必ず盲点も生まれる。

●3月1日/1st Mar
 どちらが正しいという話ではなく、どちらも間違っていて、その犠牲になるのは普通の市民だ。戦争とは、どちらの陣営も自分が正しいと人々に思わせようとすることであり、その一つ外側にはその対立構造を生み出し煽る人々がいる。
 平和を願う心は大切だが、そのどちらかに加担してしまうと対立構造の罠にはまるかもしれない。自分の心が平和ではないのに平和を願うことが出来ないのは大前提だが、戦争の力学について冷静に見つめることも必要だろう。
 拙著「まなざしの革命」の第3章「平和」と第4章「情報」より抜粋して編集した論考を再度シェアする。戦争屋のことはここでは省いたが、基本的な見方は理解してもらえるのではないかと思う。
 我々大人が大騒ぎして世論が傾いていく間に、理不尽な社会制度がどんどん整えられていく隙が出来ることは覚えておいた方がいい。その後の世界に子供たちが生きるハメになることも。
 大人達がしっかりとしなければ、子供達はどうなるのか。右往左往している場合でもないし、遊んでいる場合でもないのだ。無力を決め込んでいる場合でもないし、自分の虚栄心や自尊心を満たすために行動することでもない。ちゃんと刮目して見極めねば。
 我々に騒がせたいという悪意があるのに、それにまんまと乗ることで、その後の理不尽な世界を子供達は生きることになるかもしれないのだ。拳を振り上げて世界に革命を起こす前に、しっかりと自分のまなざしに革命を起こさないと。
 子供たちの今の姿をちゃんと見てみるといい。我々大人達が騒いだ結果どうなったのか。この2年間で多くの人は懲りたはずなのに、また同じことを繰り返そうとするのだろうか。今は本当に革命的な状況であり、しかもその革命は上から仕掛けられているのだから。
 
●3月1日/1st Mar
 もういいかな...と諦めながらだが、前の投稿のコメントを一応シェアしておく。あとは拙著を読んで皆さんご自身で調べて、この先を考えて頂きたい。

●3月2日/2nd Mar
 観光学・社会学者の吉兼先生が拙著をお読み下さいました。心より感謝です。

●3月2日/2nd Mar
 沖縄の山城さんが拙著「まなざしの革命」の書評を書いて下さいました。なかなか分量も多いですが、最後までお読み頂き心より感謝です。

●3月2日/2nd Mar
 江戸川区の書店「読書のすすめ」の小川さんが、拙著「まなざしの革命」についての、濃厚な書評をあげて下さいました。読書のすすめさんは、僕の本を仕入れてから1週間ほどで20冊以上を販売されたそうで、こんな本屋さんは今まで出会ったことがありません。清水店長と小川さんとがお話しされているYouTubeを拝見したのですが、この時代にこんな本屋さんがあることに本当に希望を頂きました。

イタリアはトリエステのウンベルトサバ書店をすぐに思い出したという投稿を以前しましたが、書店とは、書物によって社会の現状と行く末を展望し、より良き方向へと変革する役割を担っていると思うのです。それをまさにこの時代に体現されておられることに涙が出そうです。

まだ拙著をお買い求めになられていない皆さんが居られれば、「読書のすすめ」さんがコーディネートされておられる、「自己超越セットパート2」という、拙著以外の書物も合わせてお買い求め下されは、きっとまなざしに革命が起こると思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

 読書のすすめ店員 小川貴史さんの投稿
【『まなざしの革命』※長文です。】
 この本は、2022年の1月に出会った本の中で、間違いなく一番の本で、早くも今年2022年に影響を受けた本となることが確信できる程、刺激を受けた本で、だからこそ、ゆっくり時間をかけて読ませていただきたくて、ご紹介までに少し時間が経ってしまいました。 
 この本との出会いは、新刊を調べている時に偶然見つけた1冊で、書名からすぐに「これは!」と感じるところがあり、すぐに仕入れて読ませていただくと、予想通りどころか、予想を超えて視野を大きく広げてもらった1冊となりました。
 皆さんご存知の通り、僕は普段、時事的な本というのはあまり読みません。こちらの『まなざしの革命』も、少し読み始めると、コロナパンデミックを中心に、今僕たちが直面している事に対してのいわゆる時事的な話題がテーマになっているのですが、それらの事柄を良い悪い、もしくは、善悪で判断するのではなく、それよりも前の「まなざし」というものに注目して、様々な話題を展開しているところが大きなポイントです。
 この「まなざし」という視点は、全く初めてで、この視点を知れただけでも、世の中をより冷静に見れるようになった感覚があるので、この本との出会いは本当に嬉しい出会いで、さらに投稿のシェアをいただいたことから、ご縁をいただき、すぐに出版記念イベントに足を運び、「直接お会いしたい!」と直感で動いてしまった程、衝撃の本との出会い、著者さんとの出会いでした。
 著者のハナムラチカヒロさんは、風景のデザインをされている、ランドスケープアーティストとして活躍されています。「ランド(土地や場所)+スケープ(眺め)」が風景になるという考え方から、同じ土地や場所でも、我々の目で見る眺めや意識(まなざし)が変わることで、まるで違ったものに見えてしまう「風景〝異化〟」という視点がとても新鮮で。
 しかも、その見る者の見方が同じパターンを辿り続けていくと「まなざしの固定化」が起きて、モノの見方が凝り固まり、視野や意識が狭くなってしまい、場合によっては、自分自身で客観的にまなざしが固定化することにも気づかないことにもなるという、思わずドキッとすることも書かれていました。 
 「私たちが最も見えていないのは自分の見方である。私たちは自分が当たり前だと思うものは問題にしない。それどころかその存在にすら気づかないことがある。そしてその盲点を生み出すのは、自分は間違っていないという思い込みである。
だが、その盲点の存在に一度気づいてしまった瞬間、まなざしに〝革命〟が起こる。今まで見えてなかったことが急に違って見え、物事の見方が反転するのである。自分のこれまでの見方を知ったときの衝撃は大きい。急に状況が見え始め、文字通り、世界の見方が変わってしまう。そのまなざしの革命は社会を変えるよりも〝大きな力〟を持っているのだ。いや、実際に社会すら変えてしまい、本当の革命すら起こる。だから、今こそ変えねばならないのは、社会ではなく私たちのまなざしなのではないか。私たちは世界を変えることはできないが、世界の見方は変えられる」はじめにより

「迷ったら原点へ」という言葉もありますが、この後、「常識」「感染」「平和」「情報」「広告」「貨幣」「管理」「交流」というキーワードで、それぞれの本来の意味である「そもそもの(常識なら常識、貨幣なら貨幣の)原点」を思い出させてもらえる各章を読み進めるごとに、今、直面している事柄に対する「まなざしの固定化」から少しずつ解かれて、自然と視野を広げる体験ができる1冊となっています。

