「ありがとう」と言うしかないだけ
2023年4月22日(土)朝の6:00になりました。
空回りしてしまうぼくらの旅路は、小学生の手と足が一緒に出ちゃう行進みたい。
どうも、高倉大希です。
「だれかを喜ばせること」を生きがいにしているのだろうなと思う人と出会うことがあります。
その人は、自分のことなんて差し置いて、相手のためだけに動きます。
おなじくらいの頻度で「相手が本当に喜んでいるのかどうかを考えていないのだろうな」と思う人とも出会います。
その人は、実行したことに満足して、効果検証を行いません。
過去に、随分と手の込んだアルバムをいただいたことがありました。
それぞれのページに貼られた写真に、日付とできごとが添えられています。
だれが見ても、作成に時間がかかったのだろうなということがわかる。
そんなアルバムでした。
そんなものをいただいてしまったら「ありがとう」と言うしかありません。
うれしいと思うとか、思わないとか、そういう話ではありません。
自分の感情に関係なく、「ありがとう」と言うしかないのです。
「ありがとう」と言われるわけですから、当然つくった側はよい気分になります。
手間ひまをかけてつくってよかった。つくった甲斐があった。
そう思ってしまうのです。
前述のとおり、このやりとりには、受け取った側の感情がほとんど反映されていません。
感情うんぬん以前に、「ありがとう」と言わされているのです。
一時期、「千羽鶴を被災地に贈るのはどうなんだ」という意見が話題になったことがありました。
この話とまったくおなじです。
「ありがとうと言ってくれたこと」は、「喜んでくれたこと」の証拠にはなりえません。
本当に相手は喜んでくれているのか。
この問いを自分にぶつけつづけない限り、勘違いをしたまま相手に「ありがとう」を強要するような大人になってしまします。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。