耳が痛い言葉の先に
2024年1月11日(木)朝の6:00になりました。
自分の面が曲がっているのに、鏡を責めて何になろう。
どうも、高倉大希です。
毎朝6:00に、文章を書いています。
日々の文章のほとんどは、自分に向けた戒めです。
自分の外側に広がる世界のほんの一部を頂戴して、テキストに落とします。
そんな世界を観察して得た発見を、毎朝記録しています。
ひとり目の読み手である自分が「そうだよな」と思える文章を、ずっと考え続けています。
誰かのことをとやかく言うつもりなんて、これっぽっちもありません。
いやあ、たしかにそうだよなあ。
うわあ、考えてみればそうじゃん。
ビビッとくる発見は、たいてい耳が痛くなるような言葉の先にみつかります。
言わば、図星を突かれるというやつです。
無意識に避けてきたものに、スポットライトが当てられます。
そりゃあそこに、大きな発見があって当然です。
ほんとうならば、目を閉ざしたくなります。
ほんとうならば、耳を塞ぎたくなります。
それでも、がんばって目を見開きます。
それでも、がんばって耳を澄ませます。
すると、その先に続く道が見えるようになってきます。
これまでは聞こえていなかった声が、聞こえてくるようになってきます。
あらゆる声を聞き入れろと、言っているわけではありません。
どうでもよい言葉は、右から左に受け流しておしまいです。
注目すべきは、耳が痛くなるような言葉です。
その先に、新たな道が続きます。
思わず何かを、言い返したくなるような言葉です。
言い返したいけど、ぐうの音も出ないような言葉です。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。