そして、最後の「解放」の章が、この本の〝核心〟であり、最後の落とし所が、思わず「なるほど!」と納得して気持ちよく読み終わること間違いなしで、是非皆さんにもお読みいただきたい内容です。

「最も難しいのは自分自身について見つめることである。何かにまなざしを向けるには、その対象物との間に距離が必要だからだ。身につけている服のように距離なくぴったりとくっついていると、その全体像を見ることができない。その服を風景として見ようとすれば脱ぎ捨てるか、鏡を使って距離を取らねばならない。
 私たちが他者の行動や心がよく見えるのは自分とは距離があるからだ。だが、自分の内側に抱えている常識や概念、そして心の状態はあまりに近過ぎて見えない。それは、風景や対象物として見えてこないので、ずっと意識できずにいると、まなざしが固定化していることにも気づかないのだ。

だから私たちは自分自身に対してこそまなざしを向けねばならない。それは見たい自分だけに目を向けることではないし、見たくない自分ばかりを見て嘆くことでもない。自らに対してありのままかさにまなざしを向けることである。自分が何に囚われているのか。自分が何を愛し、何を憎み、何を信じているのか。自分に何が見えておらず、自分が何を見たがっているのか。そして自分は何を見たくないのか。
そうやって自分自身に真摯なまなざしを向ければ、本当は自分がこれまで見たいような自分しか見てこなかったことき気づくだろう。

ー中略ー

私たちに本当に必要なのは、誰かの救済を待つことでも、誰かを正すことでもない。自らで自らを診断し、自らの内にある問題の原因を突き止めて治療し、自らを救済することなのである。」第9章「解放」より
 そして、この本の最後に出てくる「三つの「り」のまなざし」は読んでからのお楽しみで、最初の「常識」の章からちゃんと最後の「解放」の章まで読んで、この「三つの「り」のまなざし」の箇所まで来ると、きっと皆さんの中のまなざしにも〝革命〟が起きるはず!
 今、まさに「まなざし」の視点が大事な時だと感じますが、こんなに良い本なのに、世の中的にまだまだ広まっていないとのこと。

先日のこちらのハナムラさんの投稿↓
https://www.facebook.com/100000014552071/posts/7315122151831531/?d=n

を拝見して、思わず「応援させてください!」とコメントさせていただきました。

各地の書店に、著者のハナムラさんが実際に足を運び、写真にあるような、革命旗のPOPを書店ごとに違うメッセージを書きながら、地道に一歩一歩活動されています。そんなお話をお聞きしたら、もう応援せずにはいられません。
これからも長くおすすめさせていただきたいと思いますので、よろしければ皆さんもお読みいただき、『まなざしの革命』の応援をよろしくお願いします!

◆『まなざしの革命』
ご注文はこちら↓

『まなざしの革命』は、外側から作られる「まなざし」とそこからの「解放」がメインテーマなのですが、表と裏のように、内側からいかにして「まなざし」をデザインしていくかをテーマにした前作『まなざしのデザイン』との合わせ読みもおすすめですので、内と外からの「まなざし」にご興味ある方はこちらも是非!

◆『まなざしのデザイン』

ご注文はこちら↓

●3月2日/2nd Mar
 昨日、WirelesswireNewsに『「戦争」をどう見るか』という論考がアップされたが、驚くことに一晩で160を越す「いいね」が付いていた。今回の戦争に対する情報流通量と関心の高さを示す一方、論考がどれだけ力を持ちうるのかは分からない。
 2020年4月に「パンデミックを作ったのは誰か」という論考を上げた時にも同じような勢いだった。結果、コロナに対して慎重な見方をする人は増えたが、社会が進んだ方向はご存知の通り。
 人間のまなざしというのは革命が起こっても、すぐに通常運転に戻る難しさがある。正常化バイアスもあれば様々な情報による引き戻しもある。今回は本があるとは言え、どこまで行けるか。この投稿から数時間で200を超えそう。

●3月2日/2nd Mar
 #まなざしの革命を探せ
ご参加下さいまして心より感謝致しますー!
この書店は革命旗を一番最初に立てた書店です。二度訪れ、担当の方にお渡しすると、すぐに配置を変えて目立つ場所に置いて下さいました。今回、50カ所ほどの書店を周り革命旗を立てておりますが、こうした書店員の方々との会話が一番勉強になっております。拙著もお読み下さるようでとても嬉しく思います。最後の章までどうぞよろしくお願い致します。

●3月3日/3rd Mar
 少しは違う見方が出てきた感はあるが、権威や知識から遠い方が比較的冷静になっている感じが見受けられる。ここ数日、連投していることが効いていれば幸いだが。拙著でも注意書きとして示したが、一度気づいてある信念から抜け出ると、今度は正反対のものを信じてしまいやすくなる。
 もう20年も"まなざしの戦争"について追いかけていると、情報などただの情報に過ぎず、そんな所に真実はないことを理解している。それどころか補助線を持っていないと情報の読み解きすら出来ないことも。少し前の投稿のコメント一部をシェアする。

●3月4日/4th Mar
 権威に近かったり、知識を身につけているインテリほど見方を変えるのが難しいのは当然なのだと思う。「勉強が出来る」ということが意味するのは、それまで常識とされている知識や認識を身につけていくことだからだ。
 しかしそれまでの常識が通用しない事態、あるいは常識そのものが間違っていたという状況が生じると、常識や良識とされてきたことに近い位置にいる方が、反対の見方を俄には受け入れ難い。だから、それらを全て「陰謀論」として片付けがちになる。
 だから「まなざしの革命」では第1章を「常識」とした。ここが一番読みにくい難所なのだが、ここを理解すれば後は読みやすいと思う。第3章「平和」では「陰謀論」のことを書いたが、WirelessWireNewsに以前挙げていた記事を再度シェアする。一年前には読み飛ばしていた人も、今なら少しは読んで考える機会になるかもしれないと願って。

●3月4日/4th Mar
 江戸川区の書店「読書のすすめ」さんで、「自己超越セット」というコンピレーション本を購入。拙著「まなざしの革命」はパート2に含まれる。量子論や般若心経の本とセットになっているとは。パート1にはノ・ジェスさんの本など含まれるのか。

来週、総合地球研環境研究所(RIHN)が主催で、フランスのEHESSなども参加する国際シンポジウム”The Arts of Living with Nature”に僕も登壇するので、この1週間はスライドに追われていたが、ようやくひと段落したので週末は少しインプットの時間。

●3月5日/5th Mar
 #まなざしの革命を探せ
市ヶ谷の文教堂書店で、拙著「まなざしの革命」が置かれているとのご報告があり。政治の新刊コーナーで面見せで置かれてました!革命旗立てに行きたいけど、しばらくは難しいな...

