チームとしてもっとも避けたいのは、認識のズレを長く抱えること
2024年4月16日(火)朝の6:00になりました。
彼らは「私が」などと考えず、「我々が」と考える。
どうも、高倉大希です。
一生懸命取り組んだのに、蓋を開けてみれば全然違うことをやっていた。
一生懸命取り組んだのに、蓋を開けてみれば他の人も同じことをやっていた。
チームとしてもっとも避けたいのは、認識のズレを長く抱えることです。
認識がズレたままだと、せっかくのチームの強みが台無しになってしまいます。
大切なのは、ズレて当然だという前提に立っておくことです。
わたしたちが人間である限り、認識のズレはほぼ確実に発生します。
だからこそ、細やかなすり合わせが必要です。
ズレを抱える期間が長ければ長いほど、修正が大変になります。
本来ならば、注力事項にコストを割けたはずなのに。
ズレを修正するために、足踏みせねばなりません。
完成していなくてもいいから、途中経過を開示しろ。
多くの新人研修等で、このように言われる理由も結局は同じです。
チームとしてもっとも避けたいのは、認識のズレを長く抱えること。
そう考えると、アウトプットにはよいことしかありません。
仮にアウトプットしたことが、ズレていたとしてもそれはそれでOKです。
チームとしてもっとも避けたい状況を、未然に防ぐことができるからです。
だからよいチームでは、よくない情報ほど速やかに共有が行われます。
一方わるいチームでは、よくない情報ほど速やかに隠蔽が行われます。
認識はズレるものだという前提に立ち、細やかな情報共有を行う。
その中でズレを微調整しながら、チームとして前に進んでいく。
これはもはや「そうした方がよい」とか、そういう話ではありません。
考えれば考えるほど、「必然的にそうなっていくはずだ」という話です。
チームとしてもっとも避けたいのは、認識のズレを長く抱えることです。
それを避けるためのアクションならば、大いに歓迎されなければなりません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。