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だいたいの過去は正解だったことにするしかない


2024年7月31日(水)朝の6:00になりました。

過去の記憶があなたに喜びを与えるときにのみ、過去について考えよ。

どうも、高倉大希です。




学生時代は、とても厳しい部活動に所属していました。

今となっては、とてもよい経験だったなと思います。


仕事をはじめて、とても大きな失敗をしたことがあります。

今となっては、とてもよい経験だったなと思います。


だいたいの過去は、正解だったことにするしかないのではないか。

最近になって、こう思うようになりました。


正解はあるのです。それは権威者が事前に用意した、確固たる模範解答ではありません。そうではなく、私の行為が「正解だったことになる」という形の、遡及的・事後的な正解はちゃんとあり得るのです。正解を制作する。生きるとは、そんな想像的行為の積み重ねのことです。

近内悠太(2024)「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社


そのときは、とても苦しかったかもしれません。

それでも、時間をかけて正解だったことにするのです。


そのときは、とても辛かったかもしれません。

それでも、時間をかけて正解だったことにするのです。


いや、正解だったことにするしかないと言った方が正確です。

不正解だった過去に責任を押しつけていても、よいことなどないからです。


原因ー結果の連鎖を探り出そうとする態度は、ややもすると目を過去にのみ向けさせ、そこに存在する悪を見つけて攻撃したり、後悔の念を強めたりするだけで、そこから前進する力を弱めることが多い。

河合隼雄(2014)「大人になることのむずかしさ」岩波書店


厄介なのは、ベクトルが他者に向くときです。

自分が時間をかけて正解だったことにした経験を、他者にも再現しようとします。


もとにあったのは、ただただ苦しくて辛い経験です。

その経験がよかったと思えているのは、正解だったことにするしかないからです。


下手したら、苦しくて辛い経験を他者に強制しかねません。

よかれと思ってやるものだから、たまったもんじゃありません。


今の教育は、大人が何でも与える側にいて、子どもは与えられることに慣れてしまっている。一種のサービス産業と化しているんです。だから自分で考えたり自分で決めたりする能力が育たない。

工藤勇一、鴻上尚史(2022)「学校ってなんだ!日本の教育はなぜ息苦しいのか」講談社


苦しくて辛いできごとも、どうせ正解だったことになる。

このような、楽観的な感覚がとても大切です。


正解だったことにするしかないから、よかったと思えているにすぎない。

このような、悲観的な感覚もとても大切です。


自分にとっての正解が、誰かにとっても正解だとは限りません。

自分にとっての不正解が、誰かにとっても不正解だとは限りません。






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高倉大希
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