●3月5日/5th Mar
 2月1日に青山ブックセンターで行いました「まなざしの革命」の刊行記念講演のプレゼンテーションの様子をYouTubeで公開しました。良ければシェア拡散もよろしくお願いします。冒頭の10分ほどは本の一部を朗読しております。
 コロナパンデミックの背景や、今のウクライナの状況など、色々とイメージしながらご覧頂くと、我々の認識の盲点が見えてくると思います。1時間ほどの長さの映像に「まなざしの革命」の内容の一部をビジュアルで解説しております。
 本の第1章「常識」、第2章「感染」の一部をプレゼンテーションしておりますが、まだ拙著をお読みになっていない方も、お読みになった方も、ぜひご覧いただければ嬉しく思います。おそらく本の内容がビジュアルで入ってくると思います。
 また、当日にズームでご参加された方は、画面では伝わりにくかった会場の様子や、スライドのアニメーションなどもわかりやすくなっております。質疑応答なしの前半のみですが、再度ご覧いただくと理解が深まるのではないかと思いますので是非。

ここのところ特に、多くの人の中で「常識」が変わった出来事が相次ぐ。しかしそもそも常識とは何か?ということに立ち戻るべき局面に来ている。この「まなざしの革命」では、新しいことを書くのではなく、そもそもそれって何だったのかということを書いたつもりだ。
世界は今、革命的な状況にある。WHOのパンデミック宣言以降、コロナ禍から先週のロシア-ウクライナ情勢に至るまで、今世界が「例外状態」に置かれているからだ。なぜこうなり、これから何が起こるのか。そんなことを「まなざしの革命」刊行記念講演では話した。是非。
後半の質疑応答の方が面白いのだが、オンラインでお聞き頂いた方々は質問者の音声が聞こえなかったので、少し編集で音を持ち上げる試みをしている。

●3月6日/6th Mar
 ロシア側から見たグランド・ストラテジーと、欧米側から見た世界秩序が、まるで正反対な見方をするのは当然だ。だがロシアの地政学については、現地で教科書的に扱われるドゥーギンのユーラシア構想であっても、日本での研究は欧米のまなざしから理解されている感じを受ける。

もしドゥーギンの補助線通りであれば、次はイランと日本が巻き込まれるのだろうが、2017年以降の世界秩序の変化を考えると、もはやロシアや欧米といった国家の枠組みから見た地政学で情勢を理解することは検討はずれになっているのかもしれない。ここにもまなざしの革命が必要か。

●3月6日/6th Mar
 総合地球環境研究所(RIHN)とフランスの社会科学高等研究院(EHESSが共同で開催する国際シンポジウム「自然と暮らす術/The Art if Living with Nature」が、3月7日からの五日間開催されます。
 地球研所長の山極壽一先生、京都精華大学学長のウスビ・サコ先生、風土学の泰斗のオギュスタン・ベルク先生など大御所の先生の中に混じって、ハナムラもDAY3のアカデミックセッションで話させて頂きます。

今、革命的な状況を迎えている時代だからこそ、次の文明の方向性を間違えないように、大切なことを見据えるための対話が出来ればと思います。各セッションはアカデミックセッションと一般セッションの二つに分かれており、研究者だけでなく、実務者もディスカッションに加わる形の2部制になっています。ウェビナーでもご参加頂けるようなので、ご関心お寄せの方は是非。リンクはコメント欄にはっておきます。

「The Arts of Living with Nature 自然と暮らす“術”」

[日時]
2022年3月7日(月)- 11日(金)
[場所]
オンライン(Zoom、YouTube)
※コロナウイルス感染症の世界的規模の流行により、オンライン開催となります。
※講演および議論の大部分はZoomを使用して行います。

[主催]
総合地球環境学研究所、社会科学高等研究院(EHESS)
[言語]
英語・日本語(同時通訳あり)

[プログラム]
特設サイトをご覧ください。

[参加費]
無料

[参加申込]
参加申し込みフォーム より直接お申し込み(登録)ください。登録完了後、ご指定アドレスに参加URLを含むEメールが届きます。

[連絡先]
総合地球環境学研究所 管理部企画連携課 国際交流係

Day 1 プレリュード :「地球という庭」(Prelude. The Arts of Living with Nature)
Day 2 起:「風土」の地球(Opening. Earthly Intelligence: The Planetary Vernacular)
Day 3 「承」庭園の惑星:さまざまな暮らしの技術 (Reception. Garden Planet: The technodiversity of life)
Day 4 「転」自然の芸術(Transformation. Nature’s Arts)
Day 5 「刷新」 地球に生き続ける(Renewal. Staying on Earth)

[シンポジウム主旨文]
総合地球環境学研究所(地球研)は、環境問題を文化的アプローチにより研究する世界でも類例のない学術機関として20年前に京都に設立されました。環境問題の原因は人と自然の関係がいびつに歪んできたことにあります。そして人と自然の関係性は、さまざまな地域で長い年月にわたって営まれた人々の生活、つまり文化に内包されています。ふだん意識することがなくても、文化はわれわれの生活や価値観、思想、さらには新たな発想の根源となっています。地球研の掲げる文化的アプローチとは、地域ごとの人と自然の連関を明らかにし、文化を知の源泉として地域そして人類の共通の課題である地球環境問題の解決を目指すということです。

文化的なアプローチには乗り越えなければならない壁があります。地球上の異なる自然環境の中で生きてきた人々が生み出してきたのが文化です。文化はどうしても地域に固有なものになりがちです。しかし地球環境問題は地域固有の文化を超えたところにあります。

いつのまにかわれわれは、地域固有の身近な「風土」から離れ、異様に複雑な技術統治的(テクノ・インスティチューショナル)社会へと組み込まれました。「人新世」の時代です。普遍的な近代技術と知恵に依拠したわれわれ一人一人の生活の蓄積が、巨大な地球システムに限界をもたらしています。今求められているのは、人と自然の関係性を再構築することです。そのために、再び地域に根差し、立ち止まって自らの生活を振り返り、人類の思想として自然を再定義することが必要です。

そのため今回のシンポジウムでは、生活における基礎的な創造空間としての芸術に立ち戻ることにしました。かつて技術と芸術は同じ言葉でした。自然から生まれた技術が自然を支配するようになり、芸術が日常生活から遠ざかるようになり、この二つは大きく乖離したものになりました。

第16回地球研国際シンポジウム「自然と暮らすという術(The Arts of Living with Nature)」では、モノ、場所、社会形態など具体的に表現される暮らしにある芸術をそれぞれ取り上げ、作用し続ける地球の活力と共に存在してきた人類の暮らしの経験について議論します。地球研と京都大学及びフランス国立社会科学高等研究院(EHESS)とが過去二回にわたって行った連携シンポジウム(「対話:日本列島の自然観」於:京都大学 、2018及び 「自然は考えるのか?」 於:ユネスコ本部及びパリ日本文化会館 、2019)を基にしています。先行した二つのシンポジウムでは、思弁的な哲学から臨知調査に拠った人類学まで、フランスと日本のさまざまな立場の研究者が、自然と文化を峻別してきた二元論を批判的に検討しました。芸術対科学技術、芸術対工芸、美学対実用性に代表されるような昨今のシンポジウムにおける重要な概念に付着する二元論から脱却するよう議論を進める必要があります。

