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みんなで食べるごはんは本当においしいのか


2024年4月26日(金)朝の6:00になりました。

涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない。

どうも、高倉大希です。




ごはんは、みんなで食べた方がおいしい。

むかしからずっとこの言葉に、違和感を抱いています。


もちろん、言わんとしていることはわかります。

食卓をみんなで囲んで仲良くしようと、きっとそう言いたいのでしょう。


ただ、だからといってさすがに言い過ぎな気がします。

みんなで食べた方がおいしいだなんて、思ったことはありません。


はじめは、どこかそこらへんの、木の実があれば木の実、あるいは獣がおれば獣を獲って食っている。草があれば、食えそうな草を食っている。そういうような形でいるのが、だんだんよけいなことを考えるようになって、先ほどから言う、自己もまた他者になってしまうという世界を作ってしまう。

吉本隆明 、江藤淳(2017)「吉本隆明 江藤淳 全対話」中央公論新社


みんなで食べたところで、べつに味は変わらないでしょ。

決してそんなつまらないことを、言いたいわけではありません。


ごはんは、みんなで食べた方がおいしい。

と、みんなが思っているはずだ。


この謎の前提に、大きな違和感があるのです。

ひとりがおいしいと思ったとて、みんなが同じように思っているとは限りません。


一人ひとり、感じ方や考え方は少しずつ違います。違っていて当たり前です。育った環境から学び働く環境まで、すべてが「別の人格」なのですから。だからそれぞれが完全にわかりあえたり、意見がぴたりと重なりあったりすることなんてありません。プロの集団が物事を決めていく時には、それを前提にすべきなのです。

工藤勇一(2024)「校長の力」中央公論新社


仲良くなるために、食事をしよう。

本当は、それでよいはずです。


みんなで食べた方がおいしい。

こんなわけのわからないロジックを、持ち出す必要はありません。


おいしいと思ったのは、あなたというひとりの人間です。

隣の人がどう感じているかは、またべつの話です。


「みんなが容易に(自分と)同じ気持ちを共有できるはずだ」と安易に考えてしまう日本人の多くは、自然に持つものである「気持ち」というものと、努力によって人工的に作るものである「ルール」というものとの区別がつかないため、まず「ルール」と「モラル」の混同という重大な事態に陥ります。

岡本薫(2001)『教育論議を「かみ合わせる」ための35のカギ』明治図書


みんなで食べるごはんを、おいしいと感じる人もいます。

ひとりで食べるごはんを、おいしいと感じる人もいます。


みんなで食べるごはんを、しんどいと思う人もいます。

ひとりで食べるごはんを、さみしいと思う人もいます。


だからこそ、立ち止まって考えなければなりません。

みんなで食べるごはんは、本当においしいのだろうか。






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