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ちゃんと考えなくても生きていける


2024年3月7日(木)朝の6:00になりました。

考えなさい。調査し、探究し、問いかけ、熟考するのです。

どうも、高倉大希です。




ちゃんと考えなさい。

大人たちは、こう言います。


ちゃんと考えるってどういうこと?

子どもたちは、こう尋ねます。


もう、そんな屁理屈こねないの。

大人たちは、こう答えます。


人は気軽に「よく考えろ」と言います。でも、言葉のレベル感で言うと、「考えろ」というのは、サッカーの監督だったら「お前ら、勝て」という指示みたいなもので、ほとんど中身がない。

石川善樹(2019)「問い続ける力」筑摩書房


数学で公式をつかうとき、なぜその計算で答えを求められるのかは考えません。

公式どおりに計算して、答えが出ればそれでOKだからです。


スーパーで買い物をするとき、なぜその価格に設定されているのかは考えません。

表示されている金額を支払って、商品が手に入ればそれでOKだからです。


この社会は基本的に、ちゃんと考えなくても生きていけるようにできています。

いちいち疑問を抱かなくても、生活を続けることはできるのです。


人間は、認識が当たり前のものとして固定化されていくと、その前提が「なぜこうなっているのか?」ということを、改めて考えることはしなくなっていきます。「なぜこの公式は、こういうルールになっているのだろう」「本当にこの公式を使わなくてはならないのだろうか」といちいち考えていては、テストで点を取るためには非効率だからです。乱暴に言えば「頭を使わなくて済む」ようになっていくのです。

安斎勇樹、塩瀬隆之(2020)「問いのデザイン 創造的対話のファシリテーション」学芸出版社


先日、「指を折って数える」という記事を書きました。

はじめは誰しもが、指を折って計算するところからはじまるという内容です。


指を折って数えても、計算することはできます。

多少数字が大きくても、無茶をすればできないことはありません。


しかしこのやり方では、必ずどこかで限界を迎えます。

何よりも、毎回指を折って計算していたら手間がかかって仕方がありません。


デューイは「不確定な状況」をかき乱された、困った、曖昧な、混乱した、矛盾に満ちた、不明瞭な状態、などと表現している。モヤモヤなどのわからない状態を不安と感じるかワクワクと感じるかは個人差もあるかもしれないが、わからない、わかりたいという気持ちこそが深い学びを引き起こしていくのである。

藤原さと(2023)「協働する探求のデザイン」平凡社


ちゃんと考え続けている人に出会うと、こりゃあ敵わないなと思います。

それと同時に、これだけ考えられたらおもしろいだろうなとも思います。


単純に知識があるとか、そういう話ではありません。

その知識を組み合わせて展開するのが、本当に見事なわけです。


きっとそんな人は、通り過ぎても構わないところで立ち止まって考えます。

役に立つかどうかだなんて、短いスパンでものごとを捉えていないのです。






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