「庭」はその糸口となる重要な観点です。「庭」は労働と休息の場であり、身体と心を涵養する自然を理想的に表現しています。「庭」は、人と自然の関係を象徴的に表現しており、そこで見出される植物、樹木、動物、昆虫、土壌、石など人以外の「他者」との、長い相互作用の歴史を思い出させてくれる無言の使者となっています。また、人類の歴史の中では「庭仕事」は採集とも農業とも密接な関係にあり、「庭」の概念と技術は、より広範にわたる活動や領域を含んで、特定の地域の多様な自然とそこでの生きる人々の術を縮図として示しています。

「暮らしの術」において、私たちは東洋と西洋が持つ自然知性という概念の探究を引き続き行います。それは、所有することのできない他者という概念が、人類の創造的な役割を認めることになるからです。おそらく西洋と東洋という二分法の妥当性も問われることでしょう。私たちは、物質界における人間の創造性の根源について、造形美術、工芸、そしてダンス、音楽、演劇のような領域の中で探求します。これらは広大な未知の源であり続け、自然に内包される人間の生に対する希望に語りかけるように見えるからです。

●3月7日/7th Mar
 RIHNのシンポジウム初日。今日はオープニングなので山極壽一先生と、ウスビ・サコ先生の対談。山極先生には、「まなざしの革命」の帯の言葉でもお世話になったが、文化についても流石に造詣が深い。

サコ先生は一度お会いしたことあるが、日本語能力が脅威的に高く、音声だけだと普通に関西人に聞こえる。同じランドスケープデザインの領域の方だが、建築ベースで、アフリカ、中国、日本などを渡り歩いておられて視点が面白い。

コーディネートの阿部先生からハナムラに期待されているのは、おそらく事例と理論の両方だと思うので、いつもの作品事例をテーマに即して少し別の角度から話す予定だが、本当は発表よりもディスカッションに加わりたい。

明日はティム・インゴールド先生とオギュスタン・ベルク先生のディスカッション。自分が学生時代に読み漁った先生と同じシンポジウムに登壇するのは本当に奇妙な感覚だ。

●3月8日/8th Mar
 なぜか岡さんの投稿をシェア出来ないので、画像で貼ります。
今週土曜日の13日の午後に、アドバイザーをつとめているアシヤアートプロジェクトのイベントがあります。芦屋のルナホールです。
「GUTAIという何か」というタイトルで、子供向けのアートワークショップと、トークセッションが開かれ、芦屋で活動した前衛現代美術集団の「具体」を巡って話をします。
 ハナムラも登壇しますが、実行委員からアートマネジメントがご専門の藤野一夫先生、アートプロデューサーの加藤義夫さん、そして同じアドバイザーで具体の研究を続けておられる加藤瑞穂さんに加えて、戦後美術教育がご専門の三重大学の山田康彦教授を交えてディスカッションします。
 久しぶりに公開でのディスカッションの場に出ますので、言葉が回るか心配ですが、ご関心ある方は是非。

●3月9日/9th Mar
 さて会場。トップバッターか

学生の頃に読み耽り、博論でも講演でも多大に引用させて頂いている碩学のオギュスタン・ベルク先生と、同じ場に立つ日が来るとは思いもしなかった。
デジタル化していく世界にはいささか懐疑的だが、こういうことが出来る可能性が開かれたことには感謝したい。そして今回白羽の矢を立てて頂いたコーディネーターの阿部先生にも心より感謝。

地球環境研究所の国際シンポジウム「The Art of Living with Nature」での発表終了。ハナムラの発表に対して、山極先生にも真っ先にご質問頂き、共にディスカッション出来る機会を持てるとは、とても光栄に感じる。
 後半のパネルディスカッションではなんとオギュスタン・ベルク先生からも「主体とは何か?」というご質問頂く。自分が教科書のように読んでいた碩学の先生の本質的な質問に、自分が答える側に回る時が来るとは夢にも思わなかった。
 前著「まなざしのデザイン」では、第12章で、主体つまり自分のアイデンティティの問題に迫ったが、自分という主体が最も我々にとって理解できないものであるということ。
 主体つまり自分というのは、そもそも非常に曖昧な存在であり、それはネット社会によって加速しているように思える。アイデンティティが今の社会の最大の問題の一つでもあるぐらい重要な課題になり、皆アイデンティティの希薄さを埋めたくて活動したり人と交流する側面がある。
 それは客体との関わりによって自分を確認し続ける行為であり、それを一生かけてし続けねばならないくらい、主体の感覚は希薄で曖昧なものであることに我々は気づいていない。そんなつもりで答えを返しておいた。
 もし時間があればブッダと量子力学を召喚しながら、対話を続けてみたかったが、パネリストは僕一人ではないので、そこは大人として我慢する。山極先生から出た最後のコメントから、今日のメッセージが誤解して伝わっているか、あるいは理解されておられないかもと感じたが、こちらからのレスポンスの機会はないので少々違和感が残る。他のパネリストも同じように感じておられたようだ。

期間中に山極先生に直接お会いした際に反論交えながら、この続きの対話を試みてみたいところだが、ともかく今日のところはひとまず発表終えて、一安心。ご視聴頂いた皆さまありがとうございました。

●3月10日/10th Mar
 3月12日の今週土曜日のFM COCOROにゲスト出演します。加美幸伸さんがDJを務める「SATURDAY MAGNIFICENT」で、南森町のスタジオでの生放送です。

加美さんとは以前番組に出させて頂いて以来、まちライブラリーでもお会いしたり、大学にも来ていただいたりと色々お世話になっています。僕もしばらく海外に出ていたので、お会いするのは随分と久しぶりですが、とても嬉しい限り。

生放送なので、どんな話が引き出されるのか全然分からずドキドキです。僕も「まなざしの革命放送」とかポッドキャストとかやってしまってますが、プロのDJは本当にすごいので、是非お聴き頂ければ嬉しいです。

●3月10日/10th Mar
 国際シンポジウム「the Art of Living with Nature」の四日目終了。本日はアートがど真中のテーマ。阿部先生いわく僕はどこにでも使えるスーパーカードらしいので、今日のテーマに入れるかどうか迷われたらしい。でも結果的に昨日の庭のテーマの中に入れたことで、ベルク先生と今日のテーマとのブリッジ的な位置付けになったので、全体として良かったのではないかと。

