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書くことで生じる錯覚


2024年11月29日(金)朝の6:00になりました。

明後日から、毎日ランニングを開始します。

どうも、高倉大希です。




スキを押してもらえたら、うれしい。

これは、紛れもない事実です。


せっかく頑張って書いたのだから、たくさん押してほしいものです。

ところが押す側は、そんなに考えてはいません。


サクッと読んで、ポンッと押して、終了です。

押す側の熱量と、押される側の熱量には、結構な差があるわけです。


読者は、あなたに興味がない。読者にとって、あなたの書こうとするテーマはどうでもいい。冷徹な現実だ。しかしこの現実を認めるところからしか、始まらない。

近藤康太郎(2023)「三行で撃つ」CCCメディアハウス


いちどだけ、転職を経験したことがあります。

当時は、ここが人生の分岐点になるのだと息巻いていた記憶があります。


いま考えてみれば、転職なんてそんなに大したことではありません。

当事者である自分だけが、大ごとだと思っていました。


だいたいは、そんなものなのだろうなと思います。

たまたま近くにあったから、大きく見えているだけです。


ものごとをメタ認知するには何かと比較することが欠かせません。自分たちがAであれば、そうではないnot Aを理解しないと、Aのことは理解できない。

深井龍之介、野村高文(2022)「視点という教養」イースト・プレス


SNSを続けていると、どうしても自我が膨らみます。

まるで自分のことを好きな人が、たくさんいるかのような錯覚に陥ります。


それは、逆も然りです。

ちょっとした非難を受けたら、まるで全員から嫌われているような気になります。


前述のとおり、そう思っているのは当事者である自分だけです。

SNSなんて、ほとんどの人は寝転びながら見ています。


ぼくが最初に教えるのは「お前の書いたことは誰も読みたくない」ということ。いまは書く機会がいっぱいあるから「書けば誰かが読んでくれて感動するはずだ」とか「すばらしい!と言ってくれるはずだ」と思ってしまう。実際は誰も読まない。

放課後ダイノジ(2022)「ダイノジ大谷と語る現代コミュニケーション術」田中泰延さんの発言より


この熱量差に、敏感にならねばなりません。

うわ滑った自意識は、むしろ人を遠ざけます。


自分だって他者の文章を、そんなに一生懸命読んではいないはずです。

それにも関わらず、自分が読まれる側になった途端に変な期待を抱きます。


せっかく、頑張って書いたのだから。

気持ちはわかりますが、頑張ることと読まれることはまったくの別ものです。






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高倉大希
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