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よくわからないものはとりあえず載せる


2024年3月24日(日)朝の6:00になりました。

問う能力がないから、答えを持っている人もいる。

どうも、高倉大希です。




おもしろいものはもちろん載せるし、つまらないものはもちろん載せない。

そして、よくわからないものはとりあえず載せる。


とある漫画家さんが、編集長からこのように言われたそうです。

この判断がなければ、作品が世に出ることもなかったわけです。


わからないものをどう扱うか。

ここにその人の度量が、表れるのだろうなと思います。


無意識や無意味なんて、お互いにわかるはずがない。上澄みだけを見て意味を求めるから、「通じるはずだ」と思ってしまっているわけです。だから私は「人間はもっと謙虚になれ」といつも言います。自分の行動は、すべて自分でコントロールできていると思っている。そんなものは驕りです。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


わかるものと、わからないもの。

どう考えてもこの世には、わからないものの方がたくさんあります。


わからないものがあることは、まったく問題ではありません。

厄介なのは、わからないものを毛嫌いしてしまうことです。


判断の対象が、自分がわかるものに限定されてしまいます。

いくらなんでも、今の自分を買い被りすぎています。


ここで言いたいのは、人間は無知である、ということではない。人間は自分が思っているよりも無知である、ということだ。私たちはみな多かれ少なかれ、「知識の錯覚」、実際にはわずかな理解しか持ち合わせていないのに物事の仕組みを理解しているという錯覚を抱く。

スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック(2021)「知ってるつもり 無知の科学」早川書房


歳をとればとるほど、わかっていることが増えたような気になります。

それと比例して、わからないことへの抵抗感も増していきます。


頭が固くなるとか、頑固になるとか。

結局は、そういうことなのだろうなと思います。


この変化そのものが、悪いわけではありません。

自動的にそうなっていくものだと、自覚しておくことが大切です。


いまになってわかるのは、何が起きているのか注意して見ていたら、変化に備えていたらあんなに驚くことはなかっただろうということだ。(中略)変化が起こるのを予想し、変化を求めるのだ。いつ変化が起きるか本能的に感じ取り、それに適応する準備をするのだ。

スペンサー・ジョンソン(2000)「チーズはどこへ消えた?」扶桑社


昨日の教え方で今日教えれば、子どもの明日を奪う。

アメリカの哲学者、ジョン・デューイの言葉です。


若き才能を育むことは、とても重要なことなのかもしれません。

ただその前に、若き才能を無意識に潰してしまう可能性を考える必要があります。


よくわからないものはとりあえず載せる。

今の自分の感覚なんて、大したものではありません。






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