今日はカナダの研究者でアーティストでもあるDavid Maggs氏、山梨県立美術館の小野さん、国立民博の全盲の人類学者の広瀬先生の3名がアカデミックセッションでのご発表。

Davidさんの視点が僕自身の視点と非常に似通っていて、時間があれば掘り下げたかった。アートの持つ表現の力、つまりexpression ではなく、注意をひく力attentionに注目しているのも共感する。西洋では特に「アートが道具化」している傾向が強く、そのことに辟易する中で、「世界を美学化」することに可能性があるのかという議論は、もう少し意味するところを掘り下げてみたい。

彼の言う深い主観性Deep subjectivityについては、皆さんあまり注目されていなかったが、本当はこのシンポジウムで問わないといけないのはそこだろうと思う。ハナムラとディスカッションするアレンジであれば、2人でそこを掘り下げたかもしれない。

一方で栗田宏一・須田悦弘展の話、そして民博の触る展覧会「ユニバーサルミュージアム」の話は、アートの内容そのものよりも、キュレーションというメタクリエイションに焦点が当たる発表。西洋的なアートの機能や役割ではない部分が滲み出てしまう日本的なあり方がコントラストとして見えてくる。

後半のパブリックセッションで、21世紀美術館の館長の長谷川祐子さんの発表とも通じるところがあるが、頭や理屈のロゴセントリックなアートではない方向性が、日本の中にまだ脈々と潜んでいる感じを受ける。この週末に僕も芦屋で具体を巡ってトークに登壇するので、このあたりもテーマになるなと思いながら拝聴した。

ステファノ・マンクーゾとのコラボレーションの話はもう少し聴きたかったが、ご紹介された事例についてはもう少し問えそうな作品セレクトもあったのかなと感じた。

雅楽の小野さんの「聖なる超越者」としての芸能の話も興味深く、前半の話と合わせて一つの補助線が僕には描けた。

ドイツの物理学者のIránさんの話はやや違う角度で、データとナラティブにフォーカスされていたが、結局はこの複雑な社会をどのように知覚し、解釈し、それを共有するのかを巡る議論がされている。そんなことを山ほど言いたくはあったが、自分が話す場ではないので、静かに聴くことに。

途中の休憩時間に、ようやく念願の山極先生に直接ご挨拶出来た。会ってご挨拶してすぐに、昨日の議論の続きを立ち話でに仕込んでしまい、初対面にも関わらず、いきなり本質的な対談のような時間になる。

「まなざしの革命」の視点が斬新すぎて、大変面白かったと仰って頂き光栄で、「まなざしのデザイン」もお渡ししたら、昨日の発表で読みたいと思っていたので、勉強させてもらいますとのお返事。心底から謙虚な研究者としての在り方に感銘を受けるが、互いに堰を切ったように話して、あっという間に休憩時間が終わった。

明日は最終日で、何らかの結論が出るのかどうかだが、議論したいことは山ほどある。楽しみ。

●3月11日/11th Mar
 #まなざしの革命を探せ
ジュンク堂書店滋賀草津店ではビジネスの棚の「日本論」に置かれていた。隣にはまたロスリングの「ファクトフルネス」が。革命旗を立てる。

#まなざしの革命を探せ

くまざわ書店京都ポルタ店では「まなざしの革命が」一冊だけ置かれていた。ノンフィクションの棚だったが、元々は文芸新刊に置かれていたようで、店員さんに革命旗を渡して立ててもらう。くまざわ書店は小さい店舗でも置いてくれている。感謝。

ちなみに京都駅八条口のAvantiブックセンターでも、革命旗は立たずだが、残り一冊だけ「まなざしの革命」が置かれている。

●3月11日/11th Mar
 総合地球環境研究所の国際シンポジウム「the Art of Living with Nature」の最終日終了。文明の相対化の話から、西洋的価値観の刷新の話、心の植民地主義からの脱出、そして自然と人間との関係の問い直し、最後は新しいアニミズムの話。久しぶりに面白いディスカッションを聴いたが、最後にはハナムラも我慢できず、残り1分のタイミングにも関わらず手を上げてコメントしてしまった。

終了後は長谷川祐子さんのご自宅で少しだけ打ち上げになり、山極先生、ウスビ・サコ先生、阿部先生に混じって、裏話を色々と。いつもシンポジウムが面白いのは終わってからの打ち上げで、表では聞けない話がバンバン出てくる。二人とも学長経験者なので運営の話なども面白いが、サコさんの中国留学時代の話とか超絶面白かった。

山極先生とサコ先生という日本でトップクラスの知性の掛け合いも面白くて、アルコールも入っているので、舌が回る。二人ともスーパー頭いいだけでなく、かなりオープンマインドだったので、僕も色々とディスカッションの続きをふっかけて、笑い転げていたら、夜半回ってしまった。

阿部先生曰く、今回のシンポジウムは全員が主役張れるメンバーなので、皆言いたいことあってフラストレーションが溜まっているが、それでいいのだと。山極先生、阿部先生と帰り道に歩きながらボツボツ話す。

長谷川さんのご自宅も素晴らしく、階段にはオラファ・エリアソンからもらったオロイドの照明とか普通に釣っていてビビる。芳名帳みたいなのに山極先生、サコ先生に並んで、僭越ながら書かせて頂いた。

最近、シンポジウムとか講演とかが全部オンラインで、それは普段参加できない人にオープンになるのはいいが、交流が無いのがつまんなかったが、久しぶりに知的に充実した時間を頂いた。

シンポジウムに誘って頂いた阿部先生、山極先生並びに登壇者の皆さま、支えて頂いた地球研の皆さま、大勢の方々に心より感謝。

●3月12日/12th Mar
 FM cocolo の南森町スタジオに到着。これから生放送に出演。

FM cocoloのSATURDAY MAGNIFICENT CAMPの生放送の出演終了。DJの加美さんの進行が素晴らしく、心地よく話す時間。前回出た時は、森ノ宮キューズモールのまちライブラリのスタジオだったが、今回は南森町のスタジオ。

加美さんは「まなざしの革命」を全部読んでくれていて、特に最初の「常識」の章に注目してくれていたみたいで嬉しい。DJの加美さん、スタジオのスタッフの皆さま、生放送聞いて頂いた方、全ての方に心より感謝。ちなみに聞き逃した人はコメント欄にリンク貼っておきますー。

今日のFM COCOLOの生放送の様子がアップされましたー。加美さんありがとうございました!

【[SATURDAY MAGNIFICENT CAMP]
「ものの見方を解放するのがまなざしのデザイン」2022/03/12(土)GUEST:ハナムラチカヒロ(@flwmoon)× DJ ▶︎ @kami_rock #SMC765

ハナムラチカヒロさんが生出演!!

