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耳が痛い言葉の先に
2024年1月11日(木)朝の6:00になりました。
自分の面が曲がっているのに、鏡を責めて何になろう。
どうも、高倉大希です。
毎朝6:00に、文章を書いています。
日々の文章のほとんどは、自分に向けた戒めです。
自分の外側に広がる世界のほんの一部を頂戴して、テキストに落とします。
そんな世界を観察して得た発見を、毎朝記録しています。
ひとり目の読み手である自分が「そうだよな」と思える文章を、ずっと考え続けています。
誰かのことをとやかく言うつもりなんて、これっぽっちもありません。
コミュニケーションには、つねにおくり手とうけ手が存在する。情報には、かならずしもおくり手とうけ手があるとはかぎらない。さきに天体をも情報のおくり手であるといったが、正確にいえば、天体が情報をおくりだしているのではない。情報はその天体とともに存在するのである。その情報を情報としてうけとめ、それを解読するのは人間の側の問題である。
いやあ、たしかにそうだよなあ。
うわあ、考えてみればそうじゃん。
ビビッとくる発見は、たいてい耳が痛くなるような言葉の先にみつかります。
言わば、図星を突かれるというやつです。
無意識に避けてきたものに、スポットライトが当てられます。
そりゃあそこに、大きな発見があって当然です。
けっきょく、自分の世界というのは「普段なにを見ているか」や「普段誰と会っているか」によって決まってくるものだと思います。
ほんとうならば、目を閉ざしたくなります。
ほんとうならば、耳を塞ぎたくなります。
それでも、がんばって目を見開きます。
それでも、がんばって耳を澄ませます。
すると、その先に続く道が見えるようになってきます。
これまでは聞こえていなかった声が、聞こえてくるようになってきます。
「僕らの仕事はね、時には自己否定することなんです」いままで正しいと思ってきたことも、もしかしたら間違っているかもしれない。そもそも、それがほんとうに子どもたちのためになっているのか。自律した子どもを育てることに役立っているのか。常に考え続けることが大事だし、自分自身を否定してみることも重要だと伝えたんですね。
あらゆる声を聞き入れろと、言っているわけではありません。
どうでもよい言葉は、右から左に受け流しておしまいです。
注目すべきは、耳が痛くなるような言葉です。
その先に、新たな道が続きます。
思わず何かを、言い返したくなるような言葉です。
言い返したいけど、ぐうの音も出ないような言葉です。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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