![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/141286749/rectangle_large_type_2_e98408800e9e2aaa879f32187531f365.png?width=800)
書く人なんて暗くて当然
2024年5月21日(火)朝の6:00になりました。
だいせんじがけだらなよさ、さかさに読むとあの人がおしえてくれた歌になる。
どうも、高倉大希です。
ペンを握って、ひとり黙々と何千字。
画面に向かって、ひとり黙々と何千字。
書くときは、いつだって孤独です。
こんな人間が、暗くないわけがありません。
書かずに済むのなら、それに越したことはないのかもしれない。
毎日書いていると、時々こんな気持ちになります。
きっとおじさんはいま、むずかしいことをいっぱい考えて、ことばにしようとしているんだ。次の質問をするのが、すこしだけ怖く感じられた。「いや......自分に声をかけるって、どうやって?」「書くのさ」おじさんは微笑んだ。「書くってね、自分と対話することなんだよ」
「書くってね、自分と対話することなんだよ」
まさに、文は人なりです。
読んでもいないくせに、スキを押しやがって。
自分のフォロワーを増やすために、フォローしてきやがって。
note を読み漁っていると、こんな文章をよく見かけます。
鬱屈とした暗さが滲み出ていて、とても素敵だなと思います。
『わたしの日記』やら『うちの赤ちゃんの写真』も含めて、認める立場です。出てしまったものは出してしまえばいいと思います。自己満足が表出することを、ぼくは肯定しています。
よーそこの若いの、俺の言うことを聞いてくれ。
俺を含め、誰の言うことも聞くなよ。
竹原ピストルさんの『よー、そこの若いの』という曲の一節です。
書くことはある種、間違いの記録なのかもしれません。
誰の言うことも聞かずに、思い切り間違ってしまえばよいのです。
後になって恥ずかしいと思えたならば、それだけで万々歳です。
30歳、40歳になったら20歳のころと考えが違うのは当然だし、50歳、60歳になってもまた変わってくる。同じ自分を維持しながら、昔の過ちを少しずつ正していく。それが老いるということです。老いるとは変化することであり、訂正することなのです。
その点 note は、とてもあたたかいプラットフォームです。
自分が書いた文章なんて、誰も真剣に読んではいません。
大いに、暗くあればいい。
大いに、間違えてしまえばいい。
書く人なんて、暗くて当然です。
書く人なんて、間違えて当然です。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
サポートしたあなたには幸せが訪れます。