ハナムラ「僕らが普段見てる場所とかってものの、見方を変えたら実はすごく美しいものに見えてきたり。その逆もありますよね。美しいと信じ込んでいたものが、ある瞬間にちょっと醜いもの二見えてきたりとか。」
「だから、美しさとか醜さとか、どちらかというとものとかではなくて、こっちの見方に宿っているんじゃないか。」
「裏側になっているところに何か出来事を起こしたら、それが見るべきものに変わる。そのきっかけを作るのがアート。」

『まなざしの革命 世界の見方は変えられる』には加美さん圧巻の常識について解き明かしたページも!要履修です!
ものの見方で革命家に!!

詳しく聞きたい方、気になった方はタイムフリーでどうぞ。

著書『まなざしの革命 世界の見方は変えられる』
河出書房新社から1/25にリリースされました。
今すぐradiko.jpでFM COCOLOを聴く>>http://radiko.jp/#CCL


●3月15日/15th Mar

 拙著より拾って頂き心より感謝です。

●3月15日/15th Mar
#まなざしの革命を探せ
#くまざわ書店なんばパークス店
#旭屋書店なんばウォーク店

くまざわ書店なんばパークス店では「地政学」の棚に一冊だけ「まなざしの革命」が棚の中に置かれていた。店員さん曰く一冊だけ入荷したらしいので、売れずに残っている。残念ながら革命旗は立たず!
ちなみに、そのすぐ近くの旭屋書店なんばウォーク店は、最初に革命旗を立てた書店だが、仕入れた10冊を売り切ってしまって追加発注しているらしい。とても近い位置にある二店舗を見ると、カラーや方針の違いもあるが、書店の工夫によるところも大きいのかと。

●3月16日/16th Mar
世界は今、革命的な状況にある。その中で、私たちが拳を振り上げることでもなく、無力を決め込むことでもなく、主体的に生きていくためにはどのような態度で生きればいいのだろうか。世界を変革するのではなく、まず自分を変革すること。そんなメッセージを込めた。

革命前夜 / the Night before our Revolutions

#まなざしの革命
#革命
#戦争

●3月17日/17th Mar
江戸川区の書店「読書のすすめ」の書店員の小川さんが、ご自身のスタンドFMで拙著「まなざしの革命」の一部を朗読下さいました。心より感謝。
#読書のすすめ
#まなざしの革命
#朗読

●3月17日/17th Mar
この四年ほど構想からデザインまで携わった施設が、概ね最後の仕上げ。今月で建築は竣工を迎えるが、まだモニュメントとランドスケープが残っており気が抜けない。検査前の打ち合わせと植樹、土工、建築と建具の取り合いのディテールの指示。結構細部までこだわったが、関係者以外の一般の方が普段入れる施設ではないので、ご覧頂けないのが残念。

●3月18日/18th Mar
日本ヨーガ禅道院が発行する「たいまつ通信」というペーパーに取材頂いた。ヨーガの団体のペーパーということもあり、普段はあんまり語らない「瞑想」の話を色々とした。
 おそらく普通に手に取られるようなペーパーではないため、読む人は限られているが、インタビューで問われるまま応えていると、結構コアな所まで話してしまい、内容的にもマニアックな記事になったのではないかと。
 思考や言語は人間にとって大事だが、思考では到達することが出来ない智恵がある。我々の知覚そのものが変わらないと理解できない世界があり、それを垣間見るには思考を捨てないといけない。ある種の修行や訓練を積んでいない状態で、言語でいくら議論しても永遠に理解できないだろう。
 著書では全くそういう話は書かずに、共有可能な智恵だけにフォーカスしている。だが、ニュートラルなまなざしが持つ力や、統一された心の力というのは我々が考える以上に大きい。いずれ時が来れば、書くこともあろうかと。

●3月19日/19th Mar
 本日は業種を越えた京都の老舗企業の人材育成の場である「京都クオリア塾」で講演。第6期生の皆さんには講演したことがあるが、今日は第7期生の最終日。主催する長谷川さんからぜひ「まなざしの革命」の話をして欲しいということで話をする。
 午前中は堀場製作所の堀場会長のお話があり、会長にはハナムラの講演もお聴き頂く。その後の懇親の場では、質疑応答を受け付けたが、塾生の皆様から質問が途絶えず、結局1時間半ほど様々な質問に答えた。
 京セラ、京都リサーチパーク、堀場製作所、大垣書店、島津製作所、松栄堂、村田製作所、一保堂など、京都の企業の40代から50代ぐらいの皆様で、仕事の悩みだけでなく、情報の取り方や、世界の読み方、人生の課題など、来た質問に全方位的に打ち返した。
 特にウクライナとロシアの話は皆さんやはり意識されておられるようなので、話せる範囲でちょっと話しておいた。流石に諜報関係の情報はベラベラ話せないが、普通にメディア見ているだけではおそらく理解できないような補助線は書いておいたので、単純な話ではないことは理解して頂いたと思う。
 大垣書店さんの取り計らいで、拙著を用意頂いていたみたいだが、来場者全員がご購入頂いたようで、久しぶりにサインも書いた。その後、主催者が離してくれず、何時間か話をして産学連携や企業の役割についてディスカッション。
 元々メディアにおられた方だから、理解できると思ったので、今の世界情勢のかなり裏側まで話したが、政治や国際情勢の話は軍事や経済の裏の話を理解していないと、そりゃ何が起こっているかは分からないだろうなと。気がつけば毎週京都に来ている感じになる。

●3月22日/22nd Mar
#まなざしの革命を探せ
徳島まで足を伸ばして、駅前近くの紀伊國屋書店さんへ。東洋思想・日本思想の棚に「まなざしの革命」を平置きして頂いていた。隣が呪術廻戦の関連書籍なので、呪いを近くに感じつつも、革命旗を無事に立てる。

●3月22日/22nd Mar
プーチンが、ゼレンスキーが、ロシアが、ウクライナが、と言う前に、一度冷静に戦争というものの本質を考えてみるのはどうだろうか。このひと月の間に我々が拳を振り上げた結果がどんな事に利用されるのかが、これから明らかになるかもしれないのだから。

●3月23日/23rd Mar
ウクライナのゼレンスキー大統領が話す国会の「生中継」を見る。演説そのものにも奇妙に感じた事はたくさんあったが、山東参議院議長が締めの言葉を話している最中で、なぜか中継が切れて、その直後に映った会場の様子に最も違和感を感じた。いくつか考えられる可能性はあるが、一体これが何を意味するのかは、後ほど見えてくるのか。いずれにしても奇妙なことが起こっているが、多くの人はその違和感を持っていないことはよく分かった。
この国会での演説によって、次に何が起きるかは補助線が引かれている。「まなざしの革命」で書いた通りのことにならねば良いのだが。
中継の中断がこちらのパソコンだけで起こったのかどうかの確信は持てないのだが、もし他の方も同じようなことを見ていたとしたら、思い当たる可能性はアレか。山東議長に瞬間移動能力がないとすればだが。

