「友だち」に対する期待値が高すぎる
2024年1月28日(日)朝の6:00になりました。
友たるものは、推察と沈黙に熟達した者でなければならない。
どうも、高倉大希です。
とあるテレビ番組で、宇宙飛行士の野口聡一さんがこんなことを話していました。
宇宙に行くとなると、もちろんお互いに信頼していなければならない。
だからといってそんな相手と、一生の友だちにならなきゃいけないわけではない。
地球に帰ってくるまでの3年間だけ、うまくやっていけると思えたらそれでいい。
友だちと言わなくても、人間関係として成り立っていればそれでいい。
友だちという言葉に対する期待値が、あまりにも高すぎるんじゃないかな。
わたしたちは、子どものころから「友だちをつくれ」と言われます。
友だちが多くいることが大切なので、友だちが少ないと心配されてしまいます。
社会に出たら、人間関係が大切だからね。
大人たちは、こう言います。
しかし実際の大人どうしの関係は、野口さんの話にあるとおりです。
友だちと言わなくても、人間関係として成り立っていればそれでいいのです。
「おなじクラスの友だちなんだから仲良くしなさい」
昔からずっと、この言葉に違和感を抱いていました。
おなじクラスだからといって、自動的に友だちになるわけではありません。
それなのに、なぜだか友だちであることが前提として語られます。
きっとその方が、大人にとって都合がよいのだろうなと思います。
友だちとして仲良くしてくれていたほうが、波風が立たなくて楽なのです。
いちねんせいになったら、いちねんせいになったら。
友だち100人できるかな。
きっとこの友だちという言葉に、苦しめられてきた人たちがたくさんいます。
友だちという言葉に対する期待値が、あまりにも高すぎます。
仲良くなんて、なれなくたってかまいません。
ここに来るまでの経緯なんて、伝えなくたってかまいません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。