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恥ずかしい、だがそれでいい


2023年10月13日(金)朝の6:00になりました。

すべての人間は、恥をかくために生まれてきた。

どうも、高倉大希です。




2023年1月1日に毎朝投稿をはじめて、今日でちょうど286日目になりました。

286日間、読みたいことを、書いています。


表現には、恥ずかしさがつきものです。

むかしのnoteを読み返して、「なに言ってんだこいつは」と思うこともあります。


だが、それでいいのだろうなと思います。

つね日頃から、恥をかいておく訓練です。


どうしようもないことを好きなように書く。その瞬間は純度の高い阿呆になれる。それを繰り返すと、自分が阿呆の膜に覆われていく。阿呆の膜に守護されている時だけは恥ずかしいことから解放される。

又吉直樹(2023)「月と散文」KADOKAWA


当時の自分にとっては、ベストパフォーマンスだったはずです。

むかしの自分を恥ずかしく思うということは、それだけ進化したという証拠です。


わかることが増えると、わからないことも増えていきます。

わかっていなかったことを、わからいないと認識できるようになるわけです。


恥ずかしさも、おなじです。

ひとつの恥ずかしさを乗り越えると、新たな恥ずかしさに出会います。


生きることは、ある意味で何かをさらけ出しているわけで、恥ずかしいことでしょう。生きることじたい、恥さらしみたいなもんです。でも、それを恥ずかしいと決めつけてしまったら、窒息しちゃいますよね。絵を描くことも、「さらけ出しながら生きていく」というのと同じこと。それでいいんじゃないかな。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


だから、恥ずかしがる必要なんてない。

と、言いたいわけではありません。


恥ずかしいという思いは、その人の大きな魅力です。

だから、思い切って堂々と、恥ずかしがればいいのになと思います。


恥ずかしい。

だが、それでいいのです。


次の段階に行くためには、それまでのことを捨ててしまうこともある。みんなに叩かれるか笑われるかわかんないけども、それをしないとしょうがない。そういうことを隠してる人もいるけどね、さらして恥をかいていかないとダメだと思う。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


もっとももったいないのは、恥を理由に行動をやめてしまうことです。

恥ずかしさを、特別な何かだと思い込んでしまっています。


生きることじたい、恥さらしみたいなもんです。

これからも毎朝6:00に、文章を書きつづけます。






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