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毎日投稿は間違いの記録


2024年6月3日(月)朝の6:00になりました。

間違いや失敗をしたことのない者だけは、信用してはならない。

どうも、高倉大希です。




テレビに映るアイドルの真似をして、小さな子どもが一生懸命に踊っている。

先日スマホを眺めていると、このような動画が流れてきました。


単純に可愛らしくてほっこりしたのですが、同時にとある事実に気がつきました。

その小さなダンサーは、自分が踊れていないことに気がついていないのです。


むしろ、完璧に踊れていると言わんばかりの顔つきをしています。

世間体もメタ認知もない彼らには、正解も間違いもないわけです。


「収入が高くて困っている」とか「自分の異性が好きなんだけど、どうしよう」と悩む人がいてもよさそうなのに、見当たらないのはどうしてでしょうか?それは僕たちが生きる社会には無数の「当たり前」があり、そこから外れる人が悩んでいるのです。

深井龍之介(2022)「歴史思考」ダイヤモンド社


それが大人になると、極度に間違いを恐れるようになります。

「間違うから」が、やらない理由として成立します。


間違うから、やらないのか。

やらないから、間違うのか。


数年経てばきっと、小さなダンサーはダンサーではなくなります。

仮にダンサーだったとしても、踊れていない姿を隠すようになるはずです。


「みんながそうしているから」とか「ほかの人はそうやっている」という主張はちまたにあふれている。これは些細な問題じゃない。自分ひとりならバカバカしくてやってられないようなことでも、集団になるとしてしまう人は多い。そして、組織的構造を持つ学界が科学の原理に背きやすいのは、まさにこの部分なのだ。

ナシーム・ニコラス・タレブ(2017)「反脆弱性 下」ダイヤモンド社


自分が書いた文章なんて、あまりにも下手すぎて人様には見せられない。

内容が薄くて、とてもじゃないけど公開できない。


いつか自分も、書けたらいいな。

いつか自分の文章も、誰かに読んでもらえたらいいな。


おそらくその「いつか」が、やってくることはありません。

note には、このような人がたくさんいるのだろうなと思います。


『わたしの日記』やら『うちの赤ちゃんの写真』も含めて、認める立場です。出てしまったものは出してしまえばいいと思います。自己満足が表出することを、ぼくは肯定しています。

糸井重里(2014)「インターネット的」PHP研究所


なぜかわたしたちは、1回で完璧なものを出そうとします。

冷静に考えれば、そんなことできるわけがありません。


完璧なように見える書籍だって、幾度もの推敲を経た結果です。

初稿なんて、間違いのオンパレードです。


書いてしまえばよいのです、出してしまえばよいのです。

すべてはそこから、はじまります。






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