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「友だち」に対する期待値が高すぎる


2024年1月28日(日)朝の6:00になりました。

友たるものは、推察と沈黙に熟達した者でなければならない。

どうも、高倉大希です。




とあるテレビ番組で、宇宙飛行士の野口聡一さんがこんなことを話していました。

宇宙に行くとなると、もちろんお互いに信頼していなければならない。


だからといってそんな相手と、一生の友だちにならなきゃいけないわけではない。

地球に帰ってくるまでの3年間だけ、うまくやっていけると思えたらそれでいい。


友だちと言わなくても、人間関係として成り立っていればそれでいい。

友だちという言葉に対する期待値が、あまりにも高すぎるんじゃないかな。


信頼が必要とされるのは社会的不確実性の大きな状況であり、逆に言えば、相手に騙されてひどい目にあったりする可能性がまったく存在しない、つまり社会的不確実性がまったく存在しない状況では、信頼は果たすべき役割をもたない。

山岸俊男(1998)「信頼の構造」東京大学出版会


わたしたちは、子どものころから「友だちをつくれ」と言われます。

友だちが多くいることが大切なので、友だちが少ないと心配されてしまいます。


社会に出たら、人間関係が大切だからね。

大人たちは、こう言います。


しかし実際の大人どうしの関係は、野口さんの話にあるとおりです。

友だちと言わなくても、人間関係として成り立っていればそれでいいのです。


ハイ・テック・ハイは、プロジェクトに最高のクオリティと美しさを求める過程で、「できなかったこと」が「できるようになる」ための努力を惜しまない力(Grit)や、アウトプットの不十分なところ、改善可能な部分については、自分一人で対処するのではなく、他者を思いやり、良好な人間関係を保ちながら、お体外に適切に指摘し、質を高め合っていく「態度」を培っていく。

藤原さと(2020)『「探求」する学びをつくる』平凡社


「おなじクラスの友だちなんだから仲良くしなさい」

昔からずっと、この言葉に違和感を抱いていました。


おなじクラスだからといって、自動的に友だちになるわけではありません。

それなのに、なぜだか友だちであることが前提として語られます。


きっとその方が、大人にとって都合がよいのだろうなと思います。

友だちとして仲良くしてくれていたほうが、波風が立たなくて楽なのです。


「トラブルが起こらない社会」を目指すのが「心の教育」で、「トラブルが起きたときに解決できる人材がたくさんいる社会」を目指すのが「行動の教育」であり、民主主義教育です。だから学びの機会を増やしてあげるためにも、トラブルは起きたほうがいいんです。小さな対立はいっぱいあっていいんです。

苫野一徳、工藤勇一(2022)「子どもたちに民主主義を教えよう」あさま社


いちねんせいになったら、いちねんせいになったら。

友だち100人できるかな。


きっとこの友だちという言葉に、苦しめられてきた人たちがたくさんいます。

友だちという言葉に対する期待値が、あまりにも高すぎます。


仲良くなんて、なれなくたってかまいません。

ここに来るまでの経緯なんて、伝えなくたってかまいません。






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