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教えたがり


2024年1月19日(金)朝の6:00になりました。

かつての我々とは、違ったものになるがゆえに自由なのである。

どうも、高倉大希です。




誰かの役に立ちたい。

誰かに必要とされたい。


わたしたちは、このような願望を抱いています。

なぜなら、そこに自分の存在意義を見出すことができるからです。


何かを与えているようで、実は与えてもらっています。

ここにいてもよいのだと、承認してほしいのです。


突出して人気のある教員がいる学年は、学級崩壊が起きやすいんです。なぜなら子どもたちが「与えられる教育」に慣れてしまって、教員に依存し、比較ばかりするからです。「あのクラスはいい先生がいるな。それに比べてうちは……」というまくいかない原因を自分たちには向けずに学級担任に向ける。

苫野一徳、工藤勇一(2022)「子どもたちに民主主義を教えよう」あさま社


だから、質問をする後輩は先輩に好かれます。

頼りにされているという実感が、安心につながるからです。


一方で、質問をしない後輩は先輩に嫌われます。

頼りにされていないという実感が、不安につながるからです。


何かを与えてもらっているようで、実は与えいます。

ここにいてもよいのだと、承認しているのです。



今の教育は、大人が何でも与える側にいて、子どもは与えられることに慣れてしまっている。一種のサービス産業と化しているんです。だから自分で考えたり自分で決めたりする能力が育たない。

工藤勇一、鴻上尚史(2022)「学校ってなんだ!日本の教育はなぜ息苦しいのか」講談社


基本的に、多くの人は教えたがりです。

教えることに対する「ありがとう」を返してほしくてたまりません。


「なんど言ったらわかるの」

「わたしがいないとダメね」


そんなことを言いながら、心の奥ではよろこんでいます。

だからむしろ、そんな相手に自立されては困るのです。


デューイによれば、思考のプロセスは、探求のプロセスである。彼は、子どもの学びが子ども自身のものであり、子ども自身が考えるようにしなければならないと主張する。それは、子どもたちがみずから学び、考えるプロセスを尊重することであり、リフレクションの経験を大切にすることでもある。

上野正道(2022)「ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学」岩波書店


誰かの役に立ちたい。

誰かに必要とされたい。


それは一体、誰のためなのか。

よく考えなければなりません。


きっと教えることの前提には、自分がいなくなる未来を置かなければなりません。

ずっと居座られると、苦笑いしながら「ありがとう」と言うしかなくなります。






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