●3月24日/24th Mar
今週の土曜日に、高校の社会科の先生たちが立ち上げた「関西・21世紀社会科の会」の特別企画として、「『まなざしの革命』の教室」という場でお話しをする。これは非公開イベントだが、高校の先生がたくさん集まって頂く場で、とても有意義な時間になるだろう。

僕自身はこの10年ほどは社会人教育に携わってきた。そのため若い方々を教育する機会にはさほど恵まれなかったが、幸か不幸か、大人の思考を導く機会には恵まれていたと思う。だから今回は高校生を教育する先生方という大人を通じて間接的に若い方々にもメッセージが伝わる機会になるかもしれない。
 前回のコロナ前に、この会に呼ばれてお話しした時はハナムラが考案した「データスケープ」という数値を使ったモノの見方についてのワークショップを伝授して、いくつかの高校では試してもらったことがある。その後のパンデミックで活用出来ていればいいのだが、社会全体ではそうはならなかった。
 社会科の先生たちなので、今回はおそらくウクライナの件についても関心があると予想出来る。なので、もし何もリクエストが無ければそのあたりのディスカッションをとも思う。社会を本当に理解しようとすると「戦争」を理解しないといけないからだ。社会の教科書で書かれる戦争ほど注意せねばならないことはないだろう。

●3月24日/24th Mar
ここのところ、来年度からの生命表象学研究に向けて図像学系の本を併読するために集めているが、届く本を改めて眺めると怪しいラインナップだ。(まともそうなのは向井周太郎先生とティム・インゴルドぐらいか...)。

中でも「世界シンボル大事典」は一般人は決して手に取ることがないような本。よくまとめたなと思うぐらい古今東西のシンボルが集められているが、デザイン的観点から眺めても、いかに現代の図像が過去の神秘学的な系譜から繋がっているのかがよく理解できる。

いや、逆に呪詛的な意味を理解せねば現代という時代が読み解けないのだが、そんなことは教育の中では巧みに避けられるものだ。その範囲で常識が語られることが、いかに狭いのかが伺える。これまでは自著として神秘学的な内容のアウトプットは避けてきたが、そんなことも言ってられなくなるのだろうか。

●3月24日/24th Mar
本日は社会人大学院の観光地域創造分野の修士論文の有志によるオンライン発表会。通常であれば口頭試問の審査の場が公開なのだが、今年は止むを得ずクローズのオンライン審査になったため、学生の皆さんが有志で場を設けられた。
修士論文をご発表された皆様は本当にご苦労様でした。また会を主催した皆さまには心より感謝。一方、カメラが起動できず音声だけになってしまい申し訳なく思う。
おそらくこうしたデジタルコミュニケーションが今後はスタンダードになっていくのだろうが、便利になる反面、ますます技術依存になることに一抹の不安に感じる。

●3月25日/25th Mar
あまり般若心経についての本は読んだことがないのでよく分からないことが前提なのと、信じている人も多いのであまり迂闊なことは言えないのだが。この本で解釈されている般若心経は非常に美しくはあるが、僕の理解しているブッダの智恵と合致しているところと、全く異なる箇所が混在している。

これはこの方の解釈が間違っているとかいう話ではなく、般若心経そのものが混乱していることに起因してそうだ。ブッダの言うことと般若心経の間で、世界の「読み取り」が合致する箇所、違う箇所、「解決方法」が合致する箇所、違う箇所が入り混じっているので、正誤表で整理してみれば分かるだろう。

穿った見方をすれば、そもそも意図的かつ非常に巧妙にメッセージが曲げられたままで言い伝えられているのではないかと。このあたりは以前、カタカムナの研究者から聞いたことが補助線になりそうだ。

●3月25日/25th Mar
四国新聞に拙著「まなざしの革命」の書評が寄せられていた。書いて頂いた方がどなただろうと調べてみると、Yahoo!知恵袋を立ち上げた岡本真さんという方らしい。的確に本書の意図を汲み取って頂き、こんなにご評価頂けるとは光栄なこと。心より感謝。

出版よりふた月ほど経つので、こうした書評がそろそろ出てくる頃。ある意味で、コロナからこの度の戦争まで予想していたこともあり、急速に拙著が拡まっているようだ。こうした書評を機に、多くの人の目に触れお読み頂き、一人でも考える人が増えれば書いた甲斐があるものだ。

●3月26日/26th Mar
高校の社会科の先生を中心とする「関西・21世紀社会科の会」の特別企画『「まなざしの革命」の学校』が終了。20名ほどの高校の先生がお集まりになり、皆で一緒に考える時間を持った。
 雨の中、会場の近畿大学附属高校の教室の一角を、机と椅子でバリケードを築き、パルチザンの隠れ家風の空間に。薄暗い教室の中で、普段は教壇に立つ先生方が今度はハナムラの話を聞く。こちらも腹を据えて真摯に話さねば。

最初に拙著「まなざしの革命」の第三章「平和」の章の一部を朗読する。これを書いたのはウクライナへのロシア軍の侵攻の前だったが、今やもうこの朗読を聴きながら、誰もがこの戦争のことを想像していたのではないかと思う。
 その後、革命旗の裏側に先生に書いてもらった質問を回収し、それに一つずつ答えていく。当然、戦争の話題、プーチンやロシアの話題、感染と対策の話題、自由の話題など、今の時代に即した様々な話題が出てくる。それに一つずつ丁寧に答えていると、三問ほど答えた所でタイムアップになった。

残りの30分は先生方がグループに分かれて、残った質問をディスカッションする時間を設ける。それらを発表してもらって、最後にハナムラが高評する時間を持った。最後に拙著の最終章の最後の段落の朗読が乗せられた「革命前夜」の映像を全員で見て、会を終えた。
 締めくくりの際に、僕が高校の社会科の先生に期待していることを伝えると同時に、社会科ほど教えるのが難しい教科はないのではないかと話した。社会というのは多様な見方があり、本来は正解を簡単に決めることは出来ない。

歴史一つを取ってみても、その裏側には選択されなかった無数の歴史があり、どの立場から何をどのように伝えるのかには、何重ものバイアスがかかっている。そしてそこには表裏様々な政治の力学が渦巻いている。我々が教育の中で語る正解とはそんな状況で選択されたものだ。
 そうしたことに目を逸らさず、見過ごさず、あきらめず、それでもこれから大人になっていく人々たちに何かを伝えるとすれば、まずは自分が偏ったことを教えている可能性や、実は何も知らないかもしれないことに真摯に向き合うことが、今こそ必要な気がする。

情報に踊らされて簡単に何かの結論を決め込み、魔法のように問題を解決してくれる安易なメソッドに飛びつき、答えを単純化して決め込んで、押しつけ気味に伝えようとする大人のリアリティの無さを敏感に感じているのは子供の方だ。そんなことになっていないかと、今こそ自分を見つめ直すチャンスではないか。
 世界は今、文字通り革命的な状況だ。そんな時だからこそ、私たちは落ち着いて、自らの内面にしっかりとまなざしを向けねばならない。我々大人が落ち着いて問題に取り組まねば、子供たちはどうなるのだろうか。教育こそ可能性と危険性の両面をはらんでおり、教師こそそれをしっかりと自覚せねばならないのではないか。そんなメッセージを最後に伝えた。

終わってから何人もの先生が来て、個人的な悩みや、クラスで抱えている問題を吐露して行かれた。皆もがいている。でもそのままで良いのだと答えた。大人だって答えの分からない状況であることを、しっかりと子供たちと共有して、同じ目線で一緒に考えることが大事だ。
 こうして教室から革命を起こしていく。そんな同志たちに力強くメッセージを伝えたつもりだったが、どう響いただろうか。奮い立ってもらえたことを願う。場をご用意頂いた先生方、そしてご参加下さった先生方に心より感謝を。

●3月27日/27th Mar
先日ハナムラも登壇したシンポジウムの映像を上げて頂いているのでシェアします。このトークは芦屋を拠点に活動していた前衛美術集団の「具体美術協会」(具体)の理念を再考するアシヤアートプロジェクトという取り組みのプログラムも一つ。
 具体は自分達の表現を模索する中で、子供たちの描く絵を非常に重視し、童美展という子供たちの絵画展を主催していた。それは教育という枠組みで子供たちの美術を捉えるのではなく、あくまで同じ目線の表現者として捉えているという、特殊な立ち位置だと僕自身は考えていて、そのまなざしについてディスカッションをした。
 奇しくも、昨日は中高生の社会科の先生の前でお話しする機会があり、そこでも話題に上げたが、教育というもの自体が実は子供が世界を捉える感性を限定している可能性は大いにある。そのあたりを巡ってコメントしています。
 ファシリテーターは美術評論家の加藤義夫さん、パネラーは豊岡の芸術文化観光専門職大学の副学長の藤野一夫先生、基調講演下さった三重大学の山田康彦先生、大阪大学の加藤瑞穂先生、そしてハナムラの5名。少し長いですが、是非ご覧下さい。

●3月28日/28th Mar
ウクライナへと軍事侵攻したロシアの経済は今、グローバル経済から切り離されようとしている。それは世界の今後の経済にどのような影響を及ぼすのだろうか。ロシアの通貨ルーブルが、国際送金のインフラであるSWIFT(国際銀行間通信協会)から除外され、各国から経済的な制裁が加えられる一方で、ロシアが中国の元をはじめとする別の国際決済システムへと切り替わる契機になったという見方もある。

これまではドルを中心とした金融資本主義経済がグローバルに展開されていたが、それが大きく転換することを迫られるとすれば、それに依存していた私たちの生活にもこれから大きな影響が及ぶことは間違いない。そんな時こそ、原点に戻る必要があるのではないだろうか。

そもそも私たちがものを売り買いするための道具に過ぎなかった「お金」は、なぜこんなにも私たちの人生を左右するほどになってしまったのだろうか。そしてその裏側には、どのような私たちのマインドが根底に潜んでいるのだろうか。本稿では、拙著「まなざしの革命」の第六章「貨幣」から抜粋して、そもそも経済とは一体何なのかについて確認できればと思う。

●3月29日/29th Mar
「読書のすすめ」さんが、拙著「ヒューマンスケールを超えて」を推薦してくれている!しかも清水店長イチ押しとは感極まり涙が出そうだ。

「まなざしのデザイン」が過去の作品のこと、「まなざしの革命」が現在進行形のことだとすれば、実はこの「ヒューマンスケールを超えて」は少し先の未来の当たり前になっていることを話したと言ってもいいかもしれない。

宗教学者の鎌田東二という奇才と対談したこともあり、おそらくこれから先の科学や文明はこの方向が正解ではないかということを二人で紡いだ。なかなか現在の問題が根深すぎて整理に手間取っているが、これからの研究やそのアウトプットとしての書籍は、こういうことばかり言いたい。

ともあれ、とてもとても嬉しい。多くの方に読んでもらえれば本当だ。心より感謝。

●3月30日/30th Mar
今朝の目覚めとともに、なぜ今の芸術がつまらないのかの理由が腑に落ちた。眠っている間に見た夢が影響しているのか。それとも二日前に会ったアストラル体を整える美容師の施術的なカットが効いているのだろうか。

言葉にすると、掴んだものが手のひらから逃げていくように思える。だが端的に言うと、今の芸術は新たな美の形式をまだ獲得出来ていないことに尽きる。モダニズムでは新たな世界観に対して新たな美の様式が獲得された。だからあれほど人々を魅了し、世界中に普及し、未だに人々を呪縛している。

しかし今のスピリチュアルの世界観は未だに新たな美を獲得できておらず、チグハグな違和感しかない。美の様式を獲得せねば、いくら真実であっても正しくあっても、文化として広まり定着するものにはならない。

だから芸術がせねばならないのは、真善を理解した上で、そこに美を与えることだ。言語ではなく、表現として批判し、答えを提示せねばならない。そこには問いと答えの両方が含まれているはずだ。

●3月30日/30th Mar
世界の常識が書き変わろうとしている今、「まなざしの革命」の第一章の「常識」及び第二章「感染」の章をスライドで解説した映像を再度シェア。冒頭に「常識」の章の一部を朗読。 

「まなざしの革命」刊行記念講演@青山ブックセンター

●3月31日/31st Mar
部分的にしか物事を理解していないことを「無知」という。その意味では全ての生き物は無知であると言える。我々も含めて誰も宇宙の全体性を理解していないからだ。しかしその理解の範囲に応じて無知の度合いは異なる。

情報のレベルで言えば、ある特定の情報だけしか知らないことだが、知覚のレベルで言えば、自分の身体の感覚が把握出来ることしか理解していない。しかしこの世界・自然・宇宙には、我々が認識や知覚する範囲を遥かに超えた物事に満ちている。

だから部分を知っただけで、全てを知った気になるような奢りに陥ることこそ、無知の度合いが高いということだろう。知っている範囲が増えるにつれて、さらに知らない領域が見えてくるはずだからだ。

●3月31日/31st Mar
本日は大阪府立大学経済学研究科の観光地域創造分野の社会人大学院の学位授与式。奇しくも大阪府立大学としての最後の日と重なってしまった。5名が修士号を取得されて卒業となるが、これが本学の最後の卒業生となることは感慨深い。本当におめでとうございます。

明日からは大阪公立大学として新たに出発する。個人的ながら、僕自身も明日から所属が今の経済学研究科から現代システム科学研究科へと移動になる。環境社会共生分野として、自然科学系に近い領域へと戻るので、新たな研究も始めたい。最後のロゴということで記念に